過去のアーカイブ過去のニュース

【大丸有トリビア vol.2】有楽町マリオンの"マリオン"は、女性の名前!?それとも・・・・・・

news100618_02.jpg

7月11日に迫った、第3回丸の内検定。
丸の内地球環境新聞では、試験日まで毎週1問、丸の内検定ガイドブックの問題をご紹介します。今週は建築問題!

○ ○ ○ ○ ○ 

Q42 建築(丸の内検定ガイドブックP.94)

有楽町マリオンの"マリオン"の由来は次のどれか。

(1) 人の名前  (2) 街の名前
(3) 建築用語  (4) 造語


解説

JR有楽町駅に隣接し、丸の内エリアと銀座エリアを結ぶ結節点に位置する有楽町マリオンは、有楽町駅前開発事業の一環として、昭和59年(1984)10月6日にオープンした。

有楽町マリオンは通称で、正式には有楽町センタービルディング(千代田区有楽町2-5-1)という。複合的な商業施設で、有楽町阪急と有楽町西武2店が並び、TOHOシネマズ日劇、丸の内ピカデリー、有楽町朝日ホールなどある。

かつてこの敷地には、朝日新聞東京本社や日劇の名で親しまれた日本劇場、邦楽座があった。朝日新聞がこの場所に社屋を構えたのは昭和2年(1927)で、昭和55年(1980)に中央区築地に新社屋が完成、移転する。邦楽座の開場は大正14年(1925)で、以後、丸の内松竹、ピカデリー劇場と改称され、老朽化のため昭和56年(1981)に閉鎖、取り壊されたが、マリオン完成とともに丸の内ピカデリーとして再開場した。

日劇は当初、4,000人を収容する大劇場として構想されたといわれ、正面が弓のように湾曲した外観、広い舞台、アールデコ調の内装など、当時として画期的な建築要素を取り入れ、渡辺仁設計、大林組施工により昭和8年(1933)に竣工、同年12月24日に開場披露会式が盛大に催された。設計者の渡辺はDNタワーに生まれ変わる前の第一生命館、農林中央金庫有楽町ビル、また、銀座の和光(旧服部時計店)の設計者としても知られる。

この日劇は戦時中の空襲や終戦後の占領軍による接収を免れた。戦後は東宝映画上映とショー公演の2本立て興行を行い、特に日劇ダンシングチーム(NDT)のレビューと人気歌手によるショーが人気を博し、半世紀近くにわたりわが国芸能界のステイタスシンボルとして全国に知れわたった。しかし、娯楽の殿堂といわれた日劇も老朽化には逆らえずに昭和56年に閉館となった。劇場としての歴史は現在のTOHOシネマズ日劇に受け継がれている。

竹中工務店が設計・施工した有楽町マリオンのマリオンは建築用語で、外壁を構成するカーテンウォールにおいて窓と窓などを仕切る縦枠材を"方立て"といい、マリオンはこの方立てを意味する。

marion.jpg Nichi_Geki.jpg

* 写真左:1時間ごとに音楽を奏でる「からくり時計」が人気の有楽町マリオン Creative Commons. Some rights reserved by Nemo's great uncle.
* 写真右:竣工当時(1933年)の日劇
* 記事本文は、丸の内検定ガイドブックより提供されています

丸の内検定ガイドブック

お問い合わせ:
株式会社 菱芸出版
東京都千代田区丸の内3-4-1新国際ビル5階  TEL:03-3201-1601(代)
丸の内検定ホームページ