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【レポート】最前線を走り続ける、時代をredesign(再定義)する力 前編

特別イベント「平成の30年を振り返り、これからの未来を考える夕べ」 第1回 2019年1月17日(木)開催

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振り返れば、日本経済がバブル期終焉を迎える直前から30年続いた「平成」は、昭和に劣らぬ激動の時代でした。1990年代以降、「失われた10年」や「失われた20年」と称される長い経済低迷期が続く中、既存のビジネスモデルを揺るがしたITバブルや世界の経済に大きな爪痕を残したリーマンショックが起き、さらには、多くの尊い命を一瞬にして奪った阪神・淡路大震災、東日本大震災という未曾有の二大地震にも見舞われました。

そして、世界情勢がめまぐるしく変化を遂げ続ける今、AIを駆使した技術革新をはじめ、あらゆる分野において急速にかつてないイノベーションが次々と誕生しています。何が起きても不思議ではない反面、何が起こるかも分からない、いわば予測不能の混沌とした状況にある中、この4月30日、日本は天皇陛下のご退位によって平成に幕を閉じ、新しい時代を迎えようとしています。

今年度、エコッツェリア協会と中小機構TIP*Sが連携して開催する特別イベント「平成の30年を振り返り、これからの未来を考える夕べ」は、"平成元年"に縁のあるゲストをお招きし、怒涛の平成30年の歩みを振り返りながら、参加者とともに今を感じ、これからの未来を考える対話の場。1月17日に開催された記念すべき第1回のゲストは、平成元年に設立した株式会社スペースシャワーネットワーク取締役会長であり、MCIPホールディングスの代表取締役社長を務める清水英明氏。日本のエンターテイメント界をけん引する清水氏がどのような30年を歩んできたのか。そして今、どんな未来を見つめているのか。企業と個人、両方の視点から余すことなく語っていただきました。

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新しい時代への変換点である今、あえて平成30年を振り返る

新しい時代への変換点である今、あえて平成30年を振り返る

image_event0117.002 (左)中小機構TIP*Sの岡田恵実氏(右)エコッツェリア協会事務局長・稲富雅子、中小機構TIP*Sの越智稔之氏

今回ファシリテーターを務めたのは、中小機構TIP*Sの岡田恵実氏。最初に参加者に向けてこのように話しました。

「平成の30年が終わろうとしていている今、新しい時代への変換点であるこの特別なタイミングに、あえてその30年間を振り返ることで見えてくる未来があるのではないかと考え、エコッツェリア協会と中小機構TIP*Sが連携して本イベントを実施するに至った」(岡田氏)

続いて、中小機構TIP*Sの越智稔之氏とエコッツェリア協会事務局長を務める稲富雅子から参加者に向けた挨拶が行われました。

「中小機構TIP*S(独立行政法人中小企業基盤整備機構)は、中小企業の皆さまの経営課題の解決や助言・アドバイスなどを行う機関。エコッツェリア協会とは、多様な人々が混ざり合い、新しいことにチャレンジし、新しいことを生み出していくという同じ志のもと、4年ほど前からさまざまな活動をともにしている。これからの時代を見据えた時、今ある課題だけではなく、未来に向けて何ができるのかということを考え、新たな気づきを得て一歩踏み出していけるような学びの場を作っていきながら、今後も互いの交流やつながりを通じて、新しい未来に向けて進めていきたい」(越智氏)

「エコッツェリア協会は、大丸有エリアに拠点を構える大企業とともに新しい価値を作っていくことを目指して活動している。地域や企業の規模が大きい分、なかなか新しいことが起こしづらい側面もあるが、人材教育に注力している中小機構TIP*Sと連携することで、さまざまに新しいことが生まれてくるのではないかと考え、ご一緒させていただいている。これを機に、当協会の活動についても知っていただけたら幸い」(稲富)

丸の内30年の歴史とは、まちづくりの歴史

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次に、平成の30年を振り返るべく、エコッツェリア協会の専務理事を務める村上孝憲が、「丸の内の30年間」についてのプレゼンテーションを行いました。この30年、丸の内エリアの再開発に従事してきた村上によると、「丸の内の30年の歴史とは、東京の都心におけるまちづくりの歴史」。まず、これまでとこれからの時代を30年ごとに区切り、それぞれについて解説しました。1930年からの30年を昭和前半、1960年からの30年を昭和後半とすると、その後に続くのが、平成の30年。昭和から平成へと時代が変わった1989年、日経平均株価が38,957円の史上最高値を記録した12月29日を境に景気は後退の一途を辿り、日本経済は長期にわたる低迷期に突入しました。

「1995年の阪神・淡路大震災、2008年のリーマンショックなど、代表的な出来事を見ると、平成は少し暗い時代だったとも言える。そして平成が終わろうとしている今、東京2020を契機にして、日本をもう一度元気にしようと、皆が同じ方向を向いているように思う。一方、約30年後の2050年には、シンギュラリティの時代が来ると言われている。さらに30年後の2080年については、正直なところ分からないが、自身が長く携わってきた分野で言うと、一番ショックを受けたのは、3Dプリンタでまちづくりができる時代が来ると言われていること」(村上)

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時代がちょうど昭和から平成へと変わる前、先立って1988年に大手町・丸の内・有楽町地区再開発計画推進協議会(現・大丸有地区まちづくり協議会)が設置されたことは、その後紡がれていく丸の内の平成30年の歴史において、特筆すべき出来事でした。

「幸いにも、丸の内エリアでは、ビル単体を建て直すことよりもまず、"まちづくり"についてもっと考えていこうという動きがあった。その後、比較的スムーズに再開発が行えたのは、当初から地権者の方々と話し合い、合意を得られたことが大きなひとつの理由だと思う。平成の初期ごろ、世の中のトレンドをけん引していたのは、思春期の団塊ジュニア世代。当時、我々(三菱地所)も、若者層をターゲットとした店舗づくりに注力していた」(村上)

バブルが崩壊し、就職氷河期に突入した頃の丸の内エリアは、「黄昏の街、丸の内」と紙面で揶揄されたこともあるように、午後3時を過ぎるとシャッター通りと化す古いオフィス街でした。現在のように多様な人々でにぎわう街へと発展するきっかけになったのは、2002年に地上180m、37階建てビルとして、全面改装してオープンした丸ビルこと、丸の内ビルディング。

「丸ビルを建て替える契機になったのは、阪神・淡路大震災。耐震性に問題のある建物は建て替えていくべきであると協議したのち、テナントからも理解を得て、約7年の年月をかけて竣工した。この頃からそれまでの若年層に代わって、消費をけん引するようになった中高年層をターゲットとした店舗構成に移行していった」(村上)

そうして建設されたのが、丸の内オアゾやTOKIAなどの複合商業施設やオフィスビル。その後、新丸ビル、有楽町イトシア、丸の内パークビルなどが次々と建設され、さらには東京駅の復原工事や川端緑道の開通、鉄鋼ビルディングや大手町ホトリアの竣工などが進められました。丸ビル開業前、約280店だった丸の内エリアの店舗数は、2017年には約870店までに増え、15年ほどで約3倍の成長を遂げています。

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次に紹介したのは、大手町・丸の内・有楽町地区まちづくり懇親会による「まちづくりガイドライン」の対象地区を示したマップ。一点鎖線で囲われているエリアが、まちづくりの対象地域で、水色に塗られているのが、平成になってから建て替えられた建物、ピンクは現在建て替え中の建物、黄色はまだ建て替えていない昭和時代の建物。

「現在、丸の内エリアには100本のビルが建っている。ご覧のとおり、大手町、丸の内ではかなり建て替えが進んだ。対して、進んでいないのは有楽町地域。この3地域の再開発を担う我々としては、今後、有楽町のまちづくりが大きな課題のひとつになってくる」(村上)

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左の写真は、1964年の丸の内仲通り。銀行が軒を連ねるビルで埋め尽くされた街並みには、どこか寂しい雰囲気が漂います。歩道は狭く、車道はどちらかと言うと、駐車場代わりに使われていたのだとか。対して、右の写真は、現在の仲通り。歩道をより広くする、歩道と車道に同じ床材を使う、昼休みにはテーブルやチェアを並べるなど、にぎわいを創出するためのさまざまな取り組みが行われています。

「お話してきたように、丸の内の平成30年間は、丸の内と大手町でのまちづくりが次々と進められてきた時代だった。今後、有楽町エリアの建て替えを進めていくが、今あるものをうまく活用できる場合は、リニューアルする方針で検討している。エリアは異なるが、一例を挙げると、1958年に竣工した大手町ビルは、人間でいうところの61歳。本来、建て替える予定だったが、内装、外装の両面でリニューアル工事を進めていて、あと10年くらいは延命しようと考えている」(村上)

どれだけ時代が変わっても、変わらない大切なこと

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村上によるプレゼンテーションの後は、同じテーブルを囲む参加者同士で自己紹介が行われました。「どんな関心を持って、今日参加したのか?」「今の気持ちは?」など、各自が自由に言葉を交わし合い、場が温まったところで、いよいよゲストの清水英明氏が登場。

2ヶ月前に還暦の誕生日を迎えたばかりの清水氏。「ちょうど30年前の平成元年、自分はまだ30歳だったんだなと思いながら、村上君のプレゼンテーションを聞いていた」と人懐っこい福井弁でコメントすると、会場はいっそう和やかなムードに。実は、清水氏とエコッツェリア協会の村上は、同じ福井県出身で、しかも高校の同級生。第1回のゲストとして清水氏をお招きすることができたのは、二人の親密な関係にありました。

「福井県鯖江市という田舎に生まれ育ったこともあって、子どもの頃から自分の周辺の地域に目が向いていた。秘かな関心領域は、教育、福祉、地方自治、社会問題や地方の活性化。歴史や地理、文学や民俗学にも強い関心があった。就職活動では、自治省、文部省、厚生省を受けたがいずれも落ちてしまい、総合商社に就職したが、どれだけ時代が変わっても、どこで仕事をしていても、自分のベースにある関心はずっと変わらなかった」(清水氏)

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大学卒業後に清水氏が就職したのは、伊藤忠商事。「子どもの頃からずっと関心のあったアジアで仕事をしたい」と思い、80年代は中国、90年代はタイに駐在し、計14年間を駐在員として過ごしました。アジアに興味を持ったきっかけは、1970年に大阪府吹田市の千里丘陵で開催された大阪万博。清水氏が、まだ11歳の小学生だった頃のことでした。

「福井県から3度ひとりで行ったが、異様に楽しかった。色んな国の人がいて、色んなものがあって。外国人を間近に見るのもこの時が初めてだった。小学生の頃は、ベトナム戦争もあった。多くの苦難を乗り越えて、民衆に慕われる周恩来など、子どもながらにずっとそういうのを見てきて、気持ち的にもアジアの方をずっと見ていた。それで言うと、東京にずっといたいという意識も全くなく、日本という枠で物事を考えることもなかった。地域を行政区分や経済力で捉えないという思考が子どもの頃からずっとあった」と振り返ります。

1997年、タイをきっかけとして始まり、マレーシア、インドネシア、韓国などに波及したアジア通貨危機が発生。その年、タイに駐在していた清水氏は、本社のある日本には帰国せず、現地で同社を辞職しました。

「この先ずっと同じ会社で働いていても、このままじゃ自分がダメになると思っていた。仕事に忙殺されていた東京での勤務とは違って、タイで生活するようになって、少し気持ちに余裕が出たこともあり、メコン川やビルマの少数民族のキャンプに足を運んだりして、元々関心のあった歴史や民族、文化に目覚める部分があった。それとともに、山一證券の事件やオウム事件、阪神・淡路大震災などの出来事を駐在地から見ていて、安心していたものが簡単にそうではなくなることを痛感した。そう感じれば感じるほど、本当に自分がしたいこととは何か、本当に心地良い世界とは何かと、自分と向き合う部分がすごく強くなった。そして、本当に自分が好きなことを突き詰めていこうと決めた」(清水氏)

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40歳を目前にして、思い切った決断をした清水氏。しかし驚くのは、ここから先の展開です。タイの出版会社でフリーの通訳者や編集者として働いたこともありましたが、日本に帰国してからの期間を合わせると、実に退職から約4年もの間、「あまり働いていなかった」と話します。

「毎日、図書館に行き、色んなことを考えながら、幅広いジャンルの本を手当たり次第読んでいた。元々読書は好きだった。本にはさまざまな人の体験の蓄積があって、ジャンルを問わずに読書に没頭した時間は、その後の自分のベースになったし、仕事にも活かされている。
働いてなかったので、焦りもあったが、結果として良い経験になったと思っている」(清水氏)

そして42歳の時、次なる転機が訪れます。以前勤めていた会社の先輩から、「スペースシャワーネットワークが新しい事業を始めるらしいから、働いていないならそこで働いてみないか?」と誘いを受けました。

「音楽業界とは無縁だったし、正直、当時はスペースシャワーネットワークに入りたいという願望もなかったが、さすがに女房がしびれを切らしたこともあり、転職した。といっても、最初は半年間の契約社員。当然ながら、一番下っ端。最低限の給料をもらいながら、自分の関心事を調べていたり、別にネットワーキングみたいな仕事もしたりと自由気ままな日々を過ごしていたが、3~4年目くらいに当時の社長から"おまえ、全然働いてないな"と言われてしまって(笑)」

「途中から音楽の仕事にすごく関心を持つようになって、やる気が出た」と話す穏やかな口調とはうらはらに、その後の清水氏の成長曲線は目を見張る急激なカーブを描きました。2006年に音楽関連子会社の社長に就任し、2011年には株式会社スペースシャワーネットワークの本社の社長へと就任したのち、2年前に同社の取締役会長に就任。2018年には、日本のコンテンツをアジア各国・地域に輸出しながら、各国の現地でアジアの人々と新しいコンテンツを作り出すエンターテイメントカンパニー、株式会社MCIPホールディングスの代表取締役社長に就任。さらに近年は、吉本興業のアジア事業の責任者も兼務し、3つの柱を軸にアジア全域を飛び回る多忙な毎日を送っています。

イベント後半では、現在に至るまでの清水氏の仕事の軌跡について振り返りながら、氏の原点である思考やこの先に見つめる未来など、多彩なテーマで繰り広げられました。その後、参加者と清水氏との間で意見交換や質疑応答が行われ、実りある対話の場となりました。レポート後編ではその模様をお届けします。

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