
第14回地球大学アドバンス「日本のスローフードの先駆者」
日時:
2009年1月15日 (木) 18:30〜20:30 ※終了しました
ゲスト:
藤田和芳氏 (「大地を守る会」会長)
モデレータよりコメント
食品偽装や中国ギョーザの問題などをきっかけに、食の安全性や日本の食糧自給率について関心が高まりつつあります。自分の食べるものは、誰がどこでどうやって作っているのか?マスの都市生活のなかでも、生産者との顔のみえる関係を構築することは可能か?----こうした問題に最も早くからとりくんできたのが「大地を守る会」です。30年以上前から有機農産物の顔のみえる流通を開拓するとともに、近年はフードマイレージ・キャンペーンや「100万人のキャンドルナイト」のムーブメントを創始するなど、地球環境を意識した先駆的なとりくみが光っています。今回は、有機農業による都市の食料自給で有名なキューバの視察からお帰りになったばかりの藤田和芳会長に、その土産話も含めて、その実践を支えてきた思想、世界の食と農をめぐる状況、これからの展望について縦横に語っていただきます。
プロフィール
藤田和芳(ふじた・かずよし)
1947年岩手県生まれ。1975年に有機農業普及のための NGO「大地を守る会」設立に参画。1977 年には、大地を守る会の流通部門として、社会的企業のさきがけとなる「株式会社大地」(現・株式会社大地を守る会)設立。有機農業運動をはじめ、食糧、環境、エネルギー、教育等の諸問題に対しても活動を展開し、世界各国の農民との連携も深めている。
現在、大地を守る会会長、株式会社大地を守る会代表取締役、「100 万人のキャンドルナイト」呼びかけ人代表、アジア農民元気大学理事長などを兼任。著書に『いのちと暮らしを守る株式会社』(共著:学陽書房)、『農業の出番だ!「THAT'S(ザッツ)国産」運動のすすめ』(ダイヤモンド社)、『ダイコン一本からの革命』(工作舎)大地を守る会ホームページ
竹村真一(たけむら・しんいち)
Earth Literacy Program 代表
エコッツェリア・コンテンツプロデューサー
京都造形芸術大学教授。Earth Literacy Program代表。東京大学大学院文化人類学博士課程修了。地球時代の人間学を考究しつつ、ITを活用した独自な地球環境問題への取組みを進める。
Sensorium(97年アルス・エレクトロ二カ・グランプリ受賞)、デジタル地球儀「触れる地球」(05年グッドデザイン賞・金賞)や「100万人のキャンドルナイト」「aqua scape」など、さまざまなプロジェクトを推進。環境セミナー「地球大学」主宰。07年「water」展ではコンセプト・スーパーバイザーとして企画制作に携わる。08年7月の北海道・洞爺湖サミットでは、 国際メディアセンター(IMC)内の環境ショーケースにおける「地球茶室」の総合企画・プロデュースを担当。
新著「地球の目線」(PHP新書)など著書多数。2009年4月26日よりラジオ「GLOBAL SENSOR」がJ-WAVE 81.3にて(偶数月の第4日曜25時〜)放送開始。
竹村真一プロジェクトサイト: http://www.elp.or.jp/
イベントレポート
「大地を守る会」について
#竹村さん
ファーストフードは何も「マクドナルド」に象徴されるものだけではなくて、何でも促成栽培で作られていて、食べるものが「ファースト」な形で工業化されている状況全体のことを指しています。それに対して、食べ物がまっとうに育てられ、流通され、調理され、人の口に入るという命のプロセス全体を担保していこうというのがスローフードの本質です。何もゆっくり食べることを楽しむだけのものではありません。同時に多様な生物、多様な調理の仕方があるというように、多様性があることが生命に対する最大の安全保障だと思っています。そういう意味でスローフードはとても大事な動きだと思っていますが、日本でもずっと前からそういうこと活動に取り組んでいる骨太な動きがあって、それを一番いい形で育てているのが「大地を守る会」だと思っています。「大地を守る会」を始められた経緯と、先だって視察に行かれたキューバの有機農業の現状についてお話いただきたいと思います。
#藤田さん
「大地を守る会」は1975年にスタートしました。当時は28歳。私たちの年代は学園紛争を経験していますが、私は結局一般企業に就職することになり、世界や社会のことを真剣に考えていたにもかかわらず、気が付いたら小市民的な生き方をしている自分を素直に見つめられない時期を過ごしていました。そんな中、政治の世界で社会を上から変えていくのではなく、人間が生きる原点である農業を通じて、大地から社会を見つめて変えていきたいという想いから「大地を守る会」を作ることになりました。
「大地を守る会」の特徴は、市民運動団体としての側面と株式会社としての側面を持っていることです。市民運動として環境問題や農業問題について発言したり活動したりする一方で、株式会社として全国の農家の人たちが作ってくれた農産物を都市まで運んで、消費者の玄関先まで宅配するという流通事業を行っています。登録会員は生産農家が2,500人くらい、消費者は90,000所帯くらいです。レストランや農産物加工会社も経営していて、年間売上は165億円くらいです。
ハイブリッド組織にした背景と無借金経営の誇り
ハイブリッド型の組織にした背景には、「農業の問題、環境の問題に関しては市民運動・社会運動だけではダメだ」という想いがありました。私たちが目指したのは、農家の人たちが農薬を使わなくても済むような生産の技術やシステムを作り、出来上った農産物を誰かが買ってくれて、食べてくれて、来年もまた農薬を使わずに済むような全体の環境を整えてはじめて、状況を変えることが出来る、というところです。
会社は無借金で経営しています。これを「自立の証だ」と誇りを持っています。社会運動をしながら次の時代を作っていく、新しい経済システムを作りながら事業をしていくために、私たちは時の農業政策に異議申し立てをしながら運動と事業を始めましたが、「外からの弾圧があった場合でも自分たちの力で生きていけるものを作っていこう」ということで、借金をしないで歯を食いしばってやってきました。
キューバが有機農業に取り組んだ背景
1959年にカストロが政権を取って以来、キューバはアメリカから経済封鎖を受けてきました。ソ連を中心とする東欧諸国がアメリカに対抗するためにキューバを支援してきましたが、1991年にソ連が崩壊し、あらゆる援助がストップしました。食べ物だけでなく、キューバの農業を支えていた農薬や化学肥料や農機具までもが止まり、カストロは、国家非常時体制の中で国家食料計画を打ち出しました。「農薬がなくとも化学肥料がなくとも、自分たちの土地を使って農業をして自分たちの食べ物を生産する」という決意の表れで、有機農業しかなかったということです。
カストロの「国家食料計画」
カストロは「あらゆる場所に食べ物を作れ」と、三つのことを言いました。一つは家庭菜園。庭でも公園でも屋上でもいいからとにかくやろう、と。二つには国営の研究菜園を全力でやる、ということです。日本でいうと大学の農学部や研究機関で農薬や化学肥料を使わなくとも生産できるような様々な実験・研究を行ったわけです。そして三つには人民菜園で、これがすごく威力を発揮していました。共同生活をしながら農作業をするというもので、都市周辺にものすごい勢いで出来ていました。そこでの収穫の80%は国の指定するところに安く出して、残りの20%は好きな所に売っていいというやり方でした。
キューバ有機農業の実態
ほとんどのところでミミズ堆肥を使っていたのが印象的でした。他にもいろんな農法がありましたが、一番大胆だと思ったのは混植でした。葉物の野菜があって、根菜のじゃがいもを植えて、トマトがあってというように、まるで畑そのものが雑草のようになっています。どこの農家でも、「効率は悪いけれど虫や病気にはこれが一番いい」と言っていました。虫や病気はある特定の条件で発生することが多いのですが、混植をしていると、ある虫が好きな色の近くに嫌いな色があったり、ある虫が好きな臭いの近くに嫌いな臭いがあったりして、虫や病気が蔓延することを防いでくれるわけです。
キューバ社会における農業の位置づけ
ハバナ市内に農業を教えてくれる農業相談店が非常に多かったのが印象的でした。中心部で52カ所、周辺も含めて450カ所もあるということです。そこに家庭菜園をやる人が大勢相談に行っていました。農家の収入は医者の2倍ということにも驚きました。キューバの医療制度は世界的にもすごくて、医療費無料、医学部の学費無料で165人に1人医者がいます。海外で災害が起きるとキューバから多くの医者が派遣されて、キューバの医者というのは人々から尊敬されている職業ですが、農家の方が医者より収入がいいというのが、農業の地位の高さを示していると思います。
多様性国家キューバの可能性
キューバという国は人種差別が世界でも最も少ないという話を聞きました。街の治安もとてもいいし、白人、スパニッシュ、インディオの混血、黒人とか色んな人たちがいますが、私が見た限り差別は感じられませんでした。キューバは50年間経済封鎖をされ続けていてとても貧しい状況ですが、人種差別が世界一少ないとか、医療費が無料とか、農家の収入は医者の2倍とか、治安がよくて犯罪が少ないとか、そういうことを見るにつけて、カストロやチェ・ゲバラがやろうとしたことの意義を感じました。それは農業のあり方にもつながりますが、混植にしろ、人種にしろ、あらゆるところで多様性を認めていることです。あらゆるものを混在させて、多様性の中で生きていく社会の姿を見て、貧しさとは違う次元の豊かさを見たわけです。日本もキューバから学ぶべきことは多いと思いました。
キューバの現状と世界の食料事情から食糧日本の農業を想う
日本の食料自給率が40%以下ということに私はすごく心を痛めています。ものすごい勢いで世界の人口が増えている中で、いずれ世界中で食料が不足するだろうと思っています。日本の農業の現実を見てみると、耕作地457万haのうち、耕作放棄地(何年も耕作していない土地)が39万ha、不作付地(たまたたその年に耕作が行われなかった土地)が20万haと、十数パーセントの耕地を遊ばせておきながら世界中から食べ物を買ってきています。後継者がいなくて技術が伝わらないとか、農業従事者の数が減っていくということも言われていて、日本の農業を何とかしなければいけないという想いを抱いています。日本の政府関係者も研究者も、有機農業では日本の人口を賄う食料自給なんてできないという人もいますが、キューバの現実を見て、国を挙げてやろうとすれば出来る、日本でも本気になってやれば出来るはずだ、と思っています。
#竹村
キューバで農業と言えばもともと輸出用のサトウキビでしたが、ソ連がいなくなり、石油もないから田舎で食べ物を作っても輸送も出来ないということで、都市でやるしかなかったという事情があると思います。それが、統計の取り方にもよりますが、基本的な作物については200万都市のハバナで自給ができるようになったというのは有機農業、都市農業の成功例だと思いますし、近未来の地球の成功例だと思います。200万の人口を擁するハバナでの都市農業は、規模からして東京も縁遠い話ではないと思いますし、日本でも200万を超えている都市は数えるほどしかなく、日本にも適応できる部分があるはずだと思っています。
ところで、いい社会を作ろうという想いから農・食に向かわれた理由についてもう少し詳しくお聞かせ下さい。現代においてこそ食の問題というのはこれだけはっきり見えていますが、藤田さんが活動を始められた当時において、学生運動の挫折から食・農へ向かわれた経緯について詳しくお聞かせいただきたいと思います。
#藤田
先ほどは志から始まったような話をしましたが、実のところはいろんな偶然が重なりました。
有吉佐和子さんの『複合汚染』との出会い
一つには有吉佐和子さんの『複合汚染』という本との出会いです。日本の農業は、戦後になって近代化・効率化され、辛い労働からも解放され、収穫量も何倍にも増え、いいことづくめのように見えるけれど、失ったものがある、ということを訴えていました。昔田んぼや畑にいたはずの動物たちが次々と消えていっている、それは農薬の影響によるもので、動物たちに起きていることはいずれ人間の身に起きる、という警告です。私は岩手県の出身で、田んぼで触れたトンボやミミズやホタルは私自身の原体験になっていたこともあって、有吉さんの警告を強く実感しました。
農薬と戦う高倉さんとの出会い
もう一つ影響を受けたのが当時の『サンデー毎日』に掲載されていた、水戸に住んでいる高倉さんというお医者さんの記事です。高倉さんは旧満州で生まれ育ち、戦争中に毒ガスの研究をしていましたが、シベリア抑留を経て日本に帰ってきます。抑留中に精神を病んで、帰国後傷ついた心を癒すために戦友に会いに日本中を旅して回っていたところ、日本中の田んぼや畑でDDTが撒かれている光景を見て愕然としました。そして、自分が医者だったことをある日思い出します。「このようにDDTを撒いて作った作物を食べていては、いずれ中毒患者が出る。患者を救う医者が必要だ、僕は医者として故郷に帰って患者のために生きていこう」と決意します。案の定農薬中毒患者が病院を訪れるようになりましたが、事後的に対処していたのでは問題は一向に改善しないという現実に直面します。そこで、高倉さんはもともとミネラルの研究者だったこともあって、土壌を改良すれば農薬を使わなくても農業が出来るはずだ、と土壌の改良剤を作ります。そして地元の農家に対して「農薬を使うな」ということを説いて回っている、そういうことを伝えている記事でした。
生協での挫折
心惹かれるものがあって高倉さんに会いに行くと、高倉さんが農家の人のところに連れていってくれました。農家の方々は「本当は農薬を使いたくないけれど、農協の抜き打ち検査で虫食いの作物が見つかったら、キャベツがトラック一杯2,000円になってしまう、どこもまともな値段で買ってくれなくなるから農薬を使うしかない」と言っていました。それを聞いて私は「生協だったら買ってくれるはずだ」と、農家の方々と一緒に生協に行くことにしました。生協の人たちは話を親身に聞いてくれましたが、最後の最後に値段の話をしたら断られてしまいました。「有機農業だとどうしても1、2割は虫とか病気でやられてしまうから、農薬を使ったときよりコストがかさむけれど、それは安全な食や大地を守るための値段だ」という説明をしましたが分かってもらえませんでした。「産直なのに値段が高くなったら消費者が受け入れてくれない」と。何か所か生協を回りましたがどこも同じ反応でした。
最初は片手間で始めた野菜売り
大見栄を切ってしまった手前もあって、自分たちでやるしかなくなり、団地の一角で有機・無農薬の野菜を売り始めました。当時はサラリーマンでしたが、だんだんと支持者が増えて土日は野菜売りで埋まっていき、そのうちに平日もやってくれと頼まれるようになり片手間では対応できなくなってきました。妻も働いていたこともあって自分の収入がなくなっても何とかやっていけるだろうと思い立ち、独立して八百屋になりました。「頑固な八百屋」と書いたトラックで売り回っていました。それが「大地を守る会」の始まりです。
#竹村
団地で買ってくれた方々は、値段が高いことについては納得して買ってくれたのでしょうか?
届いた有機・無農薬の価値
#藤田
買ってくれた主婦の方々は、多くが田舎から出てきた人で、農業の現状も分かるし、安全なものを作る人がいなくなったら自分たちが安全なものを食べられなくなることも分かっていて、1〜2割の負担は受け入れてくれました。当時の生協はモノを大量に仕入れてその分単価を下げて消費者の生活を防衛するという、大量生産・大量消費の文脈の中にいた存在だったために、有機農産物が出てきたときに受け入れられなかったのだろうと思っています。
#竹村
量を増やすことでコストを低く押さえたり効率化したりというのは工業製品の論理で、農業の論理は明らかにそうではないのに、社会がそういうものしか受け入れられなくなってしまったのはなぜだとお考えですか?
数字だけではない豊かさを
#藤田
理由はちょっと分からないのですが、幸せになることはモノがたくさんあることだとか、お金がたくさんあることだとか、戦後になって日本は一斉にそういう方向に向かったと思っています。思想を問わない数字だけが社会や人間の豊かさの指標になってしまいました。今改めて、社会や国、人間と自然の関係が問われていると思います。
#竹村
有機・無農薬で食べ物を作る価値を、団地で面と向かって伝えていたころと比べて規模が格段に大きくなって、コミュニケーションのあり方は変わったと思うのですが、どうやってその価値を伝えているのでしょうか?
顔の見える関係づくり
#藤田
何より重要だと思っているのは生産者と消費者の交流です。年に200回を超える交流イベントを企画していて、秋には土日は必ずどこかでイベントがあるという状況です。80年代まではなかなか人が集まりませんでしたが、バブル後90年代に入って産地に行く人が少しずつ増えてきました。2000年代になってからは、男性が出てくるようになって状況が大きく変わったように思います。CSRとか環境問題の意識が広まってきたことが背景にあると思っています。お互いの顔が見えるというのはとても重要なことだと思っています。たとえば戦争は相手のことが分からない、相手の顔が見えないときに相手に対して攻撃的になって起こるものだと思っていますが、相手側によく知っている人がいれば、むやみに戦争を仕掛けようということは減るはずです。関係性を作ることが、戦争の最大の抑止力だと思っています。そして、同じことが生産者と消費者の関係にも言えます。誰が食べているか分からないから高く売れればいい、誰が作っているか分からないから安く変えればいいという関係を超えて、お互いのことを分かりあえるようになるというのは、安全で豊かな食・農を作っていく上でとても大事なことだと思っています。
#竹村
農薬から始まって安全な食べ物を作ること、生産者と消費者の切れた関係をつないでいくことから、今さらにその段階を超えて、生命的なプロセスを誰もが経験できるような産業に入ってきているように思います。
農・食を通じた世界平和への貢献
#藤田
私たちは世界の平和にも貢献したいと思っています。「大地を守る会」では日本の農業を守るために98%くらいが国産のものを使っていますが、日本でどうしても作ることができないものはフェアトレードで取り扱っています。対等なだけではなく、物を通じて相手の地域のことを考えていける関係を築いていこうと思っています。
そうした中で3年くらい前からオリーブオイルをパレスチナから買っていますが、現地の状況を少しでも改善したいと思い、オリーブオイル購入者を中心に「パレスチナに平和の農道を作ろう」と寄付を呼びかました。1,500人の方から1,000円ずつ150万円を集めることができ、1.3Kmの農道を作ることができました。現地の方々がとても喜んでくれましたし、農や食べ物を通じて世界の平和に貢献したいという想いを形にすることもできてとても嬉しく思っています。だからこそ、最近のイスラエルのパレスチナへの侵攻にはとても心を痛めています。
#竹村
南アフリカでもいろいろ活動をされていますが、海外との関わりを持つきっかけは何だったのでしょうか?
人とのつながりから開けた世界
#藤田
人とのつながりが全てです。もともとオリーブオイルは小豆島のものを取り扱っていましたが、会員が増えてきたこともあって足りなくなってきていました。そこでいろんな人に相談していたら、フランスのNGOでアラファトを守ろうという活動をしている人たちとつながって、その人がパレスチナのオリーブ畑を紹介してくれました。イタリアなどにも産地はありますが、私たちが世界のどこに関わっていくのかということを考えたときに、パレスチナと関わっていきたいという想いがあってパレスチナに決めました。
#竹村
海外から物を買うときも「大地を守る会」にとってはその向こうに人がいるということなんですね。


















