シリーズ知恵ブクロウ&生きものハンドブック

望遠鏡の誕生日

今やそれ無くしての天文学の発展を想像も出来ない望遠鏡。記録に初めて登場したのは今から400余年前の10月、オランダでのことだった。

ライデンにて

今夏、オランダを訪ねる機会があった。運河と赤レンガの美しい街にあるライデン大学は、国内最古の大学だ。オラニエ公ウィレム1世に率いられたネーデルランド諸州がハプスブルク朝スペインに対して信仰的抵抗に立ち上がったオランダ独立戦争の最中、ライデン市がスペインの包囲から解放された翌年1575年に開設されたと言う。大学立としては世界で最初(1633年)の天文台(Sterrewacht Leiden)を設置しており、天文学史に錚々たる人材を多く輩出している名立たる研究拠点だ。

「天文台の創始は"スネリウス"なのです。ご存知でしょう。」と言われてその時すぐには思い当らなかったのだが、暫くしてはたと気づいた。そうか、"スネル"だ。私達は、中学校理科の第一分野で「光の屈折」を学ぶ。高等学校で物理を学んだ人は、その屈折の法則を数学的に扱う《スネルの法則》に出会っている筈だ。そのSnellの現地名―或いはラテン語名か―がSnelliusなのだ。

法則に名を残しているヴィレブロルト・スネリウス(スネル)は父子共にライデン大学の数学者・天文学者であった。父ルドルフはかのティコ・ブラーエと同年に生まれ同時代を生きた人物であり、彼らが用いた四分儀を設置したのが天文台の始まりだったのだそうだ。

望遠鏡の故地、オランダ

「望遠鏡で最初に天体を観測した」のはガリレオ・ガリレイだということになっている。少なくとも歴とした記録を現代に残したのは確かにガリレイだ。だが、望遠鏡が生まれた―とされる―場所は、ガリレイが活躍したイタリアではなかった。今のオランダ南西部、ゼーラント州のミデルブルフ市では、南部から移住してきたガラス工業が栄えていたようだ。オランダ国会に、ドイツ生まれのメガネ職人ハンス・リッペルスハイ(リッペレイとも)が提出した30年間の特許申請の記録が残っているという。1608年10月2日のことだ。これが歴史上に望遠鏡が出現した最初の公式記録となっている。

レンズを組み合わせることで対象を拡大して観察出来る光学機器のアイディアは、リッペルスハイ一個人によって画期的に見出されたものではなく、ガラス加工技術の土台と共に当地の職人たちの間で公知になろうとしていた時期だったのかも知れない。北ホラント州のヤコブ・メティウスなる人物がリッペルスハイに遅れること僅か2週間の同年同月に別の特許を出願していたとも、これもミデルブルフのサハリアス・ヤンセンが先だって発明していたとも言われる。このヤンセンは、父子で1590年に顕微鏡を発明したとして名を残している。

いずれの人物が―或いは余人が―真に最初の制作者であったにせよ、16世紀末から17世紀冒頭という時代に、この地域で生まれるべくして生まれたものが望遠鏡なのだろう。

"屈折"しながら探求は進んだ

リッペルスハイらが発明したのは、レンズを使った望遠鏡だ。凸レンズが屈折の原理に従って光を集めることから、屈折式望遠鏡と呼ばれる。屈折率の違う媒質の界面で光の入射角と屈折角の間に成り立つ関係は、先に述べたように今日《スネルの法則》として広く知られている。

空気中から水やガラスへ入り、また出る境界面で光の進行方向が変わる《屈折》現象のことは、古代から人類は知っていた。

2世紀のプトレマイオスはこうした幾何光学の研究でも前史的業績を挙げており、まだ多分に不正確さを含みながらも屈折の法則性を探求していた。キリスト教が席巻したヨーロッパ世界が一度この分野で停滞している間、先人達の成果を引き継いで近代光学への橋渡しとなる発展を進めたのが、前回の記事でも触れた通り、イスラーム黄金時代の科学者達だ。10世紀頃、イブン・サールは後のスネリウスと同等の数学的法則をいち早く導出していた。それについて実験的考察を積み重ねたイブン・アル・ハイサムが『光学の書』を表してから1000年を来年迎える。アラビアでの前進を今度はヨーロッパが受け継いで、13世紀イギリスの修道士にして哲学者ロジャー・ベーコンが凸レンズを用いた拡大鏡の働きについて研究している。そうしてついに光学機器の時代が開花した17世紀のオランダで、スネリウスがこの法則を"再発見"した。後にホイヘンスやフレネルが光の波動性に基づく原理を確立し、現在の光学まで継承されている。

再び、ライデンにて

ライデン市内に、Museum Boerhaaveがある。オランダでの科学と医学の発展を蓄積した科学史博物館だ。中世からの植物学や解剖学の図版、各時代の医療器具。四分儀や天球儀、ホイヘンスの望遠鏡、レーウェンフックの顕微鏡。正真正銘の"ライデン瓶"。現代に至ってはヘリウムの液化に最初に成功した実験装置。科学史年表に燦然と記されるような出来事の現場の記憶がそこには積み上がっていて、「世界の見方を変えてきた学問」に5世紀にわたって立ち会って来た世界のある種の凄味を深く感じた気がした。

内藤 誠一郎
内藤 誠一郎(ないとう せいいちろう)

東京大学大学院にて電波天文学を学び、野辺山やチリの望遠鏡を用いて分子雲進化と星形成過程の研究を行う。
国立天文台では研究成果を利用する人材養成や地域科学コミュニケーションに携わり、2012年からは現職で広く学術領域と社会とのコミュニケーション促進に取り組む。修士(理学)。日本天文学会、天文教育普及研究会会員。東京都出身。
自然科学研究機構 国立天文台 広報普及員
(社)学術コミュニケーション支援機構 事務局長
天文学普及プロジェクト「天プラ」 プロジェクト・コーディネータ

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