
第28回地球大学アドバンス~"人類のターニングポイント"
日時:
2010年3月5日 (金) 18:30~21:00 ※終了しました
ゲスト:
枝廣淳子氏(環境ジャーナリスト 有限会社イーズ代表)
モデレーター:
竹村真一氏(Earth Literacy Program 代表・エコッツェリア・コンテンツプロデューサー)
モデレータよりコメント
COP15の宿題を持ち越して2010年を迎えた地球社会。温暖化のデータ改ざんが問題になった「クライメート・ゲート事件」に象徴されるように、地球温暖化問題に対してはいまだ懐疑論も多く、90年比マイナス25%を掲げた新政権下の日本でも、社会変革の歩みは必ずしもスピードアップしているとはいえません。
しかし仮に地球温暖化論が杞憂だったとしても、いずれにせよこれまでのように石油には頼れないし、人口爆発ともあいまって食糧危機の足音も確実に近づいている。温暖化の是非にかかわらず、人類社会は大きな転換点を迎えており、気候変動のリスクはそうした転換をスピードアップするチャンス(好都合な真実)である。――これが「地球大学」が4年間一貫して提示してきた基本理念です。
COP15も生物多様性のCOP10も、地球と人類の新たな関係をデザインしていくワクワクするような旅のほんの始まりにすぎません。瞬間風速的な日々のニュースに惑わされず、現代がどこへ向かう「途上」なのか?昨今の経済危機も含め、どこへ跳ぶためにかがんでいるのか?を一人一人が考えるべき時に来ています。
地球大学アドバンス今年度の最終回は、環境ジャーナリストでアル・ゴア「不都合な真実」「私たちの選択」の訳者としても知られる枝廣淳子さんとの討論を通じて、2010年の私たちの立ち位置を明確にしてみたいと思います。
トピックス
●本当に大切なターニングポイントに立つ私たち
●「コストリテラシー」を養う大切さ
●枝広さんがみた2009~10年"世界の動向"~アル・ゴアの新著の反響も含めて
●「温暖化論のホンネ」~懐疑論者との討論で見えてきたこと
●この3年で日本は何をやるべきか?
モデレータープロフィール
竹村真一(たけむら・しんいち)Earth Literacy Program 代表
エコッツェリア・コンテンツプロデューサー
京都造形芸術大学教授。Earth Literacy Program代表。東京大学大学院文化人類学博士課程修了。地球時代の人間学を考究しつつ、ITを活用した独自な地球環境問題への取組みを進める。
Sensorium(97年アルス・エレクトロ二カ・グランプリ受賞)、デジタル地球儀「触れる地球」(05年グッドデザイン賞・金賞)や「100万人のキャンドルナイト」「aqua scape」など、さまざまなプロジェクトを推進。環境セミナー「地球大学」主宰。07年「water」展ではコンセプト・スーパーバイザーとして企画制作に携わる。08年7月の北海道・洞爺湖サミットでは、 国際メディアセンター(IMC)内の環境ショーケースにおける「地球茶室」の総合企画・プロデュースを担当。
新著「地球の目線」(PHP新書)など著書多数。2009年4月26日よりラジオ「GLOBAL SENSOR」がJ-WAVE 81.3にて(偶数月の第4日曜25時?)放送開始。
竹村真一プロジェクトサイト: http://www.elp.or.jp/
イベントレポート
■モデレーター:竹村氏 イントロダクション
地球大学4年目最終回を迎えました。年度の締め括りに相応しいゲストとして、全領域にお詳しい枝廣淳子さんをお迎えしました。また、自民党政権時代から現在の民主党政権と、温暖化政策などを立案するアドバイザリーボードのメンバーとして活躍しているお立場から、何がネックになって日本はいまひとつ動かないのかなどお話いただけるかと思います。
私がよく出す喩えに、「群盲象をなでる」というのがあります。我々は、地球という巨象の体温や体調と同調しながら文明を構築する転換期に立っています。この大きな認識転換のチャンスをどういう形で次に繋げていくかということが重要なのだと思います。
いま、子供たちは「地球は無くなるんじゃないか」などと言います。大学生でも「20年後僕も生きていないかもしれない」など、非常にもったいない話です。私たちは次世代に、新しい社会に対するポジティブなメッセージをもっと贈らなければならない。
リスクコミュニケーションと共に今の科学と社会のコミュニケーションのあり方をリセットし、どうデザインしていくか? そのあたりは枝廣さんがいつも一番苦労されながら考えておられると思います。今日はそういう問題提起をいただきつつディスカッションができればと思っております。
≪枝廣淳子氏 環境ジャーナリスト 有限会社イーズ代表 ≫
◆「移相」の時代~制約社会での成長
いま、世の中は環境問題より景気の方に関心がある人が多いと思います。温暖化に関する懇談会で同じメンバーだった元日銀総裁の福井さんは、「なぜサブプライム問題から景気がこんなふうになってしまったかというと、これまでの市場はお金さえ払えれば、資源もエネルギーもいくらでも取り出せる、二酸化炭素をいくら出しても何も変わらない、そういう前提で動いていた。しかし、資源やエネルギーに絶対的な限界があると気づいた途端に、新しい均衡状態を探そうとガタガタしている」とおっしゃっていました。私もその見立てどおりだと思います。
国づくりにしても企業の戦略にしても、未来が過去の延長線上にあるときにはこれまで通りが通用します。しかし、これからはそうではない。今は相が変わる「移相」の状態なのだろうと思います。
◆健全な懐疑論は科学の進歩を促す
最初に懐疑論の話をしようと思います。そもそも大前提として、温暖化議論のベースは"科学"です。科学では「査読」、ピア・レビュー(Peer Review)という審査を通過した論文だけが『Science/サイエンス』などの学術雑誌に載ります。IPCCはこの「査読」に通った学術論文を集めて全体として何を言っているかを見極める役割です。「査読」済みの論文の中には、温暖化に疑問を呈しているものもあります。ですから温暖化懐疑論をIPCCが排除しているわけではなく、査読されているものであればコメントが載るようになっています。問題なのは、日本でも世界でも、懐疑論者の主張は「査読」のプロセスを経ていないということです。これは単なる意見であって、客観性のある科学とは言えないということになってしまいます。
しかしながら、科学とは常に仮説です。温暖化についても、今の科学者の説よりも新しい説が出てくるかもしれません。ですから、「本当にそうなの?」という健全な懐疑論は必要です。それがあって初めて科学は進展する。
また、意見が違うからといって対話を止めてしまっては何も進みません。どこまで意見が一緒で、どこが違って、その違いはどこから出てくるのか。そういうことを丁寧に追っていくことは、コミュニケーションとしても重要です。
◆温暖化対策はリスクを判断基準にする
では、最終的に温暖化をどう考えるか? 私はリスクの問題だと思います。まず、科学者の合意を信じて、温暖化に対して何らかの対策をとる場合、懐疑論者が言うように何も対策をとらない場合、実際に温暖化が考えられていたような被害をもたらす場合ともたらさなかった場合、この4つのマスで考えることが出来ます。
科学者の言う通り、対策をとって、本当に温暖化の被害が大きかった場合は被害が最小に抑えられます。けれども、懐疑論者の意見を信じて対策を取らない場合、本当に温暖化が進んでしまったら大変な事になります。これはリスクです。もし懐疑論者の言う事を信じて対策を取らず、本当に温暖化が大した事がなかった場合は「対策しないで良かったね」と、それだけの話になります。
大きなポイントは、対策を取ったのに本当に温暖化は言われていたほどひどくなかった場合です。対策を進めた結果、私たちは何かを失うのでしょうか?
温暖化対策の意味合いだけではなく、社会を省エネや自然エネルギーに変えていくことは、この先どうしても必要になってきます。私たちの社会や人の心がボロボロになるような生き方や働き方を変えていく事も含めて、どっちみちやらなければいけないことなのです。私は社会を変える口実として温暖化を使ってもいいのではないかと思っているくらいです。
◆1.4個の地球?~変わらない地球規模、増幅する人間活動
温暖化だけではなく生物多様性、エネルギー、ピークオイル、食料と、いま何故、次々と問題がやって来るのでしょう? そもそもの大前提は、地球の大きさは決まっているということです。地球ができてから46億年、地球は1ミリも大きくなっていません。太陽光線だけは外から入ってきますが、それ以外は水もしかり、みんな地球の中を循環しているだけです。
そして、その大きさの決まっている地球上で、人間の影響が大きくなってきました。かつては人口が少なかったし、木を切っても、地下水を汲んでも、人力かせいぜい家畜の力です。けれども科学技術が発達してチェーンソーであっという間に木が切れるようになり、電動ポンプでスイッチさえ押せば好きなだけ水が汲めるようになった。その結果、地球に対する人間の影響がどんどん大きくなってきました。
エコロジカル・フットプリント(ecological footprint:EF)という指標があります。今の人間活動を支えるのに地球が何個必要かを計算した指標ですが、これが今1.4個です。でも地球は1個しかありませんから、必ず1に戻そうとする力が働きます。私たち人間が選んで1に戻すか、自然の力で1に戻させられるか、どちらかです。
◆人間の集合意識の変革期
現状はここまで進んでしまっているのに、私たち人間の意識は、母なる大地はどこまでも限りなく大きく、そこで私たち人間が何をやったとしても大したことはない、地球を変えるような影響力は私たち人間にはないと思っています。このメンタルモデルを持ったまま科学技術が大きくなってしまったため、人間の意識がついていっていないのです。
しかし、メンタルモデルとは案外変わりやすいものです。例えば、昔のコピー用紙は真っ白でした。環境運動のひとつとして、"白色度70"というコピー用紙が出てきた時、多くの人が「こんな薄汚いコピー用紙使えるか!」と言ったものです。しかし今はほとんどが"白色度70"です。今では元々使っていた白いコピー用紙を見ると、「眩し過ぎて見えない!」など文句を言う人もいるそうです。この場合、「コピー用紙とはこういうものなんだ」というのがメンタルモデルですが、割と簡単に変わります。
こうした移行は、密やかにあちこちで始まっています。ひとつは買わない消費者が増えている。二つ目は、量的な拡大ではなく質的な成熟へ向かう動きがある。三つ目は、パイの拡大ではなくパイの分配が議論されつつあるということです。これまでは経済が大きくなれば、GDPが増えれば、みんなも少しずつ増えるからいいでしょうと、政治も分配の議論をしないできました。これからは痛みを伴うことも含めて、分配の議論になっていくと思います。そういった成熟した文化になっていけるかどうかがこれからの時代です。
◆「脱」~移行する人々の価値観
また、モノの豊かさより心の豊かさの方が大事だという人が少しずつ増えてきて、日本人の暮らし方が変わりつつあります。
ひとつは"暮らしの脱所有化"。これまではモノを所有して暮らしを成り立たせていましたが、今はカーシェアリングやシェアハウスのようなスタイルが出てきています。本も、読み終わったら売る、つまり貸し本感覚です。私たちは、借りる、共有するということで暮らしを成り立たせはじめています。
二つ目のキーワードは"幸せの脱物質化"。かつては、モノを買ったり、モノを持ったり、そのこと自体を幸せだと感じる時代でしたが、人と人との繋がり、自然や農業への回帰などに価値を見出す人が増えてきています。
百万人のキャンドルナイトが非常に広がったきっかけの一つに、このような背景があります。それから、フランスで始まった『隣人祭り』。周りの人たちが集まってご飯を食べる、それだけのことなのですが、いま日本でも流行りつつあります。
また、フリーマーケットならぬエクスチェンジ(xChange)、交換するという動きが広まっています。どんな思いで洋服を着てきたか、どうして今これを着なくなったのか、そういう気持ちをメッセージとして服につけ、お金ではなく、モノだけでもなく、気持ちや思いも一緒に交換しています。
三番目のキーワードは、"人生の脱貨幣化"。ご存知の方も多いと思いますが、いま日本で『半農半X』という生き方をする若い人たちが増えています。売る為の農業ではなく自分と家族が食べられるだけの食べ物を自分達でつくる。残った半分の時間は、自分がやりたいこと、大事だと思っていることに使う。そこで多少の現金収入を得て、本当に買わないと手に入らないものを買う。こういう新しいライフスタイルを選ぶ人が増えてきているのです。
これまでは企業に自分の時間を全部差し出し、お金を受け取って暮らしや人生をつくってきました。それを、引退したらやりたいことやりましょうとぶつ切りにするのではなく、今の生活の中で全部それをやっていこう、そこにお金を介在させなくてもいいじゃないか、という考え方です。半農半作家、半農半歌手、半農半NGO、私の仲間にもそういう人たちが増えてきています。
◆"実現のための仕組み"~バックキャスティングのヴィジョン
さて、物事を進める時に大事なポイントは "ビジョン"です。そもそも本来どうあるべきかを考える必要がある。そこから今を振り返って間を埋めていく。こうしたビジョンのつくり方を"バックキャスティング"と言います。温暖化の話では、温暖化が止まった状態があるべき姿です。
いま、基本法で揉めていますが、日本の政府や企業がよく使うのは"フォアキャスティング"のビジョンづくりです。今出来る事を積み上げて3年後にはこれ位達成できそうだからそれを目標にしようという方法です。しかしそれでは大きく変えられません。
バックキャスティングビジョンの良い例がスウェーデンです。2005年に、2020年には脱石油国家になるという宣言を出しました。もし、「明日から石油を使わないよ」と言われたら困りますが、「15年先には石油を使わないよ」となれば、いま石油を使っている企業も対策を考えます。
先日、連合の方が、大きな中期目標や大きな対策を取ると産業構造が変わり失業者が出る。それをちゃんと考えて欲しいとおっしゃいました。これもリードタイムがどれ位あるかの問題だと思うのです。日本の場合、「来年から変えます」のような話になるので、「それは対応できない」という話になってしまいます。
現在スウェーデンでは燃料のほとんどがバイオマスです。なぜスウェーデンはこれだけの期間に大きく燃料転換ができたのか? 人々がそうしたくなる仕組みをつくったからです。スウェーデンでは使って欲しくない燃料に様々な税金を上乗せして、見かけを高くしています。これでみんなバイオマスを使うようになっているのです。社会の主流派を動かそうとしたら、値段を変える。これが一番の近道です。レジ袋の普及などがいい例です。
◆経済的インセンティブの力~アメリカの排出量取引
基本法で揉めている中に、排出量取引と固定価格買取制度があります。"カーボン・プライジング"と言ってCO2に値段をつけ、それによって人や企業の行動を変える。こうした方法を経済的インセンティブといいます。
排出量取引の成功事例としてよく出てくるのが、アメリカです。石炭を燃やす発電所や工場から出る二酸化硫黄で酸性雨が問題になっていました。アメリカの議会では、酸性雨プログラムを90年から始め、二酸化硫黄を出していい上限(キャップ)を決め、その遂行手段はそれぞれの工場に任せ、上限以上に減らせばその分を後で売れる仕組み(トレード)をつくりました。この時の大統領のジョージ・W・ブッシュは「私たちのすべきことは厳しい基準を定めて達成方法は選ばせる。あとは市場の力を使って、コストを最小に効率良く割り当てる」と言っています。
2004年までに40%も減らし、一番たくさん出していた発電所でも、コストが最小化された形で大きな成果が上がりました。これをいま、二酸化炭素に適用しようとしているわけです。
◆日本の排出量取引の成否は制度設計如何による
日本の産業界では、排出量取引がマネーゲームになるのではないかと懸念しています。私は制度設計次第だと思っています。それが心配なら、そうならない日本の仕組みをつくればいい。
もうひとつは、排出量の上限を決めるのを非常に嫌がっています。なぜなら、CO2排出に上限をかけるということは、経済活動量に上限をかけられるのとほぼイコールだからです。ここで大事なのは、経済活動量=エネルギー消費量=CO2排出量の関係性をどうやって外すか。"デカップリング"と言います。エネルギーをいくら使ってもCO2が出ませんとなれば、心配しないで経済活動量を増やせます。
2007年度のデータを見ると、日本全体のCO2排出量の半分は166の事業所が出すCO2排出総量に匹敵します。ですから、私たち市民がこまめに省エネをするのも大事ですが、やはりたくさん出している166社で排出量取引をしてもらえば、一番コスト効率のいい形で大きく減らせる。それがひとつのやり方だと思っています。
◆変革時のスタンス~産業界はラッダイトになっていないか?
産業革命がおこった時に、ラッダイト運動(Luddite movement)というのがありました。例えば蒸気機関車が走ると人力車夫が仕事を失います。そこで機械を壊そうとした人たちがいました。いまの産業界の人たちは現代版ラッダイトとも言える状況下にいると思いますが、産業革命の時も人力車夫には3グループあったと思うんです。
ひとつはいま言ったラッドタイトグループ。もうひとつはもうちょっと賢くて、蒸気機関車が着く駅でお客さんを待つ。つまり戦略を変えて共存しようとしたグループ。もう少し先進的なグループは、これからは蒸気機関の時代になると考え、勉強して機関士になった人もいるのではないかと思います。
今の企業も同じ状況です。低炭素社会で化石エネルギーが使えなくなる。こういう時代に出てくる制約や新しい法律、人々の要望をたたき壊そうとするのか、それとも共存しようとするのか、その先へいこうとするのか。それがこれからの企業を分けていくと思います。
◆日本のヴィジョン~コストリテラシー
大事なのは、何かしようと思えば必ずコストがかかります。その時に「25%の目標ならば1世帯あたり何百万かかるけれど、それでもいいのか?」という脅しのような話が産業界や経産省から出ます。それは「いくらかかるか」というコスト・オブ・アクション、作為のコストです。それだけではなく、私たちは「それによるプラスは何なの?」「それをやらなかった時にどういうマイナスがあるの?」「それを全部揃えてコストの議論をしましょう」と切り返さないとダメなのです。これを「コストリテラシー」と私は言っています。
実は、皆さんはたぶんご存知ないと思いますが、私たちはもうすでにいろいろなコストを負担しています。電力の料金票には、燃料費調整額という項目があって、電力会社の燃料の値段が上がったり下がったりした場合、自動的にお客さんにその分を割り振るという仕組みがもうできています。メーター表には載っていますが、自動的に進められています。
これはマイナスになる時もありますが、これからピークオイルがきて、原油価格も上がっていきますから長期的な流れとしては絶対上がっていきます。その時に、こういう負担をして化石燃料の値上げ分を私たちが払うのがいいのか? それとも日本の中の自然エネルギーを増やすための固定価格買取制度を私たちは負担する方がいいのか? 本来そういう議論をしないといけないのです。
◆批判的な目で知りたい情報にアクセスする
つい先日、固定価格買取制度で1兆4,694億円の負担がかかるという数字を経産省が出しました。これだけを見れば経済的負担が増えるだけで良いことが何も書いてないので、「やだー!」とみんな思います。これがコストリテラシーの無さにつけ込んだコミュニケーションです。ぜひ皆さん、今のように1兆円以上かかります、一世帯いくらの負担になります、となった場合、「高いから嫌だ」というのではなく、「何を知る必要があるか」をまず考えてください。
それをすると再生可能エネルギーはどれ位増えるんですか?
日本のエネルギー自給率4%はどれ位高まるんですか?
その結果、どれ位CO2が減るのですか?
どのくらい化石エネルギーを減らせるのですか?
その数字に現在の石油石炭天然ガスの値段をかけると、どれ位安くなるのですか?
もともと固定価格買取制度とは、自然エネルギーを増やしてCO2を減らすためのものです。
そして、投資は1兆4694億だけれども見返りはそれ以上だとなれば、やった方がいいという話になります。投資額だけいって、見返り額は何も出さないのは変な話です。加えてピークオイルがやってきて、原油価格が1.5倍、2倍と上がっていくとしたらどうだろうか。今それをやらなければ将来的にどれ位かかるのだろうか? これが「コスト・オブ・インアクション」、不作為のコストです。こういうことをきちんと押さえた上で制度設計を行い、社会的弱者の負担が増えないように手当をする必要があります。
コストリテラシーはこれから非常に大事になってくるし、コミュニケーションにも関わってきます。私たちは政府や産業界のコミュニケーションを受ける立場にいるので、それをそのまま額面通り受け取るのではなく、「何が欠けているか」という批判の目をまず養っていきましょう。そして欲しい情報を出してもらった上で話し合っていく、考えていく、そのスタンスをつけていくことが大事だと思います。
■ディスカッション
◆コーヒー一杯分の効力
<竹村>
私もいつも強調していることは「コスト」ということです。各家庭あたり数百円のアップを、逆に「月々コーヒー1杯でこんな世の中が手に入るんだよ」とも言える。そのくらいの負担増で、何十兆円も石油を買うためだけにかけなきゃいけない世の中をリセットできる。あるいは資源外交、資源戦争からの脱却、資源国の言いなりにならず自立ができる。また、そういう社会に転換するためのシーズビジネスが膨大にあるわけですから、今そこへ舵をきらない限りもう周回遅れになってしまう。どんな面からいってもコーヒー1杯のものすごい投資価値はある。そのことが伝わってないのが問題です。
<枝廣>
コーヒー1杯というのはいい喩えですね。一年位前、ちょうど固定価格買取制度が議論に出始めた頃に一般の主婦300人に賛否を問うアンケートを実施しました。その時は、一世帯あたり260円のコスト負担でした。きちんと説明をして、やった場合とやらなかった場合のメリット、デメリットを含めて話をすると、その時は53%の人が賛成と言っていました。お金を払うのならばやりたくないといったのが全体の5%位です。
ああいうアンケート調査もどういう項目で聞いているかというところまで遡らないと、世論の操作のひとつとして使われていることも多いので、そのまま鵜呑みにするのは非常に危険です。本当に必要なものがあれば自分達で聞いていく必要があるかもしれないですね。
<竹村>
スティグリッツ(Joseph E. Stiglitz)というノーベル賞学者が300兆円かけてイラク戦争で何を得たか? のようなことを書いていますが、典型的な戦争の問題で言えば、パレスチナ問題、イラク戦争など、ほとんど資源戦争です。そう考えると、石油に依存しない社会に世界全体が移行するのが一番早い解決策なわけです。それがコーヒー1杯から始まるということでもある。
◆お金に依存しない社会デザイン~脱GDP信仰
<竹村>
あるいは、多くの世界において、お金を使わないと日々の食料も手に入らない、最低限のサービスも手に入らない時代になったのは20世紀後半からです。そういう状況を考えると貧困や格差に対する最大の解決策は、都市農業や雨水利用などによって、水やエネルギー、食料で最低限の自立をする。
それは貧困国だけの話かというと、東京も見えないブラックボックスになっているだけで、水も食料もすべて危うい。イリイチ(Ivan Illich/イヴァン・イリイチ)が、"脱病院化社会" "脱学校化社会"など、すべてお金でサービスを手に入れなければやっていけないような社会をリセットすることが課題だと言っていますが、お金に依存しない21世紀的な文脈をもう一回デザインし直すところにきているのではないかと思います。
<枝廣>
ツバルやブータンに行くと、お金が無くても十分に必要なものが手に入って、仮に何か困ったことがあってもコミュニティの力で支えてもらっている。GDPでは両方とも非常に貧しい国です。しかし本当に貧しいのかな? と思います。
ブータンのGNH(Gross National Happiness/国民総幸福)は、国民の幸せを指標化して国の進歩をはかっているのですが、この2年位、フランスをはじめ先進国の中でもそのような動きが出てきています。イギリスの政府のひとつの部局では、プロスぺリティ・ウイズアウト・グロース(prosperity without growth)"成長なき繁栄"というレポートを出しました。日本でも海外のそういう動きを研究しようという声は議会の中で出てきていたりしています。
<竹村>
いま、インドと中国が食料輸入国に転じようとしており、食料価格も膨大に乱高下していく時代になるわけです。お金に依存している先進国であればあるほど、2割か3割の貨幣化されないエコノミーをつくる。それが一番の国家の安全保障とも言えます。G8、G20あたりを中心に、GDPではない国の豊かさや安全性、ロバストさというものを計る指標を世界全体できちんとつくっていくことが不可欠なんじゃないかなと私は思います。
<枝廣>
今のGDP信仰がいろいろな問題を生み出していることは、はっきりもしくは薄々と気付いている人が増えていると思います。ところが、 "乗り換える船"が無いので、やはりしがみついています。ですからどういう船に乗り替えたらいいの? というその例をたくさん出していけるといいのだと思います。
■"東京シフト"で最大の地球貢献を!
<竹村>
来年のテーマは"東京シフト"と考えています。江戸開府と明治維新の丸の内三菱村の創世という大きなリセットを経験してきている東京ですが、それに匹敵する第3のリセットをしなきゃならないところにきている。
また、東京は5年以内に65歳以上の割合が1000万人を突破するところまできています。こうしたことも含めると、三つ四つの問題がいっぺんにきている。こうした問題を先送りにしていると、たぶん10年以内、遅くても20年以内に全部の問題が一挙にくる。今ならば投資コストが安く済む。地球的ないろいろな問題を加味して、東京をどうリ・デザインしていくか? その為に丸の内からどういう波紋をおこしていけるか?
<枝廣>
たぶん大事なのは、先ほどからお話している"メンタルモデル"の転換だと思います。暮らし方や働き方などに先進的な事例が出てくるといいと思います。どういうメンタルモデルが望ましい社会への移行を阻害しているのか? それを見つけて変えるには、ゆるめるにはどうしたらいいか? そういう社会心理学的なアプローチも試されていくと面白いと思います。
また、短期の局所的な効率ではなく、もっと総合的にもしくは長い時間軸で見た時の効率や効果をどうやって計るかを考えていくことが大切だと思っています。東京シフトを進めていく過程でも、そのような視点をいれていければ、それは日本だけではなく、世界にとってもとてもいい事例になるし、刺激になると思います。
<竹村>
まったくその通りです。いま、メガシティが世界で何十と出てきている。またヨーロッパあるいは中国など、高齢化の進行は日本にさほど遅れずにどんどん進んでいきます。東京がそれを少し先取りしているということは、逆に東京があるソリューションを示せば地球に対しての大きな希望になる。ODAや国際貢献、世界に対して25%約束などいうよりも、日本自身がどう変わるのか? そういう未来への投資が地球への投資になると思います。
■質疑応答
◆アル・ゴアさんと仕事をして
<質問者A>
アル・ゴアさんの最新刊、『私たちの選択』を訳本された時の情景ですとか、アル・ゴアさんとの会話など、おもしろい話題があれば教えてください。
<枝廣>
今回は、ゴアさんが原子力についてどういう風に考えているかなど、本当に自分でも勉強になりました。ゴアさんは「原子力とはホワイトエレファントである」というような書き方をしています。「ホワイトエレファント」は英語で「やっかいもの」という意味です。本当にそのまま訳していいのかな? と迷いましたが、ゴアさんが原子力を温暖化対策として使うことに反対だということが分かったのでそう訳しました。
また、本の中で一番勉強になったのは、土壌(soil)の章です。土の中にどれ位炭素があるのか? それをどうやって増やしていくことが出来るか? それは案外新しい分野で日本ではまだそんなに伝わっていないような気がします。そのあたりの新しい情報や、ものごとをどう変えていくかということも後半に出てきます。
たぶん同じ様な思考性を持っている為だと思いますが、英語の原書を読んでいると、ゴアさんの声で日本語訳が聞こえてくるんです。締切までの時間が厳しかったところを除けば、とても楽しい仕事でした。
◆なぜ世界認識の進捗が遅いのか?
<質問者B>
いま、こういう重大な問題があるのに、実感として政治など世間の動き、変化は遅いというのを感じます。何十年も前からローマクラブ(Club of Rome)でも『成長の限界』と言っているのに、未だにそんなに変わっていない。どうしてだとお考えでしょうか?
<枝廣>
ブッダやダライラマなどの例外を除き、私たちのほとんどの人は、大体自分の身の回り50センチ、今から5分、せいぜい明日、せいぜい来週の会議、それ位の時間軸、意識、認識で生きていると思います。私のイメージでは、進化した後の人間は、今ここで何かをする時に、ごく自然に地球の裏側や未来世代のことを考えに入れて、今の自分の考えや行動を決められる。つまり認識が時空を超えて広がっていく。温暖化を始めいろいろな問題は人類が次の次元に進化をしていくためのきっかけなのだろうと思っています。いまあちらこちらでその兆しが見えるような気がしてワクワクするのですが、本当に多くの人たちを含めて、その次の次元に行くにはまだまだ時間がかかる。ですから時間稼ぎとして、制度を変えるなど、そういうことで対応していく必要があると思います。
もうひとつ言うと、私はそれこそ『成長の限界』を書いたデニス・メドウズ(Dr. Dennis L. Meadows)とも仲良しでよく話をするのですが、これまで変えようとしてきた人たちが、あまり人間の心理や認知などに詳しくなかったという要因があると思います。私は心理学出身だから思うのですが、温暖化の科学は進んだけれども、人々の意識や行動を変える科学はそんなに研究されていません。これは丸の内でやっていくことのひとつになればと思います。
<竹村>
私たちは、宇宙的な文脈の中で驚ける時代を迎えているのに、20世紀後半の科学が発見している伝えられるべき内容そのもの、Whatがサイエンスリテラシーとして社会に伝えられていないということが随分あると思います。私はむしろそちらの方をきちんとやっていきたいと思っています。
<枝廣>
伝える、広がる、変えるというのは、私はひとつの科学、アート、技だと思っています。もし伝える立場、もしくは人々の考えを変えていく立場にあるとしたらそういうことを身につけていくってことは非常に大事だと思います。
例えば、『イノベーション普及理論』という新しい考えや新しい理論はどうやって広がるかという本があります。この理論では、変化の担い手と言われるチェンジエージェントが一般の人に分かりやすく伝えてフットワークの軽い人たちが動き始める。その人たちを見てはじめて、社会の主流派は動くのだと。
もうひとつ、『不都合な真実』の映画の中でゴアさんは「人々が温暖化を認めて、それに対して行動をとろうとするものを阻む要因を自分はひとつずつ見つけて、ひとつずつ潰していくんだ」ということをおっしゃっています。
やはり温暖化にしても反原発にしても、受け入れられない何かが出てきてしまうとそこで止まってしまいます。それは伝える側が、どういう状況になると相手にそれ以上聞いてもらえなくなるかということを考えないといけないし、それを乗り越えないといけない。それは伝える側の役割だと思います。
その時役に立つ考え方に、"認知的不協和理論"があります。イソップの『酸っぱいブドウ』が典型ですが、ブドウがあって、キツネが飛び上がっても飛び上がっても取れなかったときに、「あのブドウはきっと酸っぱいに決まっている」と言って去っていった。人間は、新しい情報が入ってきたときに、これまで自分が当然だと思っていたことが覆されたり、うまくいかないと、不安になり、その新しく入ってきた情報を否定したり、つじつまを合わせようとする。
"ギルマンの方程式"という考え方があって、人間に行動変容が起こるのは、新しい方法が古い方法よりもいいからです。ですから、まず「新しい方がいいですよ」という戦略がひとつ、また「ガソリン車こんなに悪いでしょう」と古いものを低める戦略もひとつです。それだけではなく、「行動やものごとを変えるのはそんな大変じゃないですよ」と、それを伝えていくことも非常に大事です。
これらは、私が翻訳した『カサンドラのジレンマ』という本に載っています。作者のアラン・アトキソンという人は変えるということを科学している人で、そんなことをもう少しやっていきたいなと思っています。
◆人口問題をどう考えるか?
<質問者C>
エネルギーの問題はいろいろと議論はされているのですが、いま、世界の中でエネルギー問題と同じ位のレベルで人口問題は語られているのでしょうか?
<枝廣>
『私たちの選択』のうちひとつは人口の章です。ゴアさんも書いていますが、人口問題は、政治的、宗教的な背景があって、多くの国では正面から取り上げることが難しい状況のようです。
その点、日本は宗教的な背景もあまりないので、人口問題が語りやすい立場にあります。しかし、逆に日本では人口減少が問題だと思っている人が多いので、やはり人口の問題はなかなか話されないというのが現状だと思います。
おっしゃる通り人口が増え続ける限り、たとえどんなに省エネ家電をつくったとしても、もしくは再生可能エネルギーに変えても追いつきません。
人口を抑えるためには、女の子への教育が一番の近道です。これは、宗教や文化を超えて世界で共通しています。もうひとつは、避妊の手段をきちっと届ける。かなりの数の途上国の子供が望まれないで生まれてくるという現実があります。
また、世界の人口抑制のために必要なコストは、戦闘機1台か2台分だと計算されています。ですから、日本もアメリカも含め、戦闘機1台つくるのを止めてそのお金を途上国の人口抑制に回せば十分に人口は抑えられるのです。しかし、それ位のお金が出せない。それはミレニアム開発目標(Millennium Development Goals:MDG)が進んでいないと同じような問題に関わってくるのですが。
一方でゴアさんは、数十年前に予測されていたよりもかなり低いレベルで人口問題は抑えられそうだと言っています。本当は、日本は人口が減っているけれども、途上国で増え続ける人口を、どうやって日本の力と技術とお金で減らせるかということをもっと議論すべきだと思います。
<竹村>
少し補足すると、産んでも死ぬ率が高いときはずっと産み続けようとするわけです。もうひとつは貨幣経済に全面的に依存した状況をこの50年ほどつくってきたお陰で、逆に働き手がいないと食っていけないと。つまり、人口を増やすことへのモチベーションは貨幣経済とグローバリズムの過剰な浸透という部分でもある。それを否定するわけではないにしても、先ほど言ったように、3割か4割は貨幣に依存しないバッファーを世界全体でつくっていくことがやはり重要かと。
また、途上国では、先ほどの都市農業の広がりなど、そういう部分から少し人口抑制に対するボランタリーな動きが広がってくる可能性が十分あるのではないかと思います。


















