青山やすし(あおやま・やすし)
明治大学 公共政策大学院教授(都市政策)
1943年生まれ。1967年東京都庁(経済局)に入る。以来、36年にわたり東京都庁職 員として、東京都のまちづくりに関わる。 1999年から2003年まで東京都副都知事として危機管理、防災、都市構造、財政等を 担当し、2004年より現職。 主な著書:『痛恨の江戸東京史』(祥伝社)、『後藤新平の「仕事」』(藤原書 店)、『東京都副都知事ノート』(講談社)ほか多数。
野城智也(やしろ・ともなり)
東京大学生産技術研究所教授、所長/「大丸有 環境ビジョン研究会」座長
1957年東京生まれ。東京大学大学院工学系研究科建築科専攻博士課程修了(工学博士)。建設省建築研究所研究員、同住宅局住宅建設課係長、同建築研究所主任研究員、武蔵工業大学建築科助教授、東京大学大学院工学系研究科社会基盤工学助教授、同生産技術研究所助教授等を経て、現在、東京大学生産技術研究所教授、同所長。
2.工業化時代から情報化時代へ
――社会の変容が都市を変える
野城: 多心型都市構造論の核となる7つの副都心というのは、計画では業務機能の集積だけを意味していたのですか? それとも、独立した都市構造をもたせようというものだったのでしょうか?
青山: 副都心にはそれぞれ2つの役割があって、都心の機能の分散に加え、交通の結節点を担うということで、業務と商業の両方を集中させる予定でした。実際には、西新宿は業務+商業、上野・浅草は商業、臨海部はアミューズメントといった具合に、それぞれ独自の性格を備えた副都心へと成長することになったのはご存知の通りです。一方で、都心の機能を分散するという本来の目的はほとんどかなえられることなく、むしろ、都心に機能がより集中する結果となってしまった。というのも、情報化時代においては、都市的な機能はさらに強大に集積することが求められるからです。だからといって、都心の昼間人口が増え、朝夕のラッシュが激化したわけではありません。超高層ビルが増え、オフィスの床面積が増えても、その分、情報OA機器設置のためのスペースやホテル、レストラン、物販、ミーティングなどのための施設が入り込んでいったからです。だからこそ、都心への機能の集積は衰えることがなかったとも言えます。
野城: なるほど、なぜ大丸有が現在のような性格をもつようになったのか、よく理解できました。つまり、工業化時代は、都心に製造業を中心に本社機能が集積し、管理機能だけを担っていたのに対して、情報化時代に突入すると、人やモノの集積とともに、そこで新たな経済活動が営まれるようになり、街の付加価値が創出されていったということですね。
青山: そうです。都心に全国から、そして全世界から人が集うようになり、情報交流をするようになって、街の内容も変わってきたということです。
野城: 少し前までは、丸の内に店舗があると違和感がありましたが、今ではすっかり馴染んでいます。情報化社会を背景に、それだけ街の性格が変ったという。
青山: 象徴的なのが、土日の人口が増えたことでしょう。以前は、土日の都心は閑散としていましが、今では大勢の人で賑わう。実際に、2002年に丸ビルが完成し、翌03年に六本木ヒルズがオープンしてから、都心近郊の私鉄の乗降客数が大幅に増えています。その乗客の多くは定期券客ではありません。都心がビジネスの場としてだけでなく、人々が楽しむ場になった証拠。つまり、都心の機能更新が支持されたということでしょう。





















