シリーズ知恵ブクロウ&生きものハンドブック

梅雨間の空の英雄譚 ―初夏の星座物語

春と夏の間を移ろう星座に織り込まれた古の物語。

怪物を西に追い、大力無双の勇者が昇る。

5月後半から6月にかけては、日没直後の西の空が一つの見所だった。
13日に太陽からの離角が最大となった水星、宵の明星として光輝を放つ金星、そして冬場を彩った木星が、明るさの残る夕空の中に、日に日に位置関係を変えながら集まっていたからだ。特に太陽に近いために見られる機会が少ない水星としては、非常に見つけ易い絶好機だったのだ。

漸く夜の暗さが訪れる20時頃、沈んでいく惑星達から目を上げれば、一等星レグルスを心臓の位置に輝かせ、たてがみを象る"大鎌"を振り立てた《しし座》が西の彼方を指して馳せ下っていく。獅子と地平との間には、都会では目立たない暗い星を繋いで《かに座》《うみへび座》が先導するかのように首を揃えている。

春の夜空を彩った星座が西へと退場するのと入れ替わるように、これらの"怪物"達を退治した英雄が、東天高く駆け上って来る。《ヘルクレス座》である。 大神ゼウスがアルクメーネーとの間に儲けた子、ヘーラクレースこそは、数多の英雄が躍動するギリシア神話の中でも豪傑中の豪傑だろう。夫の不義の子に向けて女神ヘーラーが差し放った二匹の毒蛇を、生後数か月の恐るべき幼児は片手に一匹ずつ握り殺してしまった。

やがて長じたヘーラクレースは、狂気に陥って我が子を殺し、悲嘆した妻をも喪ってしまう。その罪を償うため、神託に従いミュケナイ王エウリュステウスに仕えたヘーラクレースには数々の難業が課されていく。その第一が、ネメアーの谷に棲む人喰い獅子の退治だ。矢も通さぬ皮を持つ獅子を、ヘーラクレースは三日三晩の死闘の末に絞め殺した。第二に挑んだ相手は、九つもの首を持ち毒の息を吐く水蛇ヒュドラーであった。

切り落とす先から新たに二つの頭が生えてくる首を八つまで松明で焼き、最後に残った不死の頭を大岩の下に埋めて、ヘーラクレースはヒュドラーを退けた。この時、ヒュドラーに加勢した一匹の巨蟹があったが、憐れにも英雄の足に踏みしだかれて果てた。
このように12の功業を成した英雄の一生は、しかし最後まで悲愴だった。倒したケンタウロスの奸計で、毒の血に浸された衣を纏ったヘーラクレースは、自らが助からぬことを悟ると、積み上げた薪の上に横たわり炎の中で最期を受け入れた。そうして人間から受け継いだ肉体が燃やし尽くされた後、神から受け継いだ永遠の命が、星座として神々の間に座しているのだと神話は語る。

こと座のベガよりも高い所に、アルファベットの頭文字「H」がややくびれたような星の並びを辿ることが出来れば、それがヘルクレス座の姿である。

牧夫か、英雄か。

6月上旬、二十四節気の一つ《芒種》が訪れる。穀物の種を撒き、苗を植える季節の到来だ。
しかし、先立って既に収穫時期を迎える作物がある。"麦秋"を告げるように、この時期の空で実った穂同様の金色に輝くことから麦星、麦熟れ星などの和名を持つ一等星、アルクトゥルスを持つ星座も、初夏の夜空のもう一人の偉丈夫だ。もっとも、西洋では農夫ではなく牧夫になる。

《うしかい座》は、古くからある星座にしては神話との結びつきは必ずしもはっきりしないが、どうやら"牛"ではなく"熊"との因縁が浅からぬらしい。アルテミスに仕えたニンフ、カリストーがゼウスの愛を受け、純潔を貴ぶ狩の女神の、あるいは(またしても)ヘーラーの怒りによって美しさを奪われた姿とされる《おおぐま座》。熊の身に変じられて森を彷徨うカリストーを、若き狩人、我が子アルカスが実の母と気付かずに仕留めようとする光景に心を痛めたゼウスは、親子を空に上げた。この時、息子もまた熊に変えられたとされるのが《こぐま座》だが、また別に、うしかい座こそアルカスの姿とも語られる。あるいはカリストーの父、ゼウスの饗応に人の子を犠牲にした咎で狼に変えられたアルカディア王リュカーオーンがそうであるとも言う。

いずれにしても《おおぐま座》に結び付けられるのは、後を追うようにして北天を巡っていくからだろう。アルクトゥルスは「熊を護る者」を意味するギリシア語に由来する。

やがてこの星の名は、伝説的な英雄に受け継がれることとなった、かも知れない。衰勢のローマ帝国がブリタンニアから撤退した後の5世紀頃、サクソン人の侵攻に抵抗したブリトンの王がそのモデルになった人物の一人と考えられている。『第9軍団のワシ』をはじめ、歴史に根差した数々の名作を残したローズマリ・サトクリフも、この"真実のアーサー王"アンブロシウスとその甥、<大熊>アルトスと呼ばれたアルトリウスの物語を綴っている。

「Arthur」の名の由来については、諸説論じられているらしい。ローマの氏族名アルトリウス(Artorius)が現地化した名であるとも言うし、"熊の王(Arto-riχs)"に通じるとも言われる。ケルト古語Artosが意味する熊は神やトーテムとして崇められ、また"首長"や"戦士"の象徴であったのかも知れない。そうした様々な言語学的な考察の中で、熊を見守ってひときわ輝く金色の星「Arcturus」に、起源を伺う説もあるらしい。

円卓の騎士と共に駆け抜けた宝物を巡る冒険やロマンスは後世の創作であり、実在性さえ確立してはいない伝説的な人物だが、あるいは確かに一時代を生きた一人の人間も、自ら名に負う輝星を見上げて国と民の豊穣を願ったのであろうか、そう想像してみるのも、浪漫であるかも知れない。

内藤 誠一郎
内藤 誠一郎(ないとう せいいちろう)

東京大学大学院にて電波天文学を学び、野辺山やチリの望遠鏡を用いて分子雲進化と星形成過程の研究を行う。
国立天文台では研究成果を利用する人材養成や地域科学コミュニケーションに携わり、2012年からは現職で広く学術領域と社会とのコミュニケーション促進に取り組む。修士(理学)。日本天文学会、天文教育普及研究会会員。東京都出身。
自然科学研究機構 国立天文台 広報普及員
(社)学術コミュニケーション支援機構 事務局長
天文学普及プロジェクト「天プラ」 プロジェクト・コーディネータ

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