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生命誌から見た都市の姿のあり方 ―生き物に倣う、これからのまちづくり

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1. 自然発生的なまちこそ住みやすい ――その土地の内在的な能力を生かすこと

生命科学に時間と関係という概念を取り込むことで、生命の本質に迫り、人間とは何か、生命にとって環境とは何かを解き明かそうとする「生命誌」。中村桂子氏にこの視点から、まちにおける[[生物多様性]]を考える上での、現代人に求められる哲学を語ってもらった。

一方で、大丸有地区は、「1000年続くまち」をスローガンに、従来の街づくりの発想を超えた視点から、「大丸有 環境ビジョン」を打ち出した。この[[環境ビジョン]]の研究会座長を務めた野城智也氏(東京大学生産技術研究所教授、所長)が、中村氏と「生命誌から見た都市の姿のあり方」をテーマに、科学技術のあり方や、1000年続くまちの哲学や価値観について、意見を交わした。

1.自然発生的なまちこそ住みやすい
――その土地の内在的な能力を生かすこと

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野城: さきほどは大変興味深いご講演をいただきまして、誠にありがとうございました。地球環境問題に対して、私たちがいかにして取り組んでいったらいいか、大きな方向性を示していただくことができました。

さて、本日お集まりいただいているのは、まちづくりにご興味があったり、まちづくりの仕事に携わっていらっしゃる方たちで、その方たちへのメッセージとして、今後、どのように人工物やまちをつくっていったらいいのか、さらに議論を深めることができればと思います。ちなみに私自身は、人工物をつくっている最たる人間です。

最近、機械・生体系システムといって、さきほどお話に登場した循環性や組み合わせなど、生物がもつさまざまな特徴から学びとって、人工物をつくっていこうとしている方々がいらっしゃいますね。

中村: そのような研究が最近たくさん出てきましたね。体の機能を考えると、機械として動いているわけですから、機械が生体から学ぶことは大いにあると思います。車輪の開発も素晴らしいけれど、二足でバランスをとって歩行するという人間の動きを真似することもすごい。それは意味があることだと思うのですが、一方で、機械・生体系システムというときに、新しい構造や機能だけを学ぼうとしていらっしゃるのであれば、限界があると思うのです。生命システムは機械とは本質的に違うものだという視点に立って機能や構造を見ないと、進歩はない。価値観を変える必要があるのです。

野城: 確かに、まちづくりにおいても価値観そのものを変えることが問われています。たとえば、都市の近代化の過程で、地域ごとに工場やオフィス、住宅など、単機能のゾーンを配置してきましたが、最近、それではうまくいかないことがわかってきました。いろんなエレメントが重なっているところにさまざまな活動が発生して、まちの暮らしやすさに繋がっている。だから単純なゾーニングのまちではダメで、複雑で多様にすべきだと考えられるようになってきているのです。

中村: 多様であることはもちろん大事ですが、まちにとってさらに重要なのは、「生まれてくる」ということではないでしょうか。誰かが先頭に立って、まちはこうあるべきだといって築くのではなくて、かつての集落がそうであったように、自然発生的に生まれてくることが重要だと思うのです。先ほどの中で、「内発」と申しましたが、内発とは個人や個体にだけ宿るものではなく、土地や環境にも当てはまります。北海道には北海道の、沖縄には沖縄の、アジアはアジアの、その土地がもつ潜在的な能力が内在するからです。社会学者の鶴見和子さんは、それを「内発的発展」とおっしゃっていますが、生き物や土地や環境がもっている内在的な能力を100%生かしたときに初めて、住みやすいまちが生まれるのだと思います。

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ちなみに、都市開発ではデベロップメント(development)とか、デベロッパー(developer)という言葉を使いますが、生物学ではdevelopmentは発生を意味します。発生とは、生物が卵から生まれること。鮭の卵からは鮭が、鳥の卵からは鳥が生まれるように、まちづくりにおいても、その土地固有の能力を生かす作業がデベロップメントといえます。ところが、日本ではそれを「開発」と訳してしまった。それがゆえに、どんな土地でも平らにしてひな壇にして、思い通りにするという悲劇が起こってしまったのでしょう。

野城: いまおっしゃったことはまさに、建築家がいてデザイナーがいて、開発者がいてというように、ある特定の個人、職能、集団の意志が都市をつくっていくという、近代化以降の都市づくりや開発のやり方に対するアンチテーゼですね。一方で、かつて自然発生的に生まれた村は、例えば、里山を背にして集落が築かれるなど、その土地の地勢や水系を考えたうえでもっとも合理的な暗黙のコードをもっていて、これを伝承的なしきたりとして体現したものでした。

中村: 建築家やデザイナーでなくても、自然を知っている人たちは、家をどう建てたらいいのか、集落をどう築いたらいいのか、自ずとわかっていたんですね。

野城: かつてはそうした暗黙のコードというものがあったわけですが、それを現代に生かそうということでしょうか。

中村: それをそのまま生かせとは申しません。これだけ人口が増えたのですから、現代の技術力や情報力を最大限に生かすべきだと思います。ただ、土地を利用する際に、本来の意味でのデベロップなんだという認識で取り組まれると、その土地なりの特徴が生かされ、住みやすく、訪れた人を魅了するまちを築くことができると思います。

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2.まちは変化しながら成長する生き物である ――1000年後の人々に感銘を与えるために

2.まちは変化しながら成長する生き物である
――1000年後の人々に感銘を与えるために

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野城: ご講演の中で、神と自然と人間のあり方がどう変容してきたか述べられて、科学・技術は神を殺してしまったとおっしゃっていました。一方で現代でも、新しい建物を建てるときには地鎮祭を行いますね。地鎮祭というのは、土地を荒らすことに対して許してくださいと請う謝罪の儀式だと思うのですが、それは古の人間の感覚と繋がっているものなんでしょうね。

中村: そうだと思います。いくら内在のものを生かすといっても、土地をいじることには変わりありませんから、そういう気持ちはこれからももち続けていきたいですね。かつては、日本だけでなく、どの民族も、自然を畏怖する感覚はもっていたし、その土地に合った暮らしをしようとしてきました。それがいつしか、人間は特別なものとして、生命の輪から外れて、自然を支配しようとした。不遜なことに、何でもできると思い込み、ある意味、神になろうとしたんだと思います。

ところが地球環境問題が起こり、私たち自身が生き物の世界の中にいると気づいた。このまま開発を続けると、私たち自身が生きにくくなってしまうことが見えてきたから、なんとかしようとしている。そのときに、新しい知識や技術はどんどん活用すべきだと思いますが、人間が生き物の世界に含まれる、内にいるんだと認識すること、考え方を変えることが重要だと思うのです。

野城: これまでのまちというのは、成長しないで、いらなくなったら壊して新たにつくるということをやってきたわけですが、生物の世界に倣うなら、まさに成長していくべきなんですね。

中村: まちって本来成長していくものですし、生きているものですよね。これまでは構造物と機能だけを見ていたから、そういうスクラップ&ビルドがなされてきたのでしょう。ところが人間のDNAを見ればまさに使いまわしで、ハエも蝶も、すべての生物の遺伝子を活用していて、いちいち一からつくり直すなんて無駄なことはやっていません。まちも同じで、変化して成長させていく、それを楽しむというつくり方であってほしいと思います。

野城: そうした意味では、ここ大丸有地区には歴史があり、まちのなかに時間の重なりが見えるところが特徴的ですね。

中村: そうですね。私も、70年代にこのあたりにオフィスがあり、夕方、仲通りを歩くのがとっても好きでした。今では随分雰囲気は変わったようですけど、でも、10年くらい前からでしょうか、都心でいくつかの巨大再開発が完成しました。それらを見ていると開発のスピードが速すぎるし、時間の重なりや、その土地の内在する特徴が生かされていないように感じるのです。この現象は、小泉内閣が牽引した競争と、集中と選択の弊害であり、勝ち組だの負け組だのと、拝金主義が蔓延した結果ではないでしょうか。

この前、京都の西本願寺が大改修を終えたので見学に行ってきましたが、一つ一つディテールを見ていくと本当に見事で、「あの時代に、どうやってこれだけのものをつくったのか」と驚嘆しました。それに引きかえ、たとえば1000年経った後、20世紀後半の人間が成したことを見て、人々は果たしてどう思うでしょう。地層を掘り起こしてみて、この時代の人たちはゴミをつくっただけじゃないかと言われやしないかと心配になります。せっかく自分が生きた時代だからこそ、1000年後の人の心に響くようなものを残せたらと切に思います。

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野城: 本当にそうですね。

ところで、建築保存の考え方には二つあって、材料自体をそのまま保存しなければならないという考え方と、材料は違っていても形態が保たれていればいいという考え方があります。寺社建築などの場合、材料は奈良時代ではなく江戸時代のものであったとしても、創建以来のコードを読み取りながら、モディフィケーションされながら伝えられてきたものも多いんですね。ある意味、それも生物に倣ったやり方といえるかもしれませんね。

中村: そういう意味では、この国で生き物らしく建築をつくるとしたら、ぜひ、木を使ってほしいと思います。日本の風土に合っているということもありますが、木の建築を建てるということは、森をつくるのと同じことを意味するからです。木をそのまま木材として使えば、そこに炭素が固定されます。さらに木を伐り出した場所に新たに木を植えれば、そこがCO2の吸収源になる。環境にとって木を使うというのは、大変大きな意味があるのです。

野城: それを妨げてきたのは、人類の進歩史観かもしれませんね。つねに発展、進歩しなければならないという。

現在、東京駅の木造ドームの復元が進められています。ああした大規模な木造建築をつくる技術というのは、1940年代にピークを迎えたあと衰退し、いったん失われてしまったのです。そこで、その謎解きをするために、東京大学生産技術研究所の腰原幹雄先生の研究室では、1940年代に東京駅に応急的に架けられ今度解体されることになった部材を運び出して組み上げ、構造技術の実物大で解析しようと準備をしています。残った部材から過去のコードを読み取るというのも、一つの新しい技術といえます。

中村: それを読み取ることで、ただ過去のものを真似するだけでなく、よりよいものが生まれるわけですね。それはまさに生物的であり、とてもいいことですね。

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3. 魅力的な都市の条件は時間性と多様性にある ――進歩ではなく、特徴を生かし展開すること

3. 魅力的な都市の条件は時間性と多様性にある
――進歩ではなく、特徴を生かし展開すること

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野城: 街の魅力を考えるときに、時間軸上での積み重ねがあるということとともに、生物が進化とともに多様化してきたこととアナロジーな原理が作動できるかどうか、が鍵になりそうですね。

中村: ただここで注意しなければならないのは、「進化」という言葉です。進化とは英語ではevolve、evolutionですが、これを訳すときに日本語は"進む"という字を用いてしまった。まさに先ほどの進歩史観と重なるのですが、進むという文字のせいで、進化は進歩と捉えられているのです。しかし実際には、evolveとは「絵巻を広げる、展開する」という意味であり、一番すばらしい生き物に進歩することではありません。つまり、できるものは何でもやってみる、広がりをつくるというのが進化であって、だからこそ地球上には数千万種類もの生物が存在する。人工物の世界でも、できることは何でもやってみるとか、その土地に合ったそれぞれの技術を発展させる、でいいのではないでしょうか。

野城: 私は科学技術というときに、「科学・技術」といった具合に、二つの言葉の間に「・」を入れることにこだわるのですが、それは、科学ではつねに最新の知の発見が求められるのに対して、技術はある課題を解くためにあるもので、課題解決のためにはよその国のものや昔の技術に倣うこともあるわけで、必ずしも新しいものを求められるわけではないからなんですね。お話を伺っていて、昔の知恵を生かしたり、組み合わせたりすることも非常に重要だと改めて認識しました。

中村: 生物学者のフランソワ・ジャコブは、「生物は鋳掛屋(ブリコラージュ)だ」と言っています。鋳掛とは、鍋や釜の壊れた部分を、はんだなど、あり合わせのもので修理することですが、ようするに、あり合わせのものを寄せ集めてつくっていると。そうでありながら、なかなか魅力あるものをつくれるのが生き物の良さだとジャコブは言う。人間という素晴らしいものをつくろうと思ってつくったわけではなくて、あり合わせのものを組み合わせているうちに人間ができた、ということなんです。

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野城: それこそが、まちの本来のあるべき姿ですよね。道をどこに通すかなどといったまちづくりの大筋は当初決めておかなければいけないけれど、そのあとはそのとき、そのときの状況に応じてあり合わせのものを組み合わせてevolveしていくという。

中村: そこで私の考える都市像ですが、まず一極集中では面白くないと思うのです。北海道から沖縄まであって、雪も降れば、熱帯性の植物も育つ。富士山もあれば、1万mの日本海溝もある。これほど自然のバラエティに富む国は、他にないでしょう。この多様な自然を生かしてまちをつくったら、世界一魅力的な都市が生まれ、その集合としての国が生まれるはずです。

野城: 一極集中については、二つの側面があると思います。一つはこれだけ東京を中心に公共交通機関が集まると、どうしてもそこに人やモノが集まるということと、それを生かさないともったないないということ。もう一つは、大都市の一方で「疎」な場所ができてくるわけですが、本来ならそこでは自然を生かし、大都市とはまったく違う発想で自然光や自然風を取り入れたまちを築くことができるはずなのですが、大都市と同様の手法で人工照明を取り入れたり、空調を取り入れたりしてしまっているということです。

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中村: そう、最近のビルは窓を開けることができないんですよね。私は閉所恐怖症なので、本当に困ってしまいます。家ではいつも窓を開けていますが、そうすると必ず「風の道」ができます。そこで本を読むととても気持ちいいんですよ。冬は薪を燃やしていますが、これもまたとても気持ちがいい。もちろん都心の高層ビルで窓を開けるのは不可能ですが、ありとあらゆるところで窓を密閉してしまうなんてもったいないことです。

ところで、先進国の条件は、二つあって、一極集中で、食糧自給率が低い先進国は存在しないのです。そうやってみると、日本は先進国とは言えない。もっと平らに、イメージとしては50?60万人くらいの、金沢ほどの規模で多様な都市をいくつもつくって、食糧自給率を上げていけば、先進国になれると思うのですが。

野城: ある意味、江戸時代はそうだったかもしれませんね。藩体制によるオートノミーがあって、国土全体がもっと多様だった。

中村: 実は今も日本人は、県ではなく藩を背負っているんですよね。愛知県の尾張の出身の人に三河ですか?なんて言うと叱られてしまいますよ(笑)。もちろん江戸時代に戻ることなんてできませんし、そうすべきだとも思いませんが、そういう藩により培われた風土をベースに、現代の技術と社会システムを生かしていくということができれば、面白くなると思います。

* 画像(上) 「生命誌絵巻」 協力:団まりな、画:橋本律子、提供:JT生命誌研究館

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4.循環と組み合わせと可塑性に学ぶまちづくり ――生命論的世界観で都市を再生する

4.循環と組み合わせと可塑性に学ぶまちづくり
――生命論的世界観で都市を再生する

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野城: もう一つ、お話で出てきた「組み合わせ」の重要さということも、建築にとって大変示唆に富むお話でした。現在、建築というのは、それぞれの条件に合わせてパーツを個別に生産しているものが多く、無駄が多いのです。どういうパーツを用意すれば、それを組み合わせることで、多様な条件に対応できるかということが、建築の永遠の課題ともいえます。

中村: それを生物はやっているわけです。ハエも人間も同じ遺伝子を使っているわけですから。先ほどお話したように、循環、組み合わせ、可塑性という視点が、今の技術には欠けているんですね。循環についてはリサイクルが始まっていますが、生物に倣うなら、リサイクルではなく「サイクル」でなければいけませんね。

野城: とくに可塑性というのは難しいですね。技術でいえば、自己修復ということになるかと思いますが、これを人工物で実現するためのハードルは非常に高い。

中村: ドイツの物理学者で、不確定性原理を発見したヴェルナー・ハイゼンベルクは、自伝『部分と全体』の中で、生物と人工物の違いをヨットと鯨にたとえました。ヨットと鯨がぶつかったらお互いダメージがあるだろうが、ヨットは誰かに直してもらわなければならないが、鯨は自らを治すことができる、その違いは何だろうといったことを述べています。まさにそれが生き物の素晴らしさなんですね。

野城: 現在、自己修復機能は、機械・生体系システムの大きなテーマにもなっています。生体はなぜそうした機能をもっているのか、それが人工的にできないか、と。さまざまな取り組みが始まっています。

中村: 生物の自己修復の中には、トカゲの尻尾のように再生するものがありますが、この再生のメカニズムは、さきほどの発生、デベロップメントと同じなんですよ。発生と再生は同じ。そのあたりも一つのヒントになるかもしれませんね。

野城: なるほど面白いですね。

ところで、よく外国人の方が、東京は混沌としていて面白いとおっしゃいますが、これもその土地固有の特徴が生かされてきたデベロップメントの結果なわけですね。エレメントはどこにでもあるものだけど、その組み合わせが面白く、多様性に富んでいると。

中村: そうです。東京の混沌としたまちは、組み合わせの妙があり、自然発生的に生まれてきたからこそ面白い。だから歩きたくなるのです。 今日はたくさんワガママな意見を言わせていただきましたが、まちを生命論的世界観で再生していくことができたら、今よりも格段に魅力的なまちへと生まれ変わるのではないかと思います。

野城: 本日は大変長いお時間にわたって、貴重なお話をいただきまして、誠にありがとうございました。

丸の内地球環境新聞 都市ECO未来会議

対談後記 野城智也氏

「生物がこれだけ多様に進化してきたにもかかわらず、実は、その構成要素そのものの種類は限られている。言い換えれば、生物は限られた部品を用いて、これだけの多様性を生み出している」――生物誌を専門とされている方々には常識であるのであろうが、小生のような浅学非才の者にとっては、実に驚くべきことであり、世の中の見方が塗り変わるほどの啓発を受けた。建築・都市を造り出してく世界に身をおく者にとって、多様性を実現していくことは、いま至上命題といってもよい。
中村先生も指摘されているように、単用途もしくは限定用途のゾーンとして都市を塗り分け、そこに世界中どこにでもあるような建物を並べていくようなまちづくりのあり方がいかに問題があるのか、私たちは過去半世紀以上の数々の手痛い経験のなかから学んできた。そのような20世紀のまちづくりのあり方は、開発という意味でのdevelopment(=時間軸上での1点の事象としてのdevelopment)ではあったかもしれないが、成長という意味でのdevelopment(=時間軸上での連続事象としてのdevelopment)ではなかったのである。いかにしてまちが成長していくようなメカニズムを生みだし埋め込んでいくのか、私たちは、あの豊穣な生物誌のなかから、学び取っていかねばならないと思う。
私たちは、多様性が大事なことは、単純化を指向した過去の失敗から学んではいて、建築単体レベルでも、都市レベルでも、多様化を実現しようと、あれこれ心を砕いている。しかし、そのために、部品レベルでもやたらと個別性を追求し、無理無駄なコストを払ってしまっていることも否めない。"多様性は、部品レベルでの多様性ではなく、その妙は組み合わせ方に有り"、と発想を大きく転回し、生物誌からどしどし学んでいかねばならない。中村桂子先生、新鮮な驚きと刺激と、そしてみずみずしい感動を与えていただき本当に有り難うございました。

MADOKA's EYE今回の取材を終えて、編集記者からのヒトコト

中村先生のお話を聞けば聞くほど、生物の素晴らしさを実感するとともに、私たち生き物にとって本当に何が必要なのか、深く考えるきっかけとなりました。紙数の関係から対談の中に収録できなかったのですが、中村先生の「生きる力」のお話も印象的でした。それは、1年間にわたって農業を手がけた子どもたちとの付き合いの中で実感されたそうですが、笑顔が素晴らしく、交渉能力に優れ、プレゼンテーション能力に長けた、その子らを見て、これこそが生きる力だと感じられたといいます。1年農業を手がけただけで、生きる力を身につけさせた自然。人間を含めて、生き物を育む自然の偉大な力を改めて感じたお話でした。

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