丸の内地球環境倶楽部

第17回地球大学アドバンス「総論『希望の地球』 ー モデレーター竹村真一氏による基調講演」

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日時:
2009年4月27日 (月) 18:30〜21:00 ※終了しました

基調講演:
竹村真一氏(エコッツェリア・コンテンツプロデューサー)

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モデレータよりコメント

4月からの地球大学アドバンスは、「希望の地球」を全体テーマに、装いも新たにスタートします。

地球温暖化に対する認識はようやく社会に浸透し、日本版グリーン・ニューディールを叫ぶ声も大きくなりつつあるものの、その目線はまだ近視眼的で欧米追従的なものが多いのが現状ではないでしょうか?でも、いま本当に求められるのは、対症療法的な景気刺激策や新規雇用対策にとどまらず、次世代が何で食べていくのか(次の基幹産業論)、気候変動や食糧・エネルギーの需給変動リスクに強い、ロバストな社会・都市構造をどうデザインしていくか、という長期的で骨太な論議であるはずです。

新年度の地球大学では、こうした問題を毎回ビジネスと学術の双方からゲストを招き、グランドビジョンとともに具体性のあるソーシャルデザインとして提示していく所存です。また、より参加性を高めるべく、終了後毎回1時間、交流会を開催します。

拙著「地球の目線」(PHP新書)で提示したビジョンの実践編、「希望の地球」の具体化にむけたプロセスとして、1年間お付き合いいただければ幸いです。

トピックス

・新たな地球像〜「好都合な真実」に祝福された星、地球的日常の宇宙的破格さ

・都市は「自然の一器官」として進化しうるか?〜地球「工」学ビジョン
・「変動」を前提としたロバストな文明デザイン〜水・食糧・エネルギー・気候変動
・"サステナビリティ"(持続可能性)を超えた、次世代の文明尺度
・年間計画:"希望の地球"への見取り図

プロフィール

竹村真一(たけむら・しんいち)竹村真一(たけむら・しんいち) Earth Literacy Program 代表 エコッツェリア・コンテンツプロデューサー

京都造形芸術大学教授。Earth Literacy Program代表。東京大学大学院文化人類学博士課程修了。地球時代の人間学を考究しつつ、ITを活用した独自な地球環境問題への取組みを進める。

Sensorium(97年アルス・エレクトロ二カ・グランプリ受賞)、デジタル地球儀「触れる地球」(05年グッドデザイン賞・金賞)や「100万人のキャンドルナイト」「aqua scape」など、さまざまなプロジェクトを推進。環境セミナー「地球大学」主宰。07年「water」展ではコンセプト・スーパーバイザーとして企画制作に携わる。08年7月の北海道・洞爺湖サミットでは、 国際メディアセンター(IMC)内の環境ショーケースにおける「地球茶室」の総合企画・プロデュースを担当。

新著「地球の目線」(PHP新書)など著書多数。2009年4月26日よりラジオ「GLOBAL SENSOR」がJ-WAVE 81.3にて(偶数月の第4日曜25時〜)放送開始。

竹村真一プロジェクトサイト: http://www.elp.or.jp/

イベントレポート

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■地球環境問題を掛け声だけで終わらせないために・・・

「地球大学」を始めさせていただいて丸三年になります。ここ"エコッツエリア"に移る前は"大手町カフェ"という所で毎週開催しておりました。

 いま、世の中の地球環境への関心が非常に高まってきています。また、危機感も共有されつつあります。一方、研究者の間では、この二十年~三十年の間で地球に対する理解が急速に進展してきました。

こうした中、よく「地球を守れ」という掛け声が聞こえてきます。しかし、私たちは地球を守れるほど地球をよく知っているのか? どうも、せっかく見えてきた新しい地球像が共有されないまま、「~を守れ、~を削減しろ」という掛け声だけが聞こえている。その辺に齟齬があるような気がしてなりません。

本日は、新しい地球の見方を象徴する三つビジュアルを用意しました。曼荼羅、小麦、棚田です。これらの説明に入る前に、まず新しい地球観を共有していきたいと思います。

また、本日は講座終了後に懇親会も用意されています。いま食の問題も重要なテーマになっています。地球食に思いを馳せ、お食事も楽しみながら本日の講座の感想などを交歓していただければと存じます。


有難い星、地球。
地球的日常の宇宙的破格さに21世紀のリテラシーを思う。

第一に、地球はこの宇宙の中で稀に見る「有り難い」星だということです。少なくとも、これだけ遠くまで宇宙を観測しても生物はおろか、水のある星そのものがめったにない。地球は表面の7割が水で覆われています。ですから、地球というより"水球"と呼ぶべきだと私はよく申し上げるのですが、この液体の水が存在する「有難さ」で意外に見落とされているのが気候調節機能です。いま、地球の平均気温がプラス15度に成り得ているのは、水のバッファー機能のおかげです。実は地球は「温室効果」という布団によって守られている。つまり、温室効果は「不都合な真実」ではなく、「好都合な真実」なわけです。

昨年出版した『地球の目線』という本に、「地球的日常の宇宙的破格さ」というタイトルをつけた章があります。地球では当たり前の日常が宇宙的な文脈で見るとどれだけとてつもないことか。私は、地球にせっかく生を受けたものとして、宇宙的な視野で見た、この地球のレアさ、有り難さ、破格さ、それを認識することなしに、また、科学的な洞察を通じて理解していくことなしに、本当の意味で共生していく道が見つかるのか、ということをいつも思うのです。

さて、「好都合な真実」、そして「有り難い」星としての地球の側面を最も象徴しているのが「太陽エネルギー」です。科学者の試算によれば、地球に降り注ぐ太陽エネルギーの量は、人類におけるエネルギー量の約一万五千倍であるとされています。かなり石油メタボ体質になっている人類の浪費的な現代文明ですが、エネルギーだけの話であれば、太陽系のあらゆる星が太陽からエネルギーを受け取っています。では地球では何が違うかと言うと、そのエネルギーが知的かつ美的な省略を行っているということです。つまり、太陽エネルギーが、植物たちに光合成によって捕獲され、それが複雑にフォルムをつくって有機物という複雑な構造をつくっていく。この「インフォルム」が「インフォメーション」の言葉の根になっていると私は思っているのですが、そのおかげでこんなにも多様で美しい生物たちのドラマが展開しているわけです。

そこでこの「曼荼羅」です。真ん中に大日如来、太陽信仰です。そのまわりに様々な仏様が現れ、末端の方には餓鬼畜生がいます。私はこの宇宙の中で、ことさら例外的に、奇跡的な進化のジャンプを遂げ、生命の多様性の世界をつくっている地球を表現するのにこれほど雄弁なビジュアルはないと思っています。

よく私が引用する「枯れ木に花咲くに驚くより生木に花咲くに驚け」という江戸時代の三浦梅園の言葉があります。人によっては、「季節はずれの花が咲くと環境のことをいつも思うようになります」とおっしゃる方もいます。それはそれで大事なことですが、季節はずれの花に環境を思うより、「季節どおり当たり前に花が咲く」という中に地球や環境の本質を見る、そこが21世紀の地球リテラシーなのではないかと私は思っています。

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変動する星、地球。
不都合な変化に適応しロバストな文明を築く。

二つ目の地球観は「地球は変わるものだ」ということです。例えば、4億年前にできた「緑の大地」も46億年の地球の歴史から見ると本当に最近のことです。6千年前に起こった縄文海進の頃は、現在より気温も高く、海面も今より最低でも7メートル、最高では20メートルぐらい高かったという説もあります。ただし、人類が文明を育んだこの5千年や1万年が、地球の歴史の中でも例外的に気候が安定した時代であったのは事実のようです。私たちは、比較的安定したこの時代の中で、「地球は変わらないものだ」という感覚がベースになってしまった。

ダーウィンの言葉に「最もサバイヴする生物は最も優れた強い生物ではなく最も変化に適応しうる生物である」という表現があります。こんなに多様な環境に一つの種で適応した種は、私たちホモサピエンスサピエンス以外にいません。そういう意味では、本来人類は、最も適応性の高い種です。

我々の細胞は一日三千億個入れ替わっています。私たちがなぜ日々このかたちを維持できるかというと、エントロピーの法則に抗して自らを壊すよりも早いスピードで自らを壊し続け、自らをつくりなおし続けているからです。そういうクリエイティビティの最たるものが人類であり、これまで何度も気候変動を経験し、災いを利に転じてきた。その象徴がここであげた第二のビジュアル「小麦」です。

人類はなぜ農耕を始めたのでしょう? 最新の古気候学の常識では、そのきっかけがヤンガー・ドリアス期と言われる約1万3千年前の温暖化による寒の戻りであるとされています。人類は寒冷化、乾燥化した気候の中でも健気に育つ小麦を発見し栽培を始めた。つまり、人類の現代文明を作り出す大きなチャプターとなった農業革命も実は気候変動への適応であったわけです。

地球は変化が絶対なのです。それを地球の本質として受け止め、また、私たちが百数十年の営みの結果、地球のリスクを増幅していることも前提としながら、気候変動にロバストな文明をつくっていく。火山の噴火であれ、洪水であれ、ある程度不都合を受け入れながら強靭な文明をつくってきた日本人として、21世紀の科学技術を使ってやるべきことではないかと思っています。

生命と共進する星、地球。
サスティナブルを超えて未来へつなぐ。

さて、農耕革命はもう一つ、「人工自然」の象徴でもあります。三つ目のビジュアルとして「棚田」を撰んだのは、先ほどの小麦をはじめ、そもそも人工ではない自然があるのだろうか? という疑問です。人工の「工」は、上の棒が「天」、下の棒が「地」、その間を結ぶ人の営みを表す字形だそうですが、人間は環境を破壊するばかりのガンではない。天地を結ぶコーディネータとしてより高次の自然に奉仕もしています。

我々日本人も、急峻な地形のために洪水と渇水を繰り返すファストな水を灌漑し、棚田や水田という天然のダムをつくることで水をスローにリ・デザインし、その結果、他の生物が繁殖しやすい好都合な環境を自然と共同でつくりあげてきた。

私は本音ではサスティナブルという概念を超える概念が必要なのではないかと思っています。サスティナブルというのは、これまでを持続させる、今の地球をいつまでも、というイメージがありますが、本来の地球や人類の本質にそぐわないんですね。

確かに、地球の一部地域に局在した石油資源や、一部の国で生産しうる食料に全人類が依存している現状をリセットしていくのは何よりも急務です。また、人口増加や都市化という時限爆弾など、未曾有のリスクは山ほどあります。

これらのことを含めて、サスティナブルを超えたモデルにリセットしていく。そういう可能性を日本が、あるいは気候変動に脆弱な沿岸ゼロメートル地帯を大量に持ち、大人口を抱える東京が示すことができるならば、地球全体のプレゼントになるはずです。そういう意味でも、東京オリンピックは地球のためのオリンピックとして、是非招致するべきだと思っています。

最大のリスクは我々の文明そのものです。リスクマネジメントまで含めて都市が自然の一器官として呼吸できるような文明をつくっていきたい。それを全力でソーシャルデザインの中にビルトインし、二十年後には全く違うパラダイムの社会が動いている、そういうデザインを子どもたちにも提供してきたい。

太陽光パネルや、リチウム用電池など、新しい地球に必要なデフォルトシステムの基盤をすでに持っている日本です。我々が明確な理念とグランドデザインを持てば、オバマのグリーン・ニューディールも本来のジオ・エンジニアリングの広い文脈に移し変え、世界をナビゲートできるのではないでしょうか。不都合を受け入れつつ共生する。そういう「希望の地球」の時代が来ていると思います。

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