シリーズコラム

【さんさん対談】食を通して新しい社会の仕組みを創る

比嘉康洋氏(料理家・地域フードプロデューサー)×田口真司氏(3×3Lab Futureプロデューサー)

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3×3Lab Futureの活動の主要なファクターに「食」があることはいまさら言うまでもありません。地方創生、地域活性化に不可欠であり、これまでも種々の地域の産品が3×3Lab Futureのキッチンで調理され、振る舞われてきました。農業テーマのイベントも多く、こちらでも多くの生産者のみなさんが生産品を持ち寄ってくれ、新鮮な野菜をおいしく頂いています。

食は、言ってみれば「結び目」のようなものかもしれません。「今、『観光×食』『健康×食』『スポーツ×食』のように、食と掛け合わせたビジネスのあり方を模索する企業も増えている」と話すのは、今回のさんさん対談のインタビューイーである比嘉康洋氏。「旅する料理人」として、地域活性化の活動に食を通して携わり、多くのプロジェクトを手がけています。今回のさんさん対談では、これからのソーシャルアクションにおける食の重要性、または食から見たソーシャルアクションの未来について、エコッツェリア協会・プロジェクトプロデューサーの田口真司氏が切り込みます。

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「人を幸せにするデザイン」としての料理

「人を幸せにするデザイン」としての料理

田口 比嘉さんは、シェフとして腕を振るいながら、WILLERの「レストランバス」の開発にも協力をしたり、食を起点にした地域活性化、地方創生の活動にも取り組んでいらっしゃいます。3×3Lab Futureでも、地方関連のイベントの食事部分で大変お世話になっています。そうした折に、地域や食材への思いというのはよくお聞きするのですが、その背景や、ここに至る経緯といったものは詳しくお聞きしたことがなかった。実は比嘉さんのようなアプローチで料理、地域に関わる人ってあまりいないのではないかなと思っています。

今日は、比嘉さんのようなシェフ、地域フードプロデューサーというような人が、何をやっていて、どんなふうに出来上がってきたのか(笑)、そこをお聞きしたいと思います。

早速なのですが、今はどういったお仕事をされていらっしゃるんでしょうか。

比嘉 会社名が「マエストランサ」というのですが、これはスペイン語の造語で、なんというのか、「放浪の料理人」というか「旅する料理人」というか。いつも近くにいて助けてくれる存在、そんな料理人のことをMaestranza(マエストランサ)というのですが、それがとてもいい言葉だと思いまして。食を通して新しい価値を提供する、新しい社会の仕組みを創る。そんな仕事を手がけています。

Maestranzaのサイトより具体的には2018年2月にオープンした「ピースキッチン東京(Peace Kitchen Tokyo)」で、プライベートレストランや、実験的な取り組みの仕事をしています。プライベートレストランは、1日に1組限定で、食材もその時のテーマに合わせたメニューを提供しています。常にオープンしているわけではなく、予約が入ったときにだけ開業します。人数も最大で80人くらい入るので、企業の勉強会や地域のイベントなどでご利用いただくこともあります。

それから「実験的」というのは、地域の食材を使った「食×観光」をテーマに、地域をまるごとフルコースにしたようなメニュー開発や、企業と食のコラボレーションで「食×睡眠」「食×医療」「食×スポーツ」といったような機能性メニューの開発も行っています。ピースキッチン東京は、元は『~農業実験レストラン~六本木農園』というレストランで、日本全国から生産者の方々が生産物を持って来て、こだわりを直接お客様に伝えられる場所、生産者のライブハウス的な位置付けのレストランでした。その時の流れで、今も全国で活躍されている食関係のプロデューサーや、生産者が集まる場所になっています。私はそこで地域で作る新しい食の施設やまちづくりにアドバイスやコンサルティングをしています。

田口 WILLERの「レストランバス」も、比嘉さんがアドバイスしていたのですよね。

比嘉 ええ、とても面白かった案件ですね。高速バス大手のWILLERが開発した「レストランバス」で、2016年に日本初で運行開始した、1階がキッチンで2階が25席のレストランになっている、開閉式ルーフの2階建てバスです。
「そこにしかない日本を食べよう!」をキャッチフレーズに日本全国の産地をまわるレストランバスの仕組み作りやメニュー開発で関わっていました。
いろんな地域に行ったときに、その地域のシェフがバスに乗って調理できるのか? 運行しながら料理を楽しめるのか? 保健所対応はどうするのか? 地域で移動式レストランを動かせるのか? 産地に行って収穫したものを直ぐにバスで調理して食べるなんてことができるのか? そういったことまで、いろいろ考えていくわけです。

田口 あれは面白いですよね。海外にはレストランバスってあるんですか。

比嘉 フランスのパリにもレストランバスはあるのですが、時速10キロ位でゆっくりと走行しながら、観光名所を周りながら食事が出来るバスで、WILLERのように地域や畑、生産地へ行って調理したり、通常の運行速度で食事が出来るバスは聞いたことがないですね。

料理人への道

田口 多彩な活動をする、料理人の枠を超えた料理人というところですが、そもそもなぜ料理人を目指したのでしょう。

比嘉 そもそもでいえば、父がフレンチメインの料理人だったことがありますね。ホテルの厨房のシェフです。父は沖縄から出稼ぎで東京に出てきたときに、たまたま肉の加工場で働き始めたそうなのです。肉をさばいたり、ハムを作ったり。そのうちホテルの料理人の仕事があるけど、と声を掛けられて、職場に入って独学で身につけていったという、まあ昔ながらの職人的な料理人です。

田口 なるほど、それでお父さんの背中を見て憧れて......。

比嘉 いや、それが最初はどっちかっていうと反面教師で(笑)。父が家で食事を作ったことは、数年に数回しかなかった。たまに試作品が出てきて、それはものすごく美味しかったし、職場のホテルに行って食べてもすごく美味しい。でも当時の料理人の労働環境は決して良いものではなかったし、父も私に料理人になってほしいとは思っていなかったと思います。私も料理人の辛い側面ばかりを聞いて育ったので、料理人になりたいと思ったこともなく、絵やデザインが好きだったので、最初は服飾デザインの道に進みました。

田口 デザイナーから料理人ですか。

比嘉 何か通じているものがあったのだと思います。服飾で突き詰めようとしたのも、五感で体験するデザインでした。そこを追求しようとしているうちに、だんだん、料理に近づいていってしまったという(笑)。「人を幸せにするデザイン」というものがあるのだとしたら、それが私にとっては料理だった。そんなところです。そこからですね、フランス料理の道に入りました。

田口 最初から今のような食材にこだわりを持つ料理人だったんですか?

比嘉 それがですね、料理人は誰もがそうだと思いますけど、修行時代に生産者やこだわりの食材に出会う機会ってあまりないんです。もともと仕入先は決められていますし、これを使って何を作る、ということも決められています。店でも料理技術や店の回し方は教えるものの、生産物についてどうだということは、あまりなかった。今とは違う時代だったと思います。

チャヤ・マクロビのサイト

私の場合、それが変わったのはマクロビオティックと出会ったためでした。当時、葉山のフレンチの名店『レストラン ラ・マーレ』を運営する社長(角田庄右衛門氏)に出会い、大変おもしろい方で、フランス料理が重々しい雰囲気の中でマナーを気にしながら食べるイメージが強かった時代に、「テーブルマナーより一緒に食事している人と気軽に楽しめるフレンチ」、そんなレストランを始めた人でもあるのですが、美味しくて健康な料理を提供したい、精進料理じゃなくても、フレンチの技法でやればもっと美味しくて、幸せな料理ができるはずだって仰っていて。『チャヤマクロビオティックス』のレストランがオープンするタイミングで入れたことは大きかったですね。

田口 比嘉さんのキーワードは「人を幸せにする」ですよね。そこがいいなと思う。若い世代だと「幸せ」という言葉も素直に出てきますが、我々とか我々のちょっと上の世代は、「自分が一番」「人を蹴落としてでも」という競争優位の価値観じゃないですか。それは私自身そうで、常に自戒を込めて話しているですが。料理人もそういう優劣を競う厳しさもあると思うのですけど、そういう中でどうして優しさを身に着けたのかなと。

比嘉 いや、別軸ではやっぱりそういう競争心みたいなものはありますよ(笑)。でも料理人は、美味しいって言ってもらえたり、みんなの笑顔を見られたり、直接お客さまの喜びに触れられる職業なので、そこは職場の空気とは違う世界ですね。

田口 そのバランスが難しそう。

比嘉 そうですね、昔は私もひどかった(苦笑)。あと何年すればこの先輩は追い抜けるなとか、蹴落とす事も平気で考えていましたね。やっぱり技術と知識が一番大事な部分でもあるので、ストイックにやりこんでいた時期もありました。
しかし、ちょうど同年代の仲間たちが、ちょっと違う空気になってきた。誰かを蹴落とすとか派閥を作るとかそういうのではなしに、ジャンルも超えてみんなで成長するという空気感が強くなってきたのです。仲間同士で集まって勉強会をしたり、生産地へ行ってみたりするようになりました。

田口 その空気が比嘉さんには合っていたということなんですね。

比嘉 そうなんですが、今でも地域へ行くとまず戦いからなんですよー(笑)。料理人の世界ってやはり実力を認めてもらわないと話にならない。どの地域へいってもそこで長年がんばっている料理人の皆さんと、最初はガチンコです。でも最初に実力を認めてもらわないとその後の話もできません。

田口 本当の優しさは、そういう厳しさがなければ生まれないものかもしれませんね。

超・料理人へ

田口 そうやって料理人として腕を磨いてきた一方で、今のような料理人を超えた活動を始めるきっかけになったことは何だったんでしょうか。

比嘉 ひとつは先程の『チャヤマクロビオティックス』のレストランで働いて先輩シェフ達から多くの事を学べたことと、歴代の社長達に出会えた事ですね。素材、食材にこだわることのスタートはそこからです。また、他の店舗を見るようにもなって、経営や店舗の立て直しに関わったこともその後の活動に影響していると思います。

そして次に古田秘馬さん(株式会社umari。詳しくはこちらを参照)に出会ったことで、また大きく変わりました。

当時、赤坂アークヒルズの店舗で働いていたんですが、ちょうどマルシェ(農水省が2009年にスタートした『マルシェ・ジャポン』)がアークヒルズ内で始まったところで、そこに集まる生産者と店舗をつないで何かやろうよ、というプロデューサー・仕掛け人に古田さんがいたわけです。まあ変な人だなと(笑)。古田さんの仕掛けた『~農業実験レストラン~六本木農園』のことは聞いていて、とても興味があったので、次のステップとしてそちらへ進むことにしました。

六本木農園は面白かったですね。農家のライブハウスというコンセプトで始まったのですが、開業時は農家の気持ちが分かるように、スタッフは全員実家が農家の出身の人。だから飲食店の経験者が少なく(笑)。現場は大変でしたけど、全国から多くの若手の農家が訪れて、ディナータイムには、こだわりの野菜を作っている畑の風景を投影したり、生産者の方がこだわりを語ったり。生産者の食材でスペシャル料理を提供したり、その後、店舗でその野菜を販売したりと。

六本木農園の「農家LIVE」。六本木農園のFacebookより

田口 今でこそ、生産者にも光りが当たるようになりましたが、当時としてはやはり珍しかったのではないですか。

比嘉 そうですね。お客さまにもたくさん来て頂けましたし、メディアの取材も多く注目されるレストランでした。一番良かったのは、農家さんの間で口コミで広まったことです。「あの店は面白いから一度野菜を持って行ってみた方が良い」と、こだわりを持った若い農家さんに教えてくれたりして、広まっていきました。気がつくと、毎月何件もそうやってこだわりの農家さんが訪れるようになっていたんです。

田口 どういう農家さんが来るんですか。

比嘉 それぞれ理由は違いますが、こだわって作った野菜を直接販売したい。値段の決定権を持ちたい、付加価値をつけたい、評価が聞きたい、新しい販路を開拓いたい、ちゃんとおいしい状態で食べてもらいたい、そういったところです。それを仕組みとして求めている人が多かったのではないでしょうか。当時から、日本の農業を変えていこうという熱量を持った人が集まっていましたね。

大量生産でJAに大量に卸すというやり方が良いとか悪いとかではなくて、こだわって作った少量でも美味しい生産物もちゃんと流通させる仕組みを作りたい。かっこよくて儲かる農業の仕組みを作りたいとか、後継者不足をどうするか、そういうことだったと思います。ちょうど模索しはじめたときだったのかなと。

田口 レストランというのが良かったんですね。食べてもらえる現場を見る。具体性もあるし幸せでもありますよね。

比嘉 そうなんです。農家さんのライブハウスといいましたが、まさに音楽家のアーティスト達がインディーズでファンを獲得してメジャーになっていく。それと同じように、農家さんもちゃんと農業へのこだわりを語り、こだわりの生産物を直に食べてもらい、ファンを獲得して、だんだん有名になっていく。その為のいろんな仕組みを創ろうと、実験的な挑戦を続けていたと思います。

農家さんの中には、生産物だけ持ってきて、「買って欲しい」とは言うものの、見積書もない。こだわりが分かる資料も無く、いくらだったら買ってくれますか? そんな感じの売り込みも多くて。

生産物を作るのはプロですが、営業や販売は苦手な方が多かったので、お店の入り口を使い、自分の本来売りたい金額で値付けをしてもらい、お客様と直接やりとりしながら販売してもらう。マルシェでの販売とも違い、レストランでシェフが調理して、料理を食べてもらい、こだわりも聞いた後での販売は、いろんな意見や要望なんかも出て、とても面白い情報が得られましたね。

実際高い値付けをした、さくらんぼ農家さんのケースだと、5千円1万円のディナーを食べた後に、デパートで販売するような贈答用のさくらんぼなんて、買って帰らないよなぁーと思っていたら、逆に高いものから売れていったなんてこともありました。

農家さんから直接困っていることを相談される事も、結果として今に繋がっているところがあります。「冷めても美味しいお米を売り込みたい!」という農家さんがいたら、炊きたてで提供するレストランより、惣菜やお弁当を扱っているお店をお勧めしたり、「とても美味しいトマトなんですが1個1000円です!」という農家さんには、飲食店の原価率は3割くらいだから、これくらいのグレードのお店に売り込んだほうがいいよと、売り込み方をアドバイスしたりと。

田口 なるほど、強さと優しさがにじみ出るようになってきたんですね。

比嘉 そう言っていただけると嬉しいですね、そこが自分の料理を魅力的にしている部分かと思いますので。

地域へ...

田口 そして、六本木農園からさらにステップアップしてきているわけですが、その経緯は。

比嘉 そうですね。 都市で発信する時代から、地域から直接発信出来る時代に変わってきた事もあり、もう少し地域に入りこんで、料理人だからこそ出来るプロデュースにチャレンジをしたいと思うようになりました。

そしてもうひとつ感じていたのが、レストラン、飲食業のビジネスモデルの「限界」なんです。

飲食店の売上は、基本的には(席数×単価)×回転率で売上の天井が決まっているものです。それに合わせて給料も決まってしまいますよね。そこでテイクアウトやデリバリーなど、席数以外の収益モデルを考えるのですが、そこも製造の限界が直ぐにきてしまう。大手のチェーンなら仕入コストを抑えたり、セントラルキッチンなどで効率化しながら成り立たせるのですが、個人店や小規模の飲食店だと、ある程度の相場も決まっていて難しい、長く勤めているスタッフの給料も上げたいがそうもいかない。そこにビジネスモデルの限界を感じてしまう。また、料理人が独立しようと思うと1千万円近いお金も必要です。よくよく考えるとハードルの高い職業なうえに、限界もきっちり決められている。そこのところに、なんとか料理人として店舗じゃなくても、レストランじゃなくても活躍できるスタイルがあるんじゃないか、新しい価値を見出せないか、ということを考えるようになりました。

田口 ベンチャーで言われている話に近いですね。斬新なことをやっても上限が決まれば似たようなところが出てきて価格競争になる。とすると結局その業態では上がっていくことができない。自ずと限界が生まれてしまう。

比嘉 食材にこだわっても、結局何を選ぶかは、味やこだわりだけでなく、価格もあるし、利益をどう出すかというところは切り離せないわけです。となると、飲食店もどんなにがんばったって、市場原理に巻き込まれて悪循環に陥ってしまいますよね。

ピースキッチン東京のサイト

田口 それを変える方策が「Peace Kitchen TOKYO」というわけですね。

比嘉 そうですね。ピースキッチンはプライベートレストランで予約があるときしかオープンしない。だから固定のスタッフもいないし、開けて待つことで生じるコストもない。時として、お客さま自身にも一緒に動いてもらいます。

実はスペインのバスク地方に行ったとき訪れた100年以上つづく「美食倶楽部」がヒントになっています。そこは会員制で慣れ親しんだコミュニティの楽しむ場所があります。毎回順番に誰かが一品料理を作って、お店にある飲み物を飲む。もちろん飲み物代は払いますが、料理の準備や給仕は全部自分たちでやって、ワイワイとみんなで楽しむんです。そこにはスタッフは誰もいない。みんなで楽しむ空間がそこにはあるんです。まあ片付けはやるのですが、お酒も飲んじゃうと皿洗いが面倒なので、翌日パートさんをお願いしておくらしいですけど(笑)。

バスクの美食俱楽部

田口 面白いですね、お店の体制をフレキシブルにすることでコストを下げる。製造業で昔やっていた「ジャスト・イン・タイム」みたいだな。

比嘉 そういう実験的な場なので、もちろんプライベートレストランとしての利用もできますが、地域のメニュー開発や、商品開発などにも使います。そうすると、客単価、席数、回転率とは違うビジネスモデルを作ることができますよね。

田口 なるほど、これは勉強になりますね。我々も、地域の案件では食がよく出てきます。アンテナショップはよく俎上に乗る問題なんですが、「いつも赤字で困っている」という相談を受けることがあります。でも私はこれ、赤字でいいんじゃないのかって思うんですよ。もともとアンテナショップはPR目的なんだから、ある意味で採算度外視で考えるべき側面がある。逆に、売り気が先に立ってしまって、黒字だけどPRができてないとか。市場原理との兼ね合いは難しいですよね。

比嘉 そうですね。特に飲食業や料理人というのは、そういうことを教わる機会が少ないですから。それに飲食業は「こうあらねばならない」という暗黙のルールも強い気がしますね。

実はよく言われるのですが、六本木の一等地にあってレストランを毎日営業してないなんて意味がわからないって。でも通常の飲食店として経営してしまったら、結局同じ市場原理に巻きこまれて、ビジネスとしての魅力も少なくなっていく気がします。これだけやったらこれだけ儲かるよね、で終わってしまって面白くないわけです。

食で作る未来へ

田口 じゃあ、最後に今後のことを。やはりしばらくは今の路線を突っ走りますか?

比嘉 そうですね、世界一のレストランを目指すとか、星を取りたいとか、そういうことではなくて、食を通して社会に新しい仕組みを創れる、そんなレストランがやれればと思います。

環境問題や、健康問題、地域の課題解決など、食を通していろんな角度からアプローチができたらいいですね。

田口 ピースキッチンもいいですが、ぜひ3×3Lab Futureも使ってくださいよ。

比嘉 ありがとうございます。最近はいろんなことをやりすぎて、ちょっと整理しなきゃと思う反面、面白そうな案件にはつい手を伸ばしてしまうので、是非ご一緒できたら嬉しいです。

田口 やりましょう! 今日は本当にありがとうございました。

比嘉康洋(ひが・やすひろ)
料理家・地域フードプロデューサー

2002年から自然派フランス料理をベースとした「CHAYA Macrobiotics」でマクロビオティックの世界に触れながらシェフとしての経験を積む。2010年に農業実験レストラン「六本木農園」のグランシェフに就任。日本全国のこだわりの生産者とともに創りだす料理をプロデュースするようになる。2016年からは"旅した先がレストラン"をコンセプトに、料理家・地域フードプロデューサーとして活動を展開。2018年新しい食文化を考える実験室「Peace Kitchen TOKYO」をスタート。

[マエストランサ]

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