シリーズコラム

【さんさん対談】思考・企業・社会のリワイヤリングを!

仙石太郎氏(株式会社リワイヤード 代表)×田口真司(3×3Lab Futureプロデューサー)

8,9,11

今回のさんさん対談の相手は、富士ゼロックスにて価値創造コンサルティング部の部門長やKDI(Knowledge Dynamics Initiative)のリーダーを務め、20年以上に渡って企業の知識活用やナレッジマネジメント、新たな価値創造、イノベーションの分野で最先端を走る仙石太郎氏。野中郁次郎が著した「知識創造企業」やドラッカーの「ナレッジワーカー」を実践、体現する人物であると言えるのではないでしょうか。3×3Lab Futureプロデューサーの田口とは、KDI時代の企業変革プロジェクトや外部の研究会の活動を通じた積年の知己。2019年に富士ゼロックスを退職し独立、株式会社リワイヤードを設立したことを機に、今回の対談が成立しました。仙石氏のパーソナルヒストリーから始まり、日本企業が抱える病根と起業の企図とが、目まぐるしく複雑に絡み合いながら"仙石節"で語られました。

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「ドキュメントっていうのは知識なんだよ」

「ドキュメントっていうのは知識なんだよ」

田口 仙石さんとはKDI、外部の勉強会等、いろいろなところでお世話になって、すごく長いお付き合いですよね。今日は、富士ゼロックスを退職して設立した株式会社リワイヤード(REWIRED)のお話を伺うのがメインではありますが、仙石さんがどのような経緯で今に至っているのか、その流れからお聞きしたいと思います。

仙石 昭和が終わる間際の1988年(昭和63年)に入社して、2019年(令和元年)になって退職しました。だから平成の頭から終わりまでの31年間を、富士ゼロックスでキャリアを積ませて頂いた、というのが僕の経歴です。

田口 で、なぜ富士ゼロックスに?

仙石 当時はOA機器やパーソナル・コンピュータの性能が急速に向上してはじめており、オフィスが急速に進化していくというワクワクするような時代でした。そんなこともあって、富士ゼロックスにお世話になることを選んだのです。

当時の富士ゼロックスは外資系のスマートな企業イメージを持つ一方で、メーカー直販体制を敷き、営業ノルマが厳しい会社として知られていました。

入社当初は名古屋地区のユーザー(ゼロックスカスタマー)担当でしたが、お客様に可愛がっていただき、順調に売上を伸ばすことができました。4年目にノンユーザー(非顧客)担当になって「貴社とは付き合わない」という姿勢のお客様を初めて担当することになりました。頑ななお客様の心が開くまで通い詰め、夜討ち朝駆けも辞さずに相手の懐に飛び込むようなスタイルを経験しました。「営業の基本は熱意と根性なのか、やりがいが無いとは言わないけど、理不尽さにも耐えなければいけないし、非科学的な仕事だなぁ」と、内心ではそう思っていました。

1993年、Windows 3.1が出たころだったと思いますが、デジタル複合機の営業を担当するようになりました。ちょうどISDN(NTTのデジタル公衆回線)が出始めたころだったんですけど、東京の大手営業部に3週間ほど勉強に行かせてもらったら、それまでの認識が一変しました。ISDN対応のファクスにすれば通信速度が7分の1になります、通話料に至っては10分の1になりますというようなことを、ビル全体のトラフィック量から解析して提案するわけです。それまで経験してきた営業のイメージと正反対でビックリしました。とにかく科学的で面白かったんです。

お客様の問題を解くことが営業本来の仕事であり、製品を無理に売ることではないと確信した瞬間から、営業成績が急速に伸びました。

その後、31歳で教育部門に異動してマーケティングと販売教育を担当することになったのですが、いきなりのミッションが、世界初の技術である「ペーパー・ユーザーインターフェイス」を搭載した複合機の市場導入でした。

これは米国の研究所が開発した技術で、QRコードのように「紙でコンピュータを操作する」というようなシステムでした。いわば複合機の知能化というユニークな取り組みだったのですが、オープンソースにしなかったり、 PCの普及を読みきれなかったり、いくつかの理由が重なって、ビジネスとしては失敗してしまいました。

でもこの時に、営業の最前線にいた僕が初めて開発の人と関わることができたんです。その方に「ドキュメントというのは知識なんだよ」と言われて、衝撃を受けました。

ドキュメントとは何か。それは、人間が考えて考え抜いたもの、つまり知恵の結晶なんです。本の原稿もそう。企画書も図面も論文もそうだと言えます。ドキュメントを情報だと思って一生懸命扱っていた当時の僕に、「ナレッジ」という新たな出会いが生まれた瞬間です。そうか、我が社が扱うのはドキュメントじゃなくて知識なのか、それはすごく誇らしいことだな......とね。

田口 ここまでお話を伺って、オフィスのデジタル化の歴史を学んでいるような感じです。当時は仙石さんだけじゃなくて、社内でも「ナレッジ」という言葉を使っていたんですか?

仙石 そうです。当時の富士ゼロックスは、会計や受発注、人事などの基幹系メインフレームが扱うデータを「定型情報」と呼び、人間が試行錯誤のうえオフィスワークで生み出す知識や情報を「非定型情報」と呼び、それらをどう扱うと知的生産性が高まるのかを研究していました。今でこそあらゆる情報がAIの対象データとなっていますが、当時は非定型情報を扱うキーは、コミュニケーションを促進させるとか、理解を促進させるとか、知識をうまく集めるとか、人間の能力をエンハンスすることなのではないかと議論をしていました。それで、ピーター・ドラッカーの招聘というビッグ・イベントにつながるわけなんです。

田口 ドラッカーは富士ゼロックスを訪問しているんですよね。

仙石 1992年ですね。ドラッカーが唱えた当時の富士ゼロックスの価値は「情報の民主化」でした。限られた一部の人しか扱えなかった情報を、広くあまねく使えるようにするのが富士ゼロックスの使命だと。「誰もが公平にコミュニケーションできること」というところに価値理念を置いたわけです。「コミュニケーション」というと「対話や意見交換」のイメージですが、語源はラテン語の「Communus(コミュナス)」で「共有(シェア)」という意味なんです。オフィス・コミュニケーションの大半は、連絡書や指示書、報告書、図面と言った「ドキュメント」で行われているんですよ。そのドキュメントのコミュニケーションを改善することが、我々の仕事ですと。製品の機能や性能を訴求したいと考える企業が普通であった当時としては斬新なやり方でした。今流行りのThought Leadership(コンセプト・リーダーシップ)というブランディング手法です。

そのドラッカーが1994年に『ポスト資本主義社会』を出版しました。そのなかで、社会はこれまでの資本主義社会から、「知識社会」になると指摘していて、「ナレッジワーカー」(知的労働者、知識労働者)という定義が盛んに出てきます。こうしたドラッカーの考え方を背景に、一般のオフィスで扱われるドキュメントや定型データから、知を抽出する、ビジネスインテリジェンスという手法が生まれてきます。

それから、野中郁次郎先生の『知識創造企業』に出会ったことも大きな転機でした。今でも鮮明に覚えているのですが、当時住んでいた津田沼駅の本屋で特徴的なオレンジ色のカバーを目にして、「やっぱり知識の時代か」と思ったんです。ドキュメントやソリューションを扱う会社に入ったんだけど、知識を作ったり生んだり、悩んだりするのは人間の側なので、やはり知識そのものや人間の営みに焦点を当てたほうが良いのではないか。そう思うようになりました。

「生産性」「効率性」とは何なのか

仙石 そんな流れもあって、1999年の暮れにナレッジのコンサルティングチームを作るという社内公募に迷うことなく応募しました。ちょうどソニーの人事部門が社内フリーエージェント制度を作った頃で、それをベンチマーキングしたようです。自分が行きたい部署をイントラネットで探して、上司に黙って公募していいという制度ですが、それは素晴らしいなと思って論文を書いて出しました。あとで上司にすごく怒られました(笑)。

田口 それがKDI(Knowledge Dynamics Initiative)ですか。

仙石 そうです。そこで野中郁次郎先生や紺野登先生と出会っていろいろと指導をしていただきながら、ナレッジコンサルティングチームを正式に立ち上げることになりました。2000年のことです。

田口 すごいですね、2000年にそれが作られたというのがすごい。僕がその業界の企業にいたのは2010年くらいまでですけど、2010年当時でさえ、まだナレッジに理解はなかったですから。

仙石 その当時は、ドキュメントという形に落とし込む前に、数限りない試行錯誤とか、頭の中で考えること、その知的な作業を価値として認めるようにしましょう、ということを議論していました。つまり、「(知識創造理論に基づく)質的な生産性」です。暗黙知段階の生産性を、日本はいまだにきちんと議論ができていなくて、量的な生産性(時間短縮と効率)で考える人があまりにも多いです。

でも生産性ってそれだけではなくて、面白いアイデアや、ものすごく付加価値の高いアウトプットを作るという、質の生産性っていうのがあるでしょう。でも多くの日本企業の経営者達は「工場のメタファー」でしか生産性を考えられないわけです。人を減らす、オートメーション化する、プロセスを短縮する――というような、時間軸の話が多いんです。もちろん90年代までの日本の製造業が世界を席巻できたのは、タイムマネジメント競争で他を圧倒したからです。でも、時間軸は生産性のひとつの要素でしかありません。

労働生産性を高めようと日々奮闘しているにもかかわらず、日本企業が世界ランキングで34位まで落ち込んでしまったのは、生産性を「分母(=投入資源)をどんどん小さくすること」だと思っていることと無縁ではないと思います。生産性とは、投入する資源を小さくすることだけではなくて、分子(付加価値)を大きくすることなんです。すなわち、田口さんが100倍のアイデアを出して、サービスを魅力的にしたほうが、毎日1時間ずつ時短するよりも儲かるわけですよ。例えばAirbnbは、自分の家の空いている居間にエアーベッドを提供しようなんて奇想天外なアイデアだったけど、一時期は何兆円もの企業価値になったわけじゃないですか。だから、人類史上で今ほどアイデアを出すことが要求されている時代は他にないと思うんです。

しかし、日本の会社はそういうようにはマネジメントしませんよね。「早く帰れ」とか「効率良くしろ」とか「出張禁止」とか(笑)。それでは質的アウトプットは出てこないと思います。行きたいところに行って、見たいものを見ないと脳が触発されないんですよ。

私が組織のミドルマネジャーを務めた2005年から2019年にかけて、本社から回ってくるお触れは「とにもかくにもカネを使うな」の一点張りでした。確かにオカネは使わなければ減らない。けれどもオカネは使わない限り、将来何倍になって還ってくることもない。 いま、私の後輩の世代が部・課長になっていますが、冒険できるわけがないと思います。何しろオカネを使いすぎて冷や汗を書いたり、会社に損をさせたり、儲けた経験がまったくない。

田口 分かるなあ。だから僕「○○テック」って苦手なんですよ。あれって結局仙石さんが言うような日本人が考える効率性に技術を持ってくることが多いでしょう? 農業でも、人を減らそう省力化しよう、ということばかり考えている。

仙石 ロボットの利用も、人件費削減を目的としている間は、ほとんど経済活性化につながらないですよね。日本はやっぱりメーカー中心の産業構造だから、効率と量を追求することにどうしても頭が回ってしまう。魅力あるものを10倍の値段で売る訓練がされていないと思います。もちろん例外もあって、ヒトに装着することによって身体拡張が実現したり、ハンディキャップを強みに変えたり、心を平穏に導いたりする素晴らしい付加価値製品もいろいろと出てきています。そう言った共感を呼ぶようなアイデアを生み出すことを、もっと経営層がサポートできれば人々は喜んで対価を払うはずです。

田口 「日本人が本質的に下手」とは思いたくないですね。訓練されていないのだと信じたい。

仙石 そうそう。だからそういう話に時代は変わってきているんですよ。僕が新しい会社を作ったのもそこがポイントなんです。

簡単に言うと、成熟社会になって創造性や共感力で競争する時代に、いつまで成長社会の公式(=スケール依存、効率生産性)を引きずって経営しているの?ということです。 いま求められているのは、「付加価値競争に勝つ」ということなんです。無駄があってはいけないというのは、確かにその通りなんだけど、日本企業は成長社会の時代に身に着けた経営手法にいまだ依存している。日本は2008年をピークに人口減少に転じています。2050年には9500万人(▲3000万人)、2100年には6500万人(▲6000万人)、テレビの世帯普及率は99.3%、自動車は84.1%、パソコンは78.0%です。つまり、スケールビジネスを前提としない新しい企業成長のモデルが必要なのです。

「ゾンビ企業」から「価値創造企業」へ

田口 なるほど。でも仙石さんはここに風穴開けようとしているわけですし、今後開いていくだろうと思うんですよ。そうなるとシステムも変わらざるを得ないだろうなとも思うんですけど、仙石さんの見立てではどうですか。

仙石 ひとつは若い人たちの動向ですよね。今、若い人たちが大手企業に行きたがらない、また定着しない最大の理由は、たいした活躍ができないのが目に見えているからだと思います。なぜならば一人前と認められるのに、何年も下働きしなきゃいけない。さらには、リスクを取らず、モチベーションも生産性も高いとはいえないミドルやシニアが行く手を阻んでいるのを見ると、将来のキャリアが見通せない気持ちになるからです。

またZ世代を中心として、社会問題の解決に強い関心を持っている若手が多いように思うのですが、彼らが意を決して社内を見回しても、誰もそんなことに耳を貸してくれそうにありません。

だから、イケてる若い人にとって、一番良い方法が起業となるわけです。世の中で起きている出来事をいち早く知覚して、問題解決を実践することが、自らの存在意義やキャリア形成をするうえで一番リスクが小さく、かつ付加価値を高められると直感して行動しているんだと思います。逆に最もリスキーなのは、変わるエネルギーの感じられないレガシー企業に勤め続けることだと、真剣にそう思っているはずです。

田口 ここまでお話を伺って、何か大きな転機とかきっかけがあって知識創造経営に行ったわけではなく、すごくシームレスに移ってきて今があるという印象を受けました。

仙石 つながっていますね。後付けでつなげている部分も多少はあるとは思うけど、今考えると、全ての物事や経験が、未来を構成する要素として関係しているという気がします。

田口 起業したリワイヤード社では、どのようなお仕事をされる予定ですか。

仙石 今までお話ししたことがほぼ原点になっていますが、基本的に日本企業の変革の遅れているところを支援したいと考えています。

変革の遅れというのは、売上が伸びなくなり、利益も株価も冴えない「ゾンビ企業」「停滞企業」ばかりになっているということ。日本のメインプレイヤーって、平成が始まったころからあまり変わってないじゃないですか。

では、なぜ新陳代謝が起きなかったのでしょうか?ビジネスとしての魅力はとっくに失われているにもかかわらず、何とかして生き延びようとみんなで頑張ってしまうところが日本はあると思います。その頑張り過ぎが逆に徒となって経営判断の先送りを誘発しているように思うのです。リスクをとった新しい領域への挑戦をいつまでも呼び込めない。

田口 昔、業務用のPHSルータを開発する部署にいたことがあるんですが、その時に「PHSに未来はないでしょ」と言ったら、「みんな頑張っているのになんてことを言うんだ」と言われたことがあります。そういう文化なんですよね。

仙石 そうそう。でも、それだけの資源と頭脳があるんだから、オープンイノベーションを意識して様々な知識をつなぐことができれば、最先端を行くものを作ることができるかもしれないじゃないですか。でも、結局決断を先送りしてしまうんです。

「つなぎ換える」――Rewired

仙石 そこで「つなぎ換える」というのが、社名の「リワイヤード」の由来になっています。人間の思考を変えるためには、頭の中の配線を「つなぎ換える」必要があるんだけど、人間は自分の成功体験に依拠した形でしか思考ルートを形成できなくて、それ以外は思考できないという状況に陥ります。その固定観念や既成概念を打破することを専門用語で「リフレーミング」と呼ぶんですが、それは自分の脳の中だけじゃできないんです。だから、自分の脳と、外にある脳をつないで「私達の脳」にするといったことが必要になる。あなたの脳だけで考えていても限界があるから、他の脳を組み合わせてもっと大きな脳にしたらいいんじゃないの、そろそろ思考の繋ぎ換えをしませんか、コネクトし直しましょうよ、というのがリワイヤードという社名の真意です。

発端は、田口さんもご存じのNELISを主宰するピーター(D・ピーダーセン)さんに、ケンブリッジ大学のCISL(Cambridge Institute for Sustainability Leadership)が提唱している「Rewiring the Economy」のレポートを教えてもらったのが最初です。19世紀以降、寿命も延びたり、人類にいいこともいっぱいあったけど、短期間で世界的に経済が急発展して、自然環境を相当蝕んでしまったから、経済という営みに対する人々の感覚を一度リセットしてはどうかという論文です。社名を考えるときにこれを思い出して、ピーターさんに「rewireかrewiringかrewired、どれがいいか」って聞いたら「rewiredだ」って。

リワイヤードは4つの基本的命題を設定していて、ひとつ目が「持続性革命」です。これは私たちの生存基盤をもう一度捉え直して、持続性を考えようというものです。2つ目が「つながり革命」。今、インターネットを通じて人がつながっていますが、逆に信頼関係が希薄になっていたり、移民排斥が起きたり、国家間の対立が深まったりと、おかしなことが起きています。「つながり」とはそもそも何なのか、価値あるつながりとは何か、という問いが2つ目です。

3つ目が「技術と社会」なんですが、テクノロジーの発展と社会の発展の両方を正しく見据えようということです。今、遺伝子工学、AI、自動運転等さまざまな技術が進化していますが、非常に危険な側面もあります。クローン人間はできるし、ロボット兵士もつくられるし、国家にすべての行動を監視されるようなことも起こるでしょう。技術は豊かさの源となってきましたが、哲学的なことを私たちはもっともっと学ばなければならないと思っています。

4つ目は、誤解を恐れずに言うと、日本企業の拠り所となってきた「ものづくり経営」の幻想の部分を何とかして変えたいと考えています。

ご存じの通り、水力やワットの蒸気機関から産業革命を起こしたイギリスは、紡績を中心にナンバーワンになった19世紀のチャンピオンです。20世紀のチャンピオンになったのは、電気というエネルギーを得て、ベルトコンベアーによる大量生産方式で物質的な豊かさを実現してみせたアメリカ。日本はどうであったかと言うと、20世紀の後半になって、安価で豊富な労働力と品質管理の実践、勤勉性をベースとしたタイムマネジメント・システムで頭角を現したのだと思うんです。

日本の成功は世界の手本となりましたが、そのことが足かせとなって失われた20年を生んでいることも事実です。日本企業の改革はストイックなまでに内向きなのです。オープンイノベーションに舵を切ることができない。昔の成功体験を引きずっており、事業オペレーションのKPIをイノベーションの現場に持ち込んできてしまう。そういう経営をいい加減に改めませんか?ということなんです。

長々とお話ししましたが、「知の再構築」をしましょうというのが、リワイヤードでやりたいことですね。

田口 これ、ビジョンとしてはかなり大きいですよね。個人で立ち上げるようなもんじゃない。1000人規模のファームでやるような仕事ですよ。

仙石 だからバーチャル・プロフェッショナル・サービス・ファーム(V-PSF)がもうひとつのキーポイントになるかと思います。

現場一筋で頑張ってきたおじさんだって、長いサラリーマン生活で身に着けた光りものを持っていらっしゃると思います。生産技術、設計、営業、品質保証...何でも良いです。それをV-PSFで活用できないかと。また副業の解禁が進むと思うので複数の仕事をこなして特技で社会の役に立ちたいと考えている方々とも一緒にやりたいです。

これは裏を返すと、相互に仕事力を評価しあう仕組みを整備するということでもあります。単純なスキルマッチングをしたいわけではないんです。人材のプールを進めながら、シニアの活性化、創造人材育成といったことにも取り組んでいきたいと思っています。

田口 仙石さんの取り組みは3×3Lab Futureの活動との親和性が高いですよね。勉強会の形から始めてもいいかもしれませんね。

仙石 そうですね。3×3Lab Futureは人材プールの強力な基盤になるんじゃないかという気がします。ぜひ何かご一緒しましょう!

田口 ありがとうございます。それではその作戦会議は改めて。今日はありがとうございました。

仙石太郎(せんごく・たろう)
株式会社リワイヤード 代表取締役/一般社団法人 Future Center Alliance Japan 理事/大塚食品株式会社 社外監査役

大学卒業後、富士ゼロックスにてエリア営業、新規開拓営業、システム営業を経験したのち、人材開発部門へ異動し、ソリューション営業開発、選抜リーダーシップ研修、顧客価値創造型マーケティングの開発と展開に従事。
2000年より野中郁次郎氏(一橋大学名誉教授)と紺野登氏(多摩大学大学院教授)の指導のもと、知識創造経営コンサルティング部門であるKDI(Knowledge Dynamics Initiative)の立ち上げに参画し、大手企業を対象に、ナレッジマネジメント、組織変革、働きかた改革、ワークプレイス改革、業務プロセス改革、経営品質、新規事業開発、R&D改革、ビジネスモデル改革などに、知識創造経営の視点軸から実践支援を行う。2016年より価値創造コンサルティング部長。
2019年に31年間勤めた富士ゼロックスを退職し、知識経営、およびイノベーション経営の実践支援を生業とする株式会社リワイヤードを設立。

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