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【レポート】注目高まるデュアルキャリア、歩むために欠かせないものとは

創業シンポジウム ~デュアル・キャリアによる創業を考えよう~ 1月10日(金)開催

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健康寿命の延伸による「人生100年時代」の到来や、働き方改革の推進などの影響もあり、今、社会や人々のキャリアに対する考え方は大きく変わってきています。中でも今注目度が高まっているのが、「デュアルキャリア」です。キャリアのかけ合わせによる能力向上や人脈増加といったメリットがある一方、同時並行的にキャリアを模索するのは簡単なことではありません。では従来のキャリアと同時に新しいキャリアを歩むには、どのような考えを持ち、何に気をつけていけばいいのでしょうか。

そのヒントを探るべく、1月10日、3×3Lab Futureでデュアルキャリアを考えるための創業シンポジウムが開催されました。ゲストには、プロ野球選手から公認会計士へと華麗なる転身を遂げた奥村武博氏や、シリコンバレーで活躍されている桝本博之氏(B-Bridge International, Inc./President&CEO)、環境をテーマにNPO、自治体、コンサルタントと渡り歩いている松岡夏子氏(三菱UFJリサーチ&コンサルティング)をお招きし、様々な角度から議論を行いました。

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夢だったプロ野球選手になるも、引退後に気づかされた自分の価値

夢だったプロ野球選手になるも、引退後に気づかされた自分の価値

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キーノートスピーチに立ったのは奥村武博氏。奥村氏は日本で初めて公認会計士となった元プロ野球選手であり、現在は公認会計士として働く傍ら、株式会社スポカチや一般社団法人アスリートデュアルキャリア推進機構を設立し、アスリートのキャリア形成やセカンドキャリア支援を行う人物です。元アスリートという特殊な経歴を持ち、また自身が会社員として働きながら公認会計士資格に挑戦し続けたデュアルキャリアの実践者である奥村氏からは、デュアルキャリアに取り組む上でのアドバイスが贈られました。

岐阜県の古豪・土岐商業高校からドラフト6位で阪神タイガースに進み、幼い頃から抱いていたプロ野球選手になるという夢を叶えた奥村氏ですが、怪我などもあって思うような活躍はできず、わずか4年間でプロ生活に幕を下ろしました。「吉田義男監督や野村克也監督、岡田彰布監督など、名将と呼ばれる方々の下で野球をやれたのはとても幸せな時間でした」と当時のことを振り返る一方で、引退後には「自分から野球を取ったら何も残らない、無価値な人間だと感じた」そうです。

「現役時代にあまり知名度もありませんでしたから、阪神タイガースの人気が高い大阪の街を歩いていても誰も僕に気づかないんです。それに、現役時代には引退後の生活を考えることなく歩んできてしまったので、引退して初めて、"自分の価値を高めるにはちゃんと時間を使わなくてはならない"ということに気づきました」(奥村氏)

奥村氏はセカンドキャリアに飲食業を選びますが、それは飲食業がやりたかったからでも、興味があったからでもなく、「世間を知らず知識もなかったので、飲食業界しか頭に浮かばなかった」から。当時の日給は8000円ほどで目の前の生活で精一杯で、長期的視点を持つことができず、いわゆる「PL脳(目先の収益の最大化を目的とした短期的な思考)」に陥っていたとも話します。そのように悶々とした日々を過ごしていた奥村氏ですが、ある本との出合いによって人生が大きく変わります。その一冊とは、多数の資格情報が掲載された『資格取り方選び方全ガイド』です。

「この本は今の妻からもらったもので、彼女は"資格を取ってほしい"という意図ではなく、"世の中にはたくさんの選択肢がある"ことを教えたくて僕にプレゼントしてくれたそうです。その本をパラパラとめくっていった中で出会ったのが公認会計士です。プロ野球選手だった僕が、なぜ会計士にピンと来たかというと、高校時代に日商簿記検定二級を取得していたからです。僕は野球がやりたくてその学校に行っていたので、当時は簿記の資格に興味はなかったのですが、学校の方針で資格を取らないと部活に参加できなかったので、頑張って取っていたんです。会計士になるために簿記の知識や経験は役に立つはずだと考え、公認会計士の資格取得を目指すことを即決しました」(奥村氏)

この時の経験から、普段は意識していなくても、実は役に立つ能力や経験、資格を持っていることは往々にしてあるので、キャリアを考える上で自分の過去の経験を振り返ってみるのも有効だと、奥村氏は語りました。

image_event_200110.003.jpeg『資格取り方選び方全ガイド』で多様な選択肢を知り、視野が広がったと奥村氏

デュアルキャリアを阻むのは「自分で作った壁」

公認会計士という新たな目標を見つけた奥村氏ですが、もともと難易度が高い資格であることに加え、「高校を卒業してから長時間机に向かうことなんてなかった」と言うように勉強の習慣もなかったため、資格取得までに9年という歳月が掛かったそうです。そのように長期に渡って苦戦を続けたものの、「野球と受験勉強の共通点に気づいてからは一気に成長できた」と語ります。

「ある年の受験後、ケアレスミスがたくさんあることに気づきました。僕は現役時代にピッチャーでしたが、野球は失点をしない限り負けはありません。受験勉強もそれと同じで、失点をしなければ負けはしないんです。

また、ビジネスや受験勉強では目標やゴールから逆算してプロセスを辿っていく"バックキャスティング思考"が有効ですが、それはスポーツも同じです。1年を通して、あるいは1試合を通して、その時期やそのイニングをどうマネジメントしていくかを考えていくんです。こうした共通点に気づいたとき、勉強に対する意欲が高まり、また自分に足りないものや合格点に到達するためにすべきことが明確になり、一気に成長スピードが早まりました」(奥村氏)

アスリート時代に培った経験と学習やビジネスの共通点に気づいて資格取得を実現できた奥村氏。その他にも、「経験学習モデル」が有効であることや、何らかの失敗をしたときに他人に責任を求めているうちは成長できないことなど、多数の共通点に気づいたと言います。さらに一方で、スポーツは社会人基礎力(職場や地域社会で多様な人々と仕事をしていくために必要な基礎的な力)が養われるものということにも触れました。そして氏は最後に、元アスリートに限らず、多くの人がデュアルキャリアを歩んでいく上で知っておくべき"壁"について紹介しました。

「僕が会計士を目指すと宣言した時、多くの人から"元プロ野球選手が会計士になんて受かるわけがない"と言われましたし、家族や予備校の先生も無理だと思っていたそうです。それでも合格できたのは、自分が無理だとは思わなかったからです。もしも自分が無理だと思っていたら、途中で諦めていたはずです。つまり、人生の中で"自分で作った壁"は絶対に乗り越えられないんです。だからこそ、自分の中で壁をつくらないことが重要です」(奥村氏)

「自分で自分の可能性を閉ざすのはとてももったいないことです。そこで皆さんには"MDM(M=無理、D=できない、M=向いてない)"をNGワードにしてもらいたいと思います。これらはついつい口にしがちですが、言葉にしてしまうと本当に壁ができてしまいます。だからこのフレーズは使わず、どうやったらできるかという発想を持つことが、前に進む力になると思います」(同氏)

デュアルキャリアは数々のメリットがあるものですが、一方で従来のキャリアをしっかりとこなしながら取り組まなければならず、決して簡単な道ではありません。周囲からの反発も少なくないと予想されるだけに、そんなときこそ、奥村氏の言葉を思い出し、自らのなりたい姿へと邁進するといいのでしょう。

image_event_200110.004.jpeg「MDM」を口にせず、自分で壁を作らないことがポイントになります

デュアルキャリアを歩む上で大切な4つのキーワード

image_event_200110.005.jpegB-Bridge Internationalの桝本博之氏(写真左)。三菱UFJリサーチ&コンサルティングの松岡夏子氏(写真右)

奥村氏のキーノートスピーチに続き、B-Bridge Internationalの桝本氏、三菱UFJリサーチ&コンサルティングの松岡氏が登壇。バラエティに富んだ経歴を持つ二人からは、それぞれ歩んできたキャリアが紹介されました。

先にマイクを握ったのは桝本氏。現在はシリコンバレーを拠点に、バイオ研究用試薬・機器の輸出入、技術移転支援やインキュベーションなどを手掛ける桝本氏ですが、その他にもSilicon Valley Japan Universityという教育組織や、現地ワインの日本向け販売を手掛ける(株)Thketなど、複数の組織を設立。まさに多様なキャリアを歩んでいますが、その背景には二度の震災が関係していると説明します。

「元々は東洋紡という会社に勤め、同社の社長を目指していたのですが、社長になるのは難しいかもしれないなと悩んでいました。そこで起こったのが、1995年の阪神大震災です。そこで被災した私は、"悩む人生よりも次に進む人生を歩むべき"と考えました。ちょうどその頃ヘッドハンティングをされたこともあり、シリコンバレーに移り住みました。さらに、たまたま宮城県に出張したときに東日本大震災に遭います。そのときは無事に避難できましたが、改めて人生は突然終わることもあると感じ、それならばひとつの長期契約で働いていくのではなく、短期的に複数の契約を結び、複数の経験を積み重ねていくデュアルキャリア的な発想へと変わっていったんです」(桝本氏)

では、デュアルキャリアを歩んでいくためには何が必要なのか。桝本氏は「好奇心」「異業種・異国籍のネットワーク」「マインドセット」「アントレプレナーシップ」の4つがキーワードになると説明した上で、「非常識に感じるものでもいいので、今日から何かを変えてみることが重要です。そのために、多業種、多国籍の人が集まるシリコンバレーを訪れてみてはいかがでしょうか」と問いかけました。

続いて登場した松岡氏は、学生時代に授業の一環で訪れた香川県豊島で、当時島を脅かしていたゴミ問題に触れたことで環境問題に携わっていくことを決意した人物です。その後、ごみの34分別に取り組む徳島県上勝町に移住し、NPO法人を設立してリサイクル率の大幅な向上などを実現。その後、神奈川県葉山町役場の職員を経て、2012年からは三菱UFJリサーチ&コンサルティングに入社し、環境政策の調査・コンサルティングに従事しています。松岡氏の場合、デュアルキャリアを歩んで来たわけではなく、ひとつのテーマに対して立場を変えながら携わり続けており、「ごみ問題を何とかするために走り続けてきた結果、今のポジションにいます」と説明しました。

"失敗はしてもいい"と許容することの大切さ

image_event_200110.006.jpegパネルディスカッションは参加者からも積極的に質問が飛び交い、大盛り上がりに。デュアルキャリアへの関心の高さも伺えました

桝本氏・松岡氏のプレゼンが終わると、奥村氏、並びにエコッツェリア協会の田口真司を交えたパネルディスカッションへと移ります。それぞれ独自のキャリアを歩んできた3人からは、デュアルキャリアを歩んでいく上での様々なヒントが語られました。「キャリアチェンジにおける大変だったこと」というお題に対して桝本氏が挙げたのは周囲との関係性についてです。

「東洋紡を辞めようとしたとき、親切心から来る心配や、私が退職することで自分の仕事が増えるといった不安から、多くの人に引き止められました。最終的にはそれぞれの方の思惑を理解し、説得していったのですが、そこで学んだのは"自分がキャリアを変えることで、どれだけの人が喜んでくれるかを考えてコミュニケーションする"ということでした」(桝本氏)

さらに「一歩を踏み出すために必要なこと」というテーマに対して、奥村氏は次のように回答します。

「"失敗したらどうしよう"と考えると人は足を踏み出せなくなりますが、失敗は課題のあぶり出しのためのチャレンジであり、それを次につなげることが重要です。あのイチロー選手でさえ、10回中7回は打ち取られていたのですから、"失敗はしてもいいんだ"と自分で許容することが大切だと思います」(奥村氏)

質問は参加者からも飛びます。「デュアルキャリアを歩む上で年齢は関係するか」という質問に対しては、三者ともに「大きな影響はない」と話します。

「私は現在38歳ですが、28歳の頃には"もう28歳になってしまった"と思っていました。でも、今考えると"28歳なんて全然若いじゃん"と思いますし、10年後も同様に思っていることでしょう。結局年齢というものは相対的なものなので遅すぎることはないと思いますから、気にしなくていいはずです」(松岡氏)

奥村氏には「長い期間受からなかったが、合格していなければ今でも挑戦を続けていたのか」という質問もなされます。これに対して「続けていた」と即答した上で、次のように続けました。

「当時、東証一部上場企業の正社員としても働いていたり、公認会計士の勉強と平行して日商簿記検定1級を取得したり、あるいは税理士に道を変えられるようにそちらの勉強もしたりと、野球で言えば中間守備を取るように保険を掛けながら挑戦をしていました。その意味では、合格は目指しつつ、不合格が続いてもしっかりとした人生を歩めるようなマネジメントはするように注意していました」(奥村氏)

"保険"という意味では「新しいキャリアを歩もうにも、金銭的な不安が伴うことも多い」という質問も。これに対して奥村氏、桝本氏はそれぞれ「環境づくり」と「続けるマインド」をキーワードに挙げました。

「資格取得のために予備校に通っていたのですが、費用もそれなりに掛かりますので、たしかに金銭的な不安はありました。そこで僕は予備校の運営会社に就職し、福利厚生の一環で講座を受けられるような環境を作り出しました。いい縁に恵まれたこともありますが、自分がやりたいことをやり続けるために、色々な選択肢を見つけ出していくことは大切だと思っています」(奥村氏)

「シリコンバレーでは、投資を受けるために100人の投資家にプレゼンをしても100回断られるケースも多く、最後の100人目で融資を受けられればいい方です。だから、そこまで続けられるマインドを持てるか否かが重要と言えます。その一方で、30分で数千万円の投資を決めるケースもあるので、日本でも、一部でもいいので、それくらい即断即決できる企業や業界が出てくると、デュアルキャリアの促進につながるとも感じています」(桝本氏)

こうしてこの日のプログラムは終了の時間を迎えました。参加者から積極的に、数多くの質問が飛び交ったように、今、デュアルキャリアに対する関心は非常に高まっています。否が応でも働き方は変わっていく時代にあって、この日のセッションは、多くの人に重要なヒントを与えたのではないでしょうか。エコッツェリア協会では、今後も様々な角度からキャリアに関する取り組みを続けていきます。ぜひこれからもご注目ください。

image_event_200110.007.jpeg三者三様のキャリアを歩んで来た登壇者の皆様。今後の活躍にも大いに期待です

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