過去のレポート都市の“グリーンワークスタイル”を探る

大丸有が取り組む東京の「地産地消」と「食のビジョン」(三國清三氏、平野直彦氏、渡戸秀行氏、大竹道茂氏、小松俊昭氏)

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1. 注目の食材「江戸東京野菜」

東京産の食材がブームだ。有名シェフが料理に採りいれ、伝統の「江戸東京野菜」の栽培も復活している。そのきっかけの一つが大丸有にあった。丸の内でレストランを経営するシェフの三國清三さんが、東京の地産地消を訴えたことが人々を動かした。「農家を支えたい」という彼の思いが、大丸有のまちが持つ情報と人の交差点という特徴と結びついて、行政や農家、そして料理界を巻き込んだ。ユニークなことが常に始まるこのまちで、都市と農業と食の新しい関係が生まれようとしている。

1. 注目の食材「江戸東京野菜」

「mikuni MARUNOUCHI」発の新しい流れ

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フランス料理シェフ三國清三さん

しいたけは「東村山産」。水菜は「練馬産」―。見慣れない産地が記されている。これは「mikuni MARUNOUCHI」のある日のメニューの一部だ。ときには食材を作った生産農家が写真入りで紹介されることもある。
「採りたてだから鮮度が違うね」。こう話すのは、経営者でもあるフランス料理界の第一人者の三國清三シェフだ。訪れた人は花に囲まれたこの店で、美濃焼の皿に盛られた東京産の食材を使った料理を楽しめる。野菜は強く快い匂いを発散させており、おいしく、鮮やかな色彩も印象的だ。「食材の力を感じてほしい」と三國さんはいう。
昨年9月にオープンしたこの店のコンセプトは、新鮮な食材を使った「ナチュラル フレンチ」だ。そこでメニューに「東京産の食材」を取り入れた。三國さんの知名度、そして発信力に、メディアや料理界が反応した。東京産野菜を使って「地産地消」をPRするレストランが増え、今ではまとまった量を調達するのが困難になるほどだ。

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シェフと東京の農家の「お見合い会」
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「とうきょう特産食材使用店」のマーク

大丸有地区は、日本でもっとも人気のある優れたシェフが店を構える場所だ。その有名シェフらは服部幸應さん(学校法人服部学園理事長)を会長に「丸の内シェフズクラブ」を組織している。三國さんと服部さんの呼びかけで、東京の意欲的な農家が、シェフたちに食材を提供し、みんなで食べながら交流を深める「お見合い会」も2010年の夏に開かれた。
関心の高まりに行政も応え、料理界との連携を始めた。2010年、東京都は初めて東京産の食材を使った料理コンテストを開いた。プロの料理人から一般人までを対象にしたもので、11月時点で応募は93件があり、12月4日に最終コンテストを行った。審査委員長は服部幸應さんだ。また、これに先立つ7月に東京都は、東京産の農林水産物を積極的に使う飲食店の登録制度を始め、9月には99店の「とうきょう特産食材」を使う店を登録した。

食材コンテスト、登録店制度..."追い風"受け東京都が動く

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東京都農林水産部の平野直彦食料安全課長

東京都はこれまでの農業支援の取り組みで、料理界との提携はなかった。「せっかく"追い風"が吹いてきたと思います。多くの皆さんに協力をお願いしながら、これをとらえて東京の地産地消を進めたいです」と、東京都農林水産部の平野直彦食料安全課長は狙いを語る。東京都はこの「風」を利用して、意欲的な農業振興策を打ち出した。食べることを通じて味覚を育て農業を学ぶ、都産の農林水産物の給食への導入に対する支援拡大や、安心安全な農作物の栽培技術指導も今まで以上に取り組んでいる。「新鮮さやおいしさ、安全性に優れる東京産食材のブランド力が高まってほしい。そして農業を応援する人のつながりを広げたい」(平野課長)という願いからだ。

都が期待するのは、このブームを契機にして東京の農業の価値を都民に考えてもらうことだ。「エコへの関心が高まっていますが、農地とのかかわりが、それを考えるきっかけになるのではないでしょうか」。農地は緑の景観の提供や癒しなど、まちにさまざまな良い影響を与える。その空間は防災の避難所に、災害時には食料の保存所の役割も果たす。農業の「見えない価値」は、都市生活で忘れられがちなものばかりだ。「東京の農業には多くの問題があり、このブームでも問題をすべて解決することは難しいでしょう。しかし東京の農業が都民の皆さんにより身近になって利益も生めば、良い方向に動くはずです」。

農業を支える人のつながりを育てるため、平野課長が期待するのがまちと農家の連携だ。東京西部の多摩地区では、地元の住宅街や商店街と農家の連携はこれまで行われてきた。今回のブームは巨大な消費地である都心から始まっている。「興味深い動きです。生産者を大消費地である都心、そして大丸有地区が支えるというのは都市農業にとって心強い支えです。この動きに行政も加わりながら、東京の農業の発展に貢献したいですね」。平野課長はブームの広がりに期待する。

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2. まちと結びつき、東京の農家に活気

2. まちと結びつき、東京の農家に活気

東京にはかつて多様な食材があった

江戸時代から昭和初期にかけて、東京は食材の宝庫だった。大消費地があったために、東京近郊の農家は昭和30年代まで特色ある多様な野菜を作った。日本料理で今でも使われる「江戸前」という言葉は、「江戸っ子の目の前にある魚を出す」という意味だ。生産の姿は風土に適したものだった。東京西部は火山灰が堆積してできた関東ローム層の厚い土に覆われている。植物が深く根を張ることができて水はけも良いため、野菜の栽培には最適の土地だ。
昔から栽培の続く「江戸東京野菜」は今でも20種ほど残る。千住葱(ねぎ)、滝野川牛蒡(ごぼう)、金町小蕪(こかぶ)、谷中生姜(しょうが)、東京独活(うど)、寺島茄子(なす)、駒込半白胡瓜(きゅうり)、品川長蕪(ながかぶ)、練馬大根(だいこん)、亀戸大根などだ いずれも自然の風味を残したクセのある味が特徴だ。

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代表的な江戸東京野菜
左:独特の形をした練馬大根、中上:奥多摩町産のワサビ、中下:あきるの市産の冬瓜(とうがん)、
右上:東久留米市産の小松菜、右下:伝統果物、柿の禅寺丸 いずれも東京農業祭で。

しかし江戸東京野菜は形が不揃いで栽培にも手間がかかり、病虫害に弱い。そして旬が定まって採れる季節が限られ、一株当たりの収穫量も少ない。現在の農業で使う種は種子メーカーが交配させて作ったものが大半だ。甘くて口当たりがよく、収穫量も多い。そのためにこうした伝統野菜の栽培は廃れ、改良種に置き換わってしまった。

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練馬区でファーム渡戸を経営する渡戸秀行さん

これに農業経営の厳しさも影響した。作り手が減ったのだ。農業の収入はそれほど多いものではない。また東京では地価の高さゆえに、相続税などのため泣く泣く土地を手放す例もあるという。1990年の耕地面積1万1,500ha、農家が約2万戸に対し、2008年には7,900ha、1万2,000戸に減少した。東京の食料自給率はカロリーベースで1%、生産額で5%にすぎない。
それでもこだわりを持って伝統野菜を守ろうとする人がいる。そうした意欲的な農家の一人である渡戸秀行さんを東京西部の練馬区に訪ねた。「まちの中にこういう場があると和むでしょう」と渡戸さんは話す。家が立ち並ぶ中に、秩序立って野菜の植えられた130aの空間が広がる。コンクリートに覆われた住宅街で見る野菜と土は、見る人をほっとさせる。

こだわりと努力が売れることで評価された

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ファーム渡戸の入り口

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住宅地の真ん中に広がる野菜畑

渡戸さんは江戸東京野菜を、だいこんやながかぶなど4種類作っている。練馬大根の生産量は昨年約1万3,000本程度だが、渡戸さんの畑は約5,000本程度と、おそらくもっとも多いという。
練馬大根は地中に深く伸びて、80cmから1mに達し、2kg以上になるものもある。収穫は大変だ。渡戸さんは農地を「食育の場」として提供することで、収穫の手間を少し省く。練馬区では区内小中学生の大根の収穫の体験授業や、地元の人を集めた「練馬大根ひっこ抜き大会」を行う。収穫した大根の一部は、練馬区内の約100の小中学校の給食に使われる。東京の農地が自然や食を学ぶ場になっている。
今年44歳になるJA職員だった渡戸さんの転機は1991年だった。政府はこの年、都市緑地法を改正し農業を続けない場合には、課税を宅地並みにした。「お金だけのことを考えたら農業は続けられない。けれども土地を守りたかった」。コンクリートで土を覆うと、二度と農地としては使えなくなる。そのために92年に家業を継いだ。
農業での収入は限られるため、渡戸さんは駐車場経営などほかの仕事から収入を得ている。苦労して作っても野菜は一束数百円だ。住宅に隣接するために、農薬も多くは散布できず、肥料による臭いも出せないため、工夫と手間が必要だ。それでも農業をするなら、社会に役立ち変わったことをしたいと、江戸東京野菜作りに挑戦している。「江戸時代から続くものを自分の時代に絶やしたくない」。こんな気持ちがあったという。
こだわり続けた渡戸さんの努力が、料理界による江戸東京野菜の再評価で、ようやく少しだけ実った。2010年夏の大丸有のシェフとの「お見合い」会にも参加した。「私たち農家の心意気を認めてもらい、うれしかった。売れるのは評価されたということです。そうなればこれまで以上にやりがいも感じるし、新しい挑戦もしたくなります」という。東京産食材のブームは、頑張る農家の支援につながっている。

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3. 「東京の食材を育てる」人々の願いが結びつく

3. 「東京の食材を育てる」人々の願いが結びつく

「遺伝資源を守る」...努力がブームで身を結ぶ

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江戸東京・伝統野菜研究会を主宰する大竹道茂さん

東京産の農産物の再評価は、多くの人の努力の蓄積の上に成り立つ。「エコに動く時代の流れ、農家の努力、そして三國さんなどの動きがぴったり重なりました」。江戸東京・伝統野菜研究会を主宰する大竹道茂さんは振り返る。大竹さんは意欲的な20人の農家、行政、JA(農協)、研究者、流通業者、そして三國さんのような料理界の人々と交流。自らもブログを通じて情報を発信し、講演・執筆活動をボランティアで続けている。「江戸東京野菜を次の世代に伝えるのは、私のライフワークです」(大竹さん)。
「東京の伝統野菜が消えている」。関係者の多くは何十年も前からこう懸念してきた。かつてJA東京中央会に勤めていた大竹さんもその一人だった。種は数年しか保存できない。「さびしいという感情だけでなく、一つの遺伝資源が消えるという重大な問題と思ったのです」。

そして伝統野菜を調べるほど愛着がわいた。「歴史が織り込まれているんです」。例えば、練馬大根にはいろいろな種類があった。細長い沢庵向け、均一の太さのおでん向け。特徴がある種を取り出し品種改良を重ねる努力が、100年以上も続いた。「効率性やお金では評価できないものが江戸東京野菜にあります」。
しかしJAも、行政も、すべての種を保存できる予算はない。そのために大竹さんは「伝統野菜を育ててくれませんか」と20年前から農家を訪ね歩いた。「売れんのかね」。JA職員として東京の農家の多くと大竹さんは知り合いだったが、それでも以前にはこんな質問をされた。ここ数年は「ぜひ作りましょう」と反応が変わっている。「売れることで、伝統野菜がしっかりと守られるようになったのです」と、大竹さんは微笑む。
こうした努力が料理界を引き寄せた。日本料理「日本橋ゆかり」などの有名店が江戸東京野菜を使い始めた。それに三國さんたち大丸有地区のシェフが参加することで、ブームがさらに広がった。「大丸有地区は発信力がある。ありがたい」。そのまちの力に、大竹さんは期待を寄せている。

味、食育、地産地消...大丸有で広がる夢

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mikuni MARUNOUCHI

三國さんは農家を守ろうと熱意を持って動く。なぜ東京の農家を支えようとするのか。料理のプロとして素材の生産者に感謝の念を抱き、良い関係をつくることを心がけてきた。しかし、それだけではない。三國さんは北海道出身で両親は半農半漁の仕事だった。畑で働く母や、冬の海で船の縁(へり)に凍った手を打ちつけて血行を良くしながら網を巻き上げていた父の姿を今でも忘れない。「神さまに言われたわけではないけれど、僕は農家の頑張る姿を伝える義務があると思っています」(三國さん)。
それに加えて、レストラン経営者としての慧眼もあった。三國さんは1999年に丸の内でレストランを開いた。当時の競争相手は少なく、三國さんの努力と工夫で繁盛し「一人勝ち」ともいえる活況になった。再開発で店を閉めたあと、2009年に「mikuni MARUNOUCHI」の再出店が決まった。現在の丸の内には350店も飲食店がひしめく。そのために「差別化しなければならない」と知恵を絞った。
「時代の流れはエコ、そして日本文化への関心に向いている」と分析し、それに大丸有という最先端のまちに集まる人々は反応すると先読みした。食材はどうすべきか。「東京には世界中の珍味があふれています。そこでフレンチで挑戦した人のいない江戸東京野菜にたどりついたのです。地産地消は世界のトレンドですしね」。その読みが当たり、店は活況を呈している。

「僕は味の質に加えて、"それ以外のもの"を料理に織り込んでお客さまの心に響かせることを考えてきました。江戸東京野菜には歴史や農家の努力など"物語"が込められている。それがお客さまの心に響いたのでしょう」。東京の食材がつくる"物語"に、三國さんの工夫と知恵も加わろうとしている。
多彩な活動を続ける中で三國さんが、今注目するのは子どもたちへの「食育」だ。そして日本各地の地域振興へも協力する。自分のさまざまな取り組みが大丸有でつながることを三國さんは願う。「東京の農家も、お客さまも、そして僕のレストランも元気になって、エコにも役立ってほしい。飲食業はお客さまが、お客さまを呼びます。その連鎖を生むために人の集まる"交差点"をつくらなければなりません。大丸有は意識の高いお客さまが集まり、まちに力があるから、それができるかもしれませんよ」。

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4. 食とまちがともに発展する未来

4. 食とまちがともに発展する未来

大丸有で始まった食のガイドライン作り

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地域プロデューサーの小松俊昭さん

東京の食のブームは、大丸有地区のまちづくりと結びつこうとしている。このまちでは、企業とエコッツェリア協会が一体になって、「持続可能な"都市の食"」のガイドラインを作成中だ。消費者を含めて、ここで食にかかわる人すべてに役立つ自主的な取り決めだ。「1000年つづくまち」という協会のまちづくりの方針に合わせ、食の面でその具体化を図ろうとしている。そこでは東京の食材の利用も打ち出される。(詳しくはコラムを参照)
地域プロデューサーの小松俊昭さんは大丸有に期待して、このガイドラインづくりにかかわる一人だ。小松さんは日本開発銀行の銀行マンから、北陸に魅せられて金沢工業大学の産学連携室に転身した異色の経歴の持ち主だ。そして自治体や、志ある地域起こしの担い手と協力しながら、各地で成果を上げてきた。

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三國さんが視察をした氷見での寒ブリのセリ市

小松さんはそのガイドラインづくりで「食をめぐる"つながり"、そして"気づき"をいかに生み出すか」を、関係する人々と話し合っている。「つながり」とは人同士、人と土地、そして人と資金などを結びつけることだ。
これは自らの体験に根差した提言だ。三國さんと小松さんは友人で仕事仲間でもある。小松さんが三國さんを北陸につなげた。そこで起こったのは食をめぐる「気づき」の連鎖だった。
三國さんが食育授業をすると子どもたちが心から喜ぶ。三國さんの指導で料理人が「シャキッ」と変わり、意欲に燃えて仕事をする。食をきっかけに、気づきとつながりが生まれ、人が良い方向に歩みだす姿を何度も見た。小松さんも三國さんから多くを学んだ。

「ある人の内面の変化は、誰も外から強制できません。しかし食は生きることに密接に結びつくために、『よりよい人生を送りたい』と願う人々を気づかせ、動かすきっかけになりやすい営みです」。小松さんは体験から振り返る。
成功した地域おこしには共通した特徴があると、小松さんは指摘する。「地域の価値の発見、再評価」をする"編集者"、「魅力をビジネスに結びつけ、持続させる」"担い手"、「心を動かされ共感する」"サポーター"がいる。そのつながりが気づきの連鎖を生む。

可能性を秘めたまち・大丸有

「大丸有は地域おこしに必要な存在がそろう、特別なまちです」と小松さんは話す。三國さんのような天才的な"編集者"がまちで頑張る。多くの人がここでのチャンスを期待して食をめぐるビジネスを行い、知恵を提供している。日本のGDPの3割分を生みだすエクセレント・カンパニーとさまざまな店が集積し、ショッピング・食のまちとして"担い手"も多い。そしてまちで働く27万人、日本と世界からの訪問者が"サポーター"になる可能性がある。
大丸有地区ではまちづくりで、社会貢献のため、そしてまちの魅力を高めるために、「エコ」という視点を大切にしてきた。「環境の取り組みが、農業や食につながり、さらなる魅力を生みだすでしょう」と、小松さんは期待する。大丸有では電気自動車が走るなど、環境配慮型の運搬手段も整い始めた。食材から食卓まで運搬、使用される距離を考える「フードマイレージ」が関心を集める。大丸有のエコの取り組みと東京の食材の地産地消が結びつけば、東京のフードマイレージは下がり、CO2削減にも貢献できる。

大丸有は約30社の企業が社員食堂を持つ。そこでの食事は働く人の健康に直結する。"都市の食"のガイドラインでは、社員食堂で東京の食材を使うことを呼びかけようとしている。それによって安全とエコ、おいしさを満足させようという呼びかけだ。食をめぐる取り組みが広がり、つながることで、新しい価値と魅力が生まれようとしている。
小松さんは今、1986年にイタリアで始まった、「スローフード」運動を研究している。土地の伝統的な食文化や食材を見直し、地産地消を通じてその地域に資金を循環させるという食を総合的に考える取り組みだ。ファストフードに代表される画一化や簡易化、肉食の増加を進める現代の食文化に疑問を示し、世界で共感者を広げた。また運動によって「イタリアの食」の知名度が高まり、料理が観光資源の一つにもなった。
「スローフード運動と同じことが東京の食材ブームで起こるかもしれません。食材を切り口に、まちの価値を高め、東京の農業を活気づけ、人を幸せにする営みの連鎖を生むことができるのです。東京にいると忘れがちですが、ここも一つの地域なのです」。
大丸有では、農、食とまちの新しい関係が生まれつつある。この場所は、食の面でも大きな可能性を秘めている。

コラム・「持続可能な"都市の食"」とは

「1000年つづくまち」という目標を掲げて、エコッツェリア協会はまちづくりを行ってきた。その目標を食の面で具体化しようと、「持続可能な"都市の食"」のガイドラインを作成中だ。その目標は、食を通じて「都市」と「生産地」による持続可能な環境共生型の地域をつくること。そこでは食材と資源、人、情報などの「つながり」を大切にした。

report_gws5_17.JPG「持続可能な"都市の食"」のガイドラインの基本構想

具体的な取り組みでは「消費者のためになる食」「つながりを取り戻す食」「大丸有だからできる食」の3つの分野を定め、「おいしい食」など10のビジョンを定めた。これを消費者、提供者、流通者に呼びかける。そしてまちの環境配慮の取り組みとも結びつける。

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都市の食10のビジョン

世界と日本の食の姿が、今のままでは持続可能とはいえない。食べることは人生の喜びである半面、食材の浪費につながることもある。東京は海外、そして日本の他地域から食材を求めており、その流れが止まれば都市が存続できないリスクを抱えている。
逆に言えば、大丸有というまちが、持続可能で、環境負荷の低い、新しい食の姿をつくることができれば、「今のままではいけない」と憂えている、多くの意識の高い人を動かせるかもしれない。都市の食のガイドラインは、新しい動きの「道しるべ」になる。

ISHII's EYE 今回の取材を終えて、編集記者からのヒトコト

北イタリアを旅行したことがあります。ものづくりが盛んで職人が大切にされ、日本とよく似た雰囲気がありました。ところが働き方が違います。夕方から住宅地や繁華街に人が集い、笑いながら楽しそうに食べている姿が印象的でした。言葉の通じない旅行者である私も、そうした場に飛び入り参加できました。ここで体感した「食は人生を豊かにする」という事実を、東京の食材をめぐる取材で改めて受けとめました。そして私にとって自分の住む東京と食、そして命がつながることを再発見する"気づき"をいただきました。ちょっと値が張りますが、「mikuni MARUNOUCHI」で、江戸東京野菜を味わいながら、生きることの喜びをかみしめてこようと思います。

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