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【寄稿】「自転車で低炭素!」大丸有コミュニティサイクル実験への期待と課題(1)

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【寄稿】小林成基・NPO自転車活用推進研究会 事務局長

現在、11月末まで大丸有地区で、コミュニティサイクルの社会実験が行われています。計画策定にも参加し、実際に何度もコミュニティサイクルを利用した、NPO自転車活用推進研究会 事務局長の小林成基さんに、コミュニティサイクルの意味や、現状での期待や課題について、寄稿いただきました。

○ コミュニティバイク黎明期

大丸有地区では10月から11月末まで、地球に優しい交通手段の一つである「コミュニティサイクル」の本格的な社会実験が行われている。コミュニティサイクルへの期待や課題を述べる前に、その意味や歴史をひもといてみよう。

1969年に世界最初の共有自転車実験がオランダのアムステルダムで行われた。熱心な環境保護運動家でもあった市議会議員が、政治生命をかけて取り組んだこの事業は、ホワイトバイクシステムと呼ばれ、全世界の注目を集めた。放置され撤去された自転車を白く塗り直し、街中に配置して市民に自由に使ってもらうというアイディアである。自動車産業を持たないオランダでは、増え続けるクルマは富の海外移転を助長し、国内に大気汚染と渋滞、交通事故をもたらすやっかい者であった。だが、もちろんのこと、国民はクルマの便利さ快適さを求め、少々の弊害は無視された。

都心でのクルマ移動を無公害の自転車に置き換えようとしたホワイトバイク実験は、公共物であれば市民が大切に譲り合って使ってくれるだろうという期待を裏切り、瞬く間に壊され、私物化され、川に投げ込まれた。二十年後に人類共通の認識となった地球温暖化による国土の水没から、国を守ったかもしれない共有自転車の理想は、匿名でペナルティのない無責任を放任するという致命的な設計ミスによって、もろくも崩壊したのである。熟慮の不足した不完全な計画ではあったが、急成長を続けるモータリゼーションに疑問を感じ、別の選択肢を用意して立ち向かおうとした政治家の信念と、市民の勇気は高く評価された。

news091118_04.jpg 共有自転車の試みは、20世紀中、日本を含む世界各地で行われ、そのことごとくが失敗し、ゴミと化した自転車は街中にばらまかれた。市民に地下鉄や路面電車、路線バスに続く公共交通機関としての自転車を提供しようという試みは、増え続けるクルマの大波に打ち砕かれ、国や自治体、企業や市民のすべてがクルマに便利で安全快適な街づくりに向かって邁進することになった。ちなみに、日本でもこの翌年、1970年に年間の交通事故の死者は16,700名を超え、ピークを記録している。

○ ITがもたらした転機

転機は京都議定書が採択されてから3年後にやってきた。技術とシステムをお家芸とするドイツで、民営化された旧国有鉄道が「コール・ア・バイク」を始めたのである。街にロックされた特製の自転車を配置し、あらかじめ登録された携帯電話を持つ人だけが使えるようにした。街角に置いてある(放置という考え方はドイツにはない)自転車を借りたいと思ったら、自転車に書いてある電話番号に電話する。暗証番号を通知されるので、その番号を使ってロックを解除し、自転車で移動する。返却するときは、四つ角などのわかりやすい場所に停め、もう一度電話してロックのための暗号をもらう。どこで誰が借りたかは、携帯電話の所有者として認証されているから、確実に捕捉でき、責任追及が可能になっている。無責任を助長するホワイトバイクの欠点を克服するため、確実な個人認証、簡便な課金制度を携帯電話という武器を使って克服している。

情報通信技術を使えば公共自転車が成り立つという発見は、地球環境問題への国民的取り組みを模索していた欧州各国の政治家たちを動かした。

高齢化対策としてのコンパクトシティ化を進めていた都市では、クルマでの移動を制限し、路線バスなどへの公共交通機関へのシフトを進めていたが、パーソナルで利便性が高く、クルマより安い自由な移動手段にニーズは相変わらず高い。クルマ社会に慣れた現代人に、電車やバスだけで我慢しろというのは無理なのである。そのニーズを無視すれば、為政者は次の選挙を勝ち抜くことはできない。いくつかの自治体で、クルマに代わる自由な移動手段として共用自転車の提供が始まったのは2004年ごろからである。携帯電話やクレジットカードによる確実な個人認証、街中の拠点に配置された無人で24時間の貸し出し返却ステーション、自転車は固体認証され、最初の30分は利用料が無料、というのが、基本的なスタイルである。