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【国内】日本の「住」はどこから始まっていたのか?

米軍ハウス・Dependent Houseから受け継いだもの、失ったもの

米軍ハウスに学んだ暮らし方

私たちを取り巻く外的要因が「環境」だとしたら、その対になる内的要因が「食」。「食」を「食べること」「食べ方」も含めてリ・デザインすることが、日本の未来のためにも必要だと考えられています。

その「食べ方」に深くかかわるのがキッチンや台所、ひいては「暮らし方」全般です。今回は、現代日本のライフスタイルの基本に大きく影響を与えた「米軍ハウス」を現代に甦らせる取り組みを通して、私たちの「暮らし方」を考えてみたいと思います。

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暮らし方を考える人たち

米軍ハウスを甦らせる

米軍ハウスは通称で、正式には「Dependent House」と言います。"Dependent"とは扶養家族を指します。占領軍として日本に駐留した米兵たちが家族とともに暮らす家。それがDependent Houseなのです。

この米軍ハウスを現代に甦らせようとしているのが、東京・福生市に拠点を置くNPO・FLAGのみなさん。デザイナー、建築家、農業経営者など多様なメンバーが集まって今年3月に発足。福生に残る米軍ハウスを街の資源として、シェアオフィスや農業体験、イベントなどを主催し、福生のまちづくりに取り組んでいます。

左からSAYAMA HOUSEのコンストラクションを担当した若林さん(NPO FLAG)、SAYAMA HOUSEオーナーの宮野さん、FLAG副理事長の佐藤竜馬さん、同理事長の佐藤志織さん

今年になって、その目玉としてスタートしたのが米軍ハウスを現代に甦らせるプロジェクト「SAYAMA HOUSE」です。実際に大工として米軍ハウスの建設に当たった宮野武儀さん(故人)のご子息の義保さんの協力のもと、当時の資料、義保さんら当時の米軍ハウスに間近に接した人たちの記憶を掘り起こし、「当時を知る人たちの記憶の最大公約数的な米軍ハウス」(宮野さん)を再現すること成功、現在2棟が完成、12月には第二期工事も完成する予定となっています。

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戦後の復興とも密接な関係が...

米軍ハウスとは

米軍ハウスをざっとおさらいしましょう。

戦後、大量の米兵が占領軍として駐留するに当たり、必要だったのが彼らが住む家でした。敗戦直後の1945年11月に、GHQから国内1万6000戸、朝鮮4000戸、合計2万戸の住宅を建設するよう命令が下ります。その際の方針が「日本資材と吾国(アメリカのこと)における設計および施工技術を以って米人の生活様式を満たすような建物たること」というものでした。

宮野さんの父・武儀さんは、米軍ハウスの建築に携わった大工だった。米軍ハウスの復刻版建築のために、宮野さんの家に残るさまざまな資料も検証された。写真はその資料の一部だ。

その中心となった人物が、米軍のデザインブランチのチーフを務めたH.S.クルーゼ少佐です。日本の材料を使って、日本の大工たちに作らせる仕事です。彼はインチ法で書かれた設計図を、日本従来の尺寸法に書き換え、日本の伝統的な木造軸組構法で建築できるようにアレンジをしています。

また、慣れない日本で暮らす米兵たちのために、家具や什器は日本製ですがアメリカ同等のものを備え付けにする、アメリカ西海岸を範にしたアメリカンデザインの住宅にするなど、さまざまな苦心をしていますが、注目すべきはソフト面でした。
クルーゼは、居住者が孤独に陥らないように必ず偶数で住居をユニット化し、世帯が孤立することを防ぎました。また、直線的なグリッドを廃し、曲線を使った道路に沿って配置しています。前庭も広く取り、隣家との境界をオープンに。「休日にバーベキュー」というアメリカンライフスタイルがそのまま持ち込めるようにもなっています。

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私たちの暮らしのリテラシーの基本が

何が日本に伝わったのか

米軍ハウスは、その後日本人の憧れの生活のモデルとなります。ダイニングキッチンとリビング。バスとセットになった清潔な水洗トイレ。明治期から緩やかに進んできたライフスタイルの変化は、マッカーサーが命じた農村の生活改善とともに、全国隅々にまで爆発的に広まっていきます。

SAYAMA HOUSEのキッチンもさまざまな工夫がされている。

明治から昭和初期にかけて、国内の建築家が西欧式建築に取り組んだり、西洋式住宅を商品化する「あめりか屋」といった取り組みも見られ、大正期には女性を中心とした「台所改善運動」なども起こりましたが、限定的なものにとどまっていました。米軍ハウスは、強力に、決定的に日本のライフスタイルを変えたのです。

その特徴としては、
・ダイニングキッチン
・食器の共用と食器洗いの習慣
・ソファのあるリビング
・テーブルと椅子の生活
・クローゼットや衣類ダンスの使用
・水洗式・洋式トイレ
・欧米式風呂
などが挙げられます。こうしてみると、今の日本の生活そのものですが、これらは、漠然と日本に浸透していったのではなく、明確な契機をもって日本に導入されました。その契機こそが米軍ハウスだったのです。

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すべてを受け継いだわけではない

日本が手に入れたもの、失ったもの

米軍ハウスのもうひとつの特徴に、日本の建築技法との融合がありました。幼少期に米軍ハウスと親しく触れ合っていた宮野さんは、「たとえば長押が、アメリカ式の2mでなく、尺寸法の182cmの高さであるなど、ちょっとしたことが、和洋折衷の米軍ハウスらしさを出している」と指摘しています。欧米スタイルを日本流に解釈したとも言えるかもしれません。その「日本性」が、米軍ハウスを日本人にとっても心地よいものにしているのです。

長押の高さを説明してくれる宮野さん。

しかし、現代に視点を移すと、そうした建築の中の日本性はますます失われつつあります。多雨の日本では軒や庇が必須ですが、現代の建売住宅で軒のある住宅はありません。縁側も失われ、とってつけたようなウッドデッキが主流になりつつあります。また、クルーゼ少佐が細心の注意を払って考え出したコミュニティ性も失われています。特に都市部では、住宅は外界と完全に隔絶し、隣家とのコミュニケーションが成立しにくくなっています。

日本の建築は、戦後、米軍ハウスの影響を受けながら急速に欧米化してきました。プレカット、プレファブリックという大量生産の技術のおかげで、多くの日本人が"憧れ"の欧米スタイルの暮らしを手に入れることができたのです。しかし、その引き換えに、気がつけばかつての「和洋折衷」は姿を消し、コミュニティを作るソフトは失われました。「住宅」という形だけを引き継ぎ、住宅が持つ「暮らしのリテラシー」を失ってしまったともいえるでしょう。

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もう一度「暮らし」を考えるには

まちづくりとしての「住宅」と「ライフスタイル」

NPO FLAGのサイトより

FLAGが取り組む「SAYAMA HOUSE」のプロジェクトは、まさにこの点を捉えかえすことを目的としています。福生のまちづくり、活性化を目指すFLAGでは、米軍ハウスが持つコミュニティ能力の可能性に注目し、基地で働く外国人とも協力しながら、住宅を基盤とした新しい形のコミュニティを構築しようとしています。

日本では「シェアハウス」の違法性を巡って議論が続く一方で、「シェア」の可能性に注目する人たちもいます。米軍ハウスという住宅スタイルは、シェアリング社会の可能性を考えるうえでも、大きなヒントを与えてくれるものといえそうです。

SAYAMA HOUSEのコンセプトは、「住まい手が幾たびか手を入れた米軍ハウス」。図面、現存する米軍ハウス、資料、さまざまな人の証言を蒐集し、その最大公約数的なイメージの抽出に成功している。できるだけ当時のものに近い部材・建材を時間をかけて探し、施工した。現代の生活に慣れている人には、もしかしたら不便に感じるところがあるかもしれない。だが、それがいい。それが暮らしのリテラシーを育てていく。良い住宅は住まい手を育てるものなのだ。


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