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江戸城を歩く!歴史好きのための、大丸有春のまち歩きガイド<前編>

2010年5月10日 | post by 萱原正嗣

カテゴリー 文化

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Edo-Top.jpg東京の各所に江戸城の遺構があることは以前お伝えした通り。「江戸城にまつわる話をもっと知りたい」という方のために、またまた江戸城ネタをお届けします。

今回、突撃取材を行った「NPO法人・江戸城再建を目指す会」が主催する「江戸城本丸お花見の会」一行は、募集定員40名を超える大所帯。江戸城に寄せるみなさんの関心の高さが窺えます。同会会員で、『江戸城を歩く』(祥伝社新書)の著者であられます黒田涼さんが、ガイドを務めてくださいました。

コースはこちら。

  1. 1. 虎ノ門駅 霞ヶ関コモンゲートに保存された石垣を見学
  2. 2. 商船三井ビル 保存された櫓台跡を見学
  3. 3. 桜田門 枡形門について見学
  4. 4. 二重橋前、坂下門、桔梗門、巽櫓を経て
  5. 5. 大手門 枡形門見
  6. 6. 百人番所、中之門前 修復展示などを見学
  7. 7. 本丸跡 松之大廊下跡、富士見櫓を経て
  8. 8. 台所前三重櫓跡 大奥跡を経て
  9. 9. 天守台

以下では、各ポイントの見所、遺構の由来や逸話をお伝えします。

1-1-Common-Gate-Sotobori.JPG1. 虎ノ門駅 霞ヶ関コモンゲートに保存された石垣を見学
東京メトロ虎ノ門駅11番出口。ここから地上に出ると、石垣が目に飛び込んできます(写真右)。ここは、文部科学省が入居する霞が関コモンゲート東館前の広場です。コモンゲートの中庭にも、外堀石垣の一部が保存されています。いずれも、江戸城外堀石垣の一部を、文部科学省の建て替えの際に発掘・整備したものです。江戸時代、この石垣の手前には、水をたたえた外堀がありました。


2. 商船三井ビル 保存された櫓台跡を見学
2-1-Shosen-Mitsui-Yagura.JPG霞が関ビルから歩道橋で外堀通りを渡ります。途中、歩道橋の上からは、ツタに覆われた石組みを窺うことができます(写真右)。この石組みは、虎ノ門に侵入しようとする敵に備えるために作られた櫓の跡です。ここから、コモンゲートに遺る外堀石垣を見ると、直線で結ばれることが分かります。いまは一部を遺すのみですが、往時は虎ノ門からこの櫓台まで、堅固な石垣がそびえていました。ちなみに、虎ノ門は外堀から江戸城内へ入る門の一つ。桜田門から続く現在の国道1号(桜田通り)は、東海道が整備されるまでの時代、小田原道と言われ、虎ノ門は交通の要衝を守る関門でした。


3. 桜田門 枡形門について見学
3-1-Sakurada-mon-Korai-mon.JPG虎ノ門から桜田通りを桜田門へと向かいます。霞が関の地名は江戸時代からのものです。霞が関の坂から「雲や霞の向こうに景色を眺めることができる」(『武蔵野地名考』)ことがその名の由来とされています。今は中央官庁の代名詞ですが、往時は大名屋敷が建ち並び、上杉家や真田家、大岡越前守の屋敷がこの付近にありました。

さて、桜田門。桜田門外の変で有名な、あの桜田門です。大老・井伊直弼は、今の国会前庭にある井伊家の屋敷から桜田門を通り江戸城に登城するわずかな間に襲撃されました。当時、大名の登城風景は多くの見物人で賑わう物見遊山の対象になっていて、襲撃した水戸藩士が人混みの中に身を隠していたと言われています。


3-3-Sakurada-mon-Watariyagura-mon.JPG

それにしても桜田門は巨大です(写真右上)。これだけでも壮観ですが、この門の内側にもう一つ、さらに巨大な門があります(写真右下)。この2つがセットで1つの門を成し、1つ目を高麗門、2つ目を渡櫓門、このセットのことを枡形門と呼びます。高麗門が攻め手に打ち破られた場合でも、渡櫓門との間に閉じ込めて、周囲から弓矢や鉄砲で狙い撃ちにできる設計です。攻め手にとってみては、後ろには味方の兵が続いて退却もままならず、まさに袋の鼠がごとくメッタ撃ちにされる恐ろしい構造です。江戸城外堀・内堀に設けられた門はすべてこの枡形門。それでもあなたは江戸城に攻め込みますか?

4. 二重橋前、坂下門、桔梗門、巽櫓を経て
4-1-Nijuu-Bashi.JPG桜田門を抜けると、そこは皇居前広場。広大な空間に緑が広がるメトロポリタン東京の一大オアシスとなっています。江戸時代、ここは西の丸下と呼ばれ、幕府の重役を担う譜代大名の屋敷がありました。

皇居前広場から見えるのが二重橋です(写真右上)。ここには2つ橋が架かっていますが、だから「二重橋」という訳ではありません。この2つの橋の名称は、手前が西の丸大手門で奥が西の丸下条橋、現在はそれぞれ皇居正門石橋と正門鉄橋です。奥の下乗橋(現在の正門鉄橋)は、その名のごとく今は鉄の橋ですが、江戸時代は木製で、強度を持たせるために橋桁が二重構造になっていました。それが由来で、通称「二重橋」となり、橋が付け替えられた今でもその通称だけが残ったという訳です。なお、橋の奥に見えるのが、伏見櫓です。伏見城から櫓を移設したためこの名が付いた、との謂れがありますが、本当のところはよく分かっていないようです。

4-2-Uchi-Sakurada-mon.JPG

皇居外苑の砂利道を、内堀通りに沿って北に歩くと、左手に見えてくるのは坂下門です。桜田門外の変の2年後、ここ坂下門でも幕府重役の襲撃事件がありました。襲われたのは幕府老中・安藤信正。この坂下門外の変は、未遂に終わりました。坂下門は、現在は宮内庁への入り口となっています。

その先に見えてくるのが桔梗門(写真右中)、正式名称は内桜田門です。徳川家康が江戸城を本拠とする1590年(天正18年)よりも100年以上も前の1457年(長禄元年)、太田道灌が江戸城の基礎を築きました。その太田氏の桔梗門が瓦に残っていたため桔梗門と呼ばれるようになったと言われています。ちなみに、通称桜田門の正式名称は外桜田門です。

4-3-Tatsumi-Yagura.JPG

桔梗門の左手に見えるのが富士見櫓、右手に見えるのが巽(たつみ)櫓です(写真右下)。富士見櫓は江戸城で唯一現存する三重の櫓です。1657年(明暦3年)の明暦の大火で天守が焼け落ちて以来、この富士見櫓が天守の代わりを果たしたということです。また、巽櫓は石垣が折れ曲がる箇所に建てられた隅櫓で、唯一現存するものです。巽は方角でいうと東南。本丸から見たときの方角からその名がついたと考えられます。

~後編へ続く~

関連ニュース:
「外堀」ってどこのこと?東京の歴史と魅力は「○○城」にあり!

"新しい魅力ある国づくり"のシンボルとして江戸城の再建を目指す 「NPO法人 江戸城再建を目指す会 」(新しいウィンドウが開きます)
黒田涼さんの著書 『江戸城を歩く』(祥伝社新書)(新しいウィンドウが開きます)

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