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生まれ変わった東京駅、伝統と最新技術の融合を見た(JR東日本)

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1. 「保存」+「復原」の道を選んだJR東日本

2012年10月、約5年間かけて行われてきたJR東日本「東京駅丸の内駅舎保存・復原工事」が終わり、生まれ変わった駅舎がその全貌を現わした。最新鋭の高層ビルではなく、あえて創建当時の外観を忠実に再現した3階建ての堂々たる姿だ。新駅舎は、ただ100年前にタイムスリップしたのではない。伝統工法と最新技術とを駆使して、重要文化財にも指定された建築物としての完成度の高さと、免震工法をはじめとする安全性や環境性能をあわせもつ、機能美の結晶として生まれ変わったのだ。壮大な保存・復原工事を実現するには、施主とゼネコン、職人、デザイナー、協力業者らの人知れぬ努力と苦労があった。その舞台裏と、新東京駅の見どころを紹介したい。

1. 「保存」+「復原」の道を選んだJR東日本

■ 「風格ある都市空間を形成する」という使命感のもとに

2012年9月22日と23日の夜、東京駅で行われたイベント「TOKYO STATION VISION - トウキョウステーションビジョン」が、駅近辺にいた人々の度肝を抜いた。駅舎を巨大なスクリーンに見立てて、高精細のフルCG映像を投影した光のイリュージョンは、東京駅丸の内駅舎保存・復原工事の完成を祝う記念イベントだった。駅近辺に集まった人の数はざっと1万人。あまりの人の多さに途中で打ち切られたほどだ。

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上が施工中(2010年10月頃)、下がリニューアル後の東京駅丸の内駅舎

2007年4月に始まった5年以上にわたる保存・復原工事を終え、行幸通りの正面に姿を現した新丸の内駅舎は、100年前の日本にタイムスリップしたかと錯覚するほどの格調高さと美しさを兼ね備えている。中央棟から両翼を広げた鳥のように南北へのびる建屋の総延長は約335m。美しい赤レンガの外装に、白い帯形や窓枠と黒いスレート屋根が映える。

日本近代建築のパイオニアである辰野金吾が設計し、1914年(大正3年)に創建された当時の姿を忠実に再現した。戦前、多くの人々に愛されてきた駅舎は、約1世紀の時を超えて本来の姿を取り戻した。

外壁などの残された部分を「保存」しつつ、ドームなどの失われた部分を「復原」する。施主であるJR東日本には、この大工事に着手する上で「首都東京の風格ある都市空間を形成する」という強い使命感があった。丸の内駅舎の保存をめぐっては旧国鉄時代からさまざまな意見や動きがあり、24階や35階建ての超高層ビルに建て替えようという案が検討された時期もあったという。現代的な駅ビルにするのではなく、あえて「保存」と「復原」の道を選んだ理由について、JR東日本は次のように話す。

「東京駅周辺では、国や東京都が都市づくりに関してさまざまな将来構想をもっていました。また、都市に伝えられてきた建築デザインや歴史的建築物を保存しようという機運も年々高まりをみせています。こうした世の中の情勢を受けて、赤レンガ駅舎と行幸通り、そして皇居という20世紀における日本の近代化を象徴する貴重な空間を後世に残そう、ということで関係者の意見が一致して、保存・復原に踏み切ったのです。」(JR東日本建設工事部)

■ 推進委や専門委を社内に設置、「空中権」の移転で工費を捻出

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東京駅の保存・復原工事には、創建当時と同じ材料や工法が可能な限り採用された

保存・復原の方向性は固まったものの、工事を進めるにあたって解決すべき課題が山積していた。まず、駅が創建された100年前の姿を正確に知る必要があった。着工前の駅舎は、戦災で焼失したドームや屋根、内装などを1947年(昭和22年)に復興したものだが、その時点で3階建てから2階建てへと改修され、ドームも失われていた。

このため、古い図面や昔の写真類など、当時の姿を知る手がかりとなる資料を集められるだけ集め、読み解きを進めた。また、建設時は杭打ちなど一部の作業を除き、ほとんどの工程が職人による手作業で進められていた。今回の工事では、できるだけ当時の工法を採用することにした。

そこで、社内に「丸の内駅舎保存・復原に関する調査・設計プロジェクト推進委員会」を発足させ、歴史・デザイン・材料・構造については委員会のもとに社外の学識経験者を含む専門委員会を設置して、プロジェクトを進めることになった。専門委員会は2002年10月から2012年6月まで合計22回開かれ、工事が着手されてからも専門家の意見を聞きながら調査や検討を実施して、詳細な仕様や工法などを決定した。その間の2003年に、東京駅は国の重要文化財に指定された。鉄道史上重要な建築物であるとともに、首都東京を代表する近代建築としての文化的価値が認められたのだ。

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工事にかかった費用の多くが、周辺に建つ高層ビルへの「空中権」の移転でまかなわれた

一方、保存・復原工事には多額の費用がかかる。そこで、2000年の都市計画法と建築基準法の改正により創設された「特例容積率適用区域」の制度を活用した。高度利用すべきと認められた区域内の未利用容積を、別の敷地の容積に上乗せすることができる仕組みだ。大丸有地区は、2002年に適用区域に指定されている。保存・復原後の駅舎は3階建てで、周りのビルに比べて圧倒的に低層だ。そこで発生する約18万㎡に及ぶ未利用容積、いわゆる「空中権」を、八重洲開発、新丸ビル、東京ビル、丸の内パークビル、JPタワーへ移転することで工費を捻出した。

  1. 大手町・丸の内・有楽町地区特例容積率適用地区及び指定基準(PDF)
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2. 見えない地下に最新の免震装置が

2. 見えない地下に最新の免震装置が

■ 駅舎に手を加えることなく免震化を進める

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免震化工事フロー図

新丸の内駅舎は、創建当時の姿を忠実に再現しているだけではない。日本が世界に誇る最新の技術によって、高い安全性と快適性、そして環境性能を併せ持った最新のステーションに生まれ変わったのだ。その目玉が、阪神淡路大震災クラスの巨大地震にも耐えうる免震化工事だ。

「実は、今回の工事に合わせて耐震改修を行い、耐震性能を高める計画があったのです。しかし、耐震補強の方法によっては既存のレンガ壁を撤去したり、コンクリートや鉄板で覆ったりする必要があり、建築物が本来持つ価値を損ないかねません。」(JR東日本建設工事部)。また、駅には震災時に施設内の人を保護するなど、地域の防災拠点としての機能も求められる。

このため、既存建築物への影響を最小限にとどめられる免震工法を採用することが決まった。とはいえ、駅は毎日多くの人が利用する特殊な施設。しかも重要文化財である丸の内駅舎では、通常の工事と違って保存・復原を意識した慎重な作業が要求された。

そこで採用されたのが、上部の躯体に耐震部材を加えたり建物の外観を変えたりせずに、地震に強く安全な建物にすることができる「免震レトロフィット」工法だ。工事をしながら建物を利用することができるため、別名「居ながら工事」とも呼ばれる。歴史的価値の高い建物や業務の一時停止が難しい公共施設に有効とされており、一日に平均約76万人が乗降する駅には最適だ。

■ 過去最大規模の免震レトロフィット工事が開始

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共同企業体工事事務所の副所長として工事を統括した、鹿島建設東京建築支店の上浪鉄郎さん

施工を請け負ったのは、鹿島建設・清水建設・鉄建建設の3社による共同企業体。各社とも大規模工事や免震化の分野で多くの実績があるものの、全幅330mを超える長大な建築物に免震工法を適用するのは前代未聞の大工事だ。専門委員と設計や施工の担当者がひざを突き合わせて話し合いを重ね、ようやく計画が固まった。

計画の概要こうだ。既存の鉄骨レンガ造の駅舎の真下に地下2階分の地下躯体を新設して機能を拡大し、その間に免震装置のアイソレーターとオイルダンパーを設置して免震化を実現する。こうして保存・復原の要ともいうべき免震化工事が始まったが、その施工は苦労の連続だった。当時、共同企業体工事事務所の副所長として工事の統括管理にあたった鹿島建設東京建築支店の上浪鉄郎さんは、過酷な状況を次のように振り返る。

「まず、既存駅舎を残したまま地下構造物を新たに構築するため、駅舎の1階部分に別の躯体をつくり、これを工期中に杭で支える『仮受け工事』を行いました。新たな杭を450本ほど打ち込むのですが、そのための掘削工事と大量の土の搬出が思うように進まず、半ば人海戦術で約3年かかりました」

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仮受工事の概念図

また、創建当時の駅舎を支えていた約1万本の松杭がほぼ健全な形で残っていたため、地下で松杭にぶつかるたびにそれを除去し、改めて穴をあける作業を余儀なくされた。

杭打ちが終わると、次は1階部分に新しく構築した鉄筋コンクリートの土台を仮設杭に荷重を移行する作業が待っていた。重要文化財である東京駅を象徴する外壁のレンガにひびを入れたり、はがれ落ちたりすることなく工事を行わなくてはならない。総重量7万tにもなる駅舎の荷重により躯体が変形しないように、実験で安全性を確かめた上で工区を細かく分け、割れが生じないように計測しながら少しずつ作業を進めた。
構造をつなぐ

■ あまりの狭さにスケートボードで移動する現場も

仮受けと地下構造物の工事が一段落すると、いよいよ免震化工事が本格的に始まった。設置するアイソレーターの数は352台。それに加えて、衝撃吸収の役割を担うオイルダンパーを158台設置する。これほどの大規模な免震化は国内でも初めてだった。設置したアイソレーターに仮受け部分が支えていた荷重を移していく工程では、特製のフラットジャッキが使用された。

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スケートボード上に腹這いになりながらの作業。

一連の工事のほとんどは地下で進められたが、施工環境の厳しさは例のないものだったという。「1階部分の地盤面が決まっているため作業空間の高さは人がかがんで歩ける程度です。しかも、北ドームの下付近に総武線の構造体が潜り込んでいて、わずか40cmほどの高さしかありません。そこにも約80台のアイソレーターを設置する必要があり、這うようにして作業を進めました。」(上浪さん)。スケートボードの上に腹這いになって移動しなくてはならない場所もあったそうだ。

しかも、工事をしている間も駅は通常通り営業しており、頭上では多くの人が行き来している。駅機能への影響を最小化するため、エリアによっては、1日に取れる工事時間は実質3時間足らずのところもあった。こうして2011年9月末に約4年半をかけた免震化工事が終わり、仮受けの撤去と仕上げ工事に入ることができた。

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3. 部材から施工法まで可能な限りオリジナルを採用

3. 部材から施工法まで可能な限りオリジナルを採用

■ 焼き色が違う3種類のレンガを40万枚用意

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赤レンガひとつとっても場所ごとに微妙な色の違いがある

地下で免震化が進められている間にも、1、2階部分における修復保存と3階部分の復原作業が行われていた。内外装や装飾部材の保存・復原については、「残存するオリジナルを最大限尊重し、保存に努める」、「オリジナルでないもののうち、オリジナルの仕様が判明しているものは、可能な限りオリジナルに復原する」という方針を専門委員会が打ち出していた。

この理念に則り、当時の図面や文献などで仕様や工法が明らかになっている外壁や屋根、ドーム内部などの部分については、可能な限り当時と同じ技法を用いた。まさに温故知新だが、すでにある建築物を創建当時にさかのぼってつくり直すのは容易な作業ではない。しかも東京駅は重要文化財。保存と復原にかかった時間は想像を絶し、一芸に秀でた専門の職人やスタッフが集まって初めて成し得たものだ。作業に関わったのは、延べ78万人にものぼるという。

なかでも難しかったのが、新たに復原する部分と既存部分とを接合したり、風合いを合わせたりする作業だ。たとえば、東京駅のシンボルといえば、駅舎の外壁を覆う赤レンガ。すべて同じように見えるが、壁に貼り付けられた化粧レンガと、壁と柱の一部分である構造レンガの2種類がある。そこで、構造レンガについては内蔵する鉄骨とともに補強して活用した。また、創建当時の化粧レンガはほとんどそのまま残し、3階の復原部分や修復部分には新しく焼いた化粧レンガを貼り付けた。「既存の化粧レンガの色味が中央・北・南で微妙に異なるため、焼き色が違う3種類の常滑産レンガを合計で40万枚用意しました。」(上浪さん)。
姿をつなぐ

■ 全国から来た一流の職人が腕を競う

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銅葺きによる屋根まわりは、歳月の経過とともに色合いを変え、独特の味わいをみせるという

屋根については、天然スレートによる「一文字葺き」という手法で葺きなおすため、全国からすご腕のスレート工を集めた。スレートの約2割は、既存の屋根に乗っていた天然スレートを丁寧に採取して再利用した。残りもすべて国内産を使いたかったが、原料自体が少ないためスペイン産のものを併用した。

巨大駅舎を雨や雪から守る屋根まわりなどの防水部分は、残存する銅板葺を解体調査して復原することになった。「創建当時の銅葺きを見た人はいないので、現物と古写真などわずかな資料を頼りに試作品を何度も作りました。施工図担当者が描いた図面通りにはうまくいかず、職人が現場で調整する『匠の技』でなんとか乗り切りました。」(上浪さん)。

また、外壁や再建されたドーム内部には、漆喰(しっくい)や擬石塗(ぎせきぬり)など左官の技能がフルに活かされている。通常の左官工事ならどこの現場でも行われているが、擬石や、表面を本物の石材のように仕上げる「洗い出し」などの工法を会得した職人は多くはない。

「こうした伝統工法というのは、実際の工事で使われないとなかなか伝わりません。この工事を機に熟練工を確保してやる気のある若手を訓練してもらい、技術の伝承に努めました。」(上浪さん)。

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イオニア式の柱頭(左)は復原を機に3階へと移された。ほかにも美しい飾り彫刻(右)などが随所にある

このほかにも、前回の改築時に 2階の外壁に移されていたイオニア式の柱頭を、復原した3階の外壁に据えるなど、建築のエキスパートならではの細かい配慮が光る。また工事期間中は、騒音振動の防止はもちろん、大量に発生する土を現場内でやりくりしたり、分別を徹底したりするといった環境対策にも力を入れた。駅を使っている人の身になって作業を進めるために、社員が1日に7回駅構内のコンコースなどを見て回るパトロールも行った。

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4. 生まれ変わった東京駅のここに注目!

4. 生まれ変わった東京駅のここに注目!

■ 見どころは盛りだくさん、ギャラリーやホテルなどもリニューアル

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復原されたドーム内部には、鷲や鳳凰、干支などのレリーフが見事に再現された

保存・復原に尽力した関係者の努力により、新東京駅舎は近代建築の粋ともいえる美しい佇まいを見事に取り戻した。辰野金吾が得意としていた赤レンガと白い花崗岩を組み合わせた外壁が当初のコンセプトで甦り、失われていた3階の切妻部分や、線路側の外壁、屋根、そして南北ドーム内部の見上げ部分などが、創建当時と同様に復原された。JR東日本に、生まれ変わった東京駅の見どころを聞いてみた。

「重要文化財として、覆輪目地(ふくわめじ)や擬石、銅版葺きなどの伝統的な技法を駆使して復原された駅舎の外観はぜひ見てほしいところです。また、南北のドーム内部については、8つの干支や翼幅約2mの鷲、鳳凰のレリーフなど、細部にわたる装飾を復原した仕上げ部分が必見です。南ドーム内部には、創建時オリジナルの石膏レリーフが保存、設置されています。少し黒ずんでいるのでよく見ていただければおわかりになるでしょう。」(JR東日本建設工事部)

これらのレリーフは、オリジナルのレリーフから3Dレーザーやデジタル写真測量技術などで情報を得て復原作業が行われた。ここでも伝統技法と先端技術の融合を垣間見ることができる。
東京駅

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ステーションギャラリーでは、2013年2月24日まで復原工事完成記念展「始発電車を待ちながら 東京駅と鉄道をめぐる現代アート 9つの物語」を開催中だ

駅施設に合わせて、東京ステーションギャラリーや東京ステーションホテルなども、規模と内容をさらに充実して開業した。ギャラリーの展示室は、創建時のレンガ壁や戦災で焼損を受けた木レンガを生かしたつくりで、1世紀の歴史に直接触れることができる。

ホテルでは、多くの文人に愛されたドームに面する客室や、これまで利用されていなかった中央部屋根裏の空間を活用したゲストラウンジなど、魅力あふれる空間が演出されている。

さらに、海外から日本を訪れる人の窓口として、北ドーム内に「JR EAST Travel Service Center」(JR東日本トラベルサービスセンター)がオープンした。

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新しい東京駅は、丸ビル5階のテラスや新丸ビル7階の丸の内ハウスからも見ることができる。大丸有人よ、生まれ変わった東京駅を探検しよう!

編集部から

大丸有で働く人はなら誰もが目にしている東京駅。リニューアルについて知っていても、2階建てから3階建てになったことや、利用している間にも足下で免震工事が進められていたことに気づかなかった人は多いのでは。丸の内イルミネーションなどの催しに出かけるついでに、この新しい日本の表玄関をぶらぶらしてみるのもいいかもしれない。

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