シリーズコラム

【さんさん対談】殻を破って見えた、行政の役割と"人に向き合う力"

井上航太さん(宮崎県職員)×田口真司(3×3Lab Futureプロデューサー)

8,11,17


キャリアには、日々の業務の積み重ねだけでは到達できない、劇的な転換点が存在することもあります。組織の論理からいったん離れ、まったく異なる価値観の中に身を置く越境経験は、価値観や判断基準を根底から揺さぶり、新しい可能性を拓きます。
宮崎県庁の井上航太さんにとって、それは大丸有エリアのエコッツェリア協会へ出向した2018年からの2年間でした。この出向は宮崎県庁にとって前例のない取り組みで、井上さんは第1号として未知の環境に飛び込んだのでした。
福祉、学校事務、地域振興と、県庁内で多様な業務を経験してきた井上さん。しかし行政の世界から一転、民間企業の正解のない領域に身を置いたことで、スピード、企画力、多様な関係者との協働といった、行政とは異なるエンジンで物事を動かす力を体感します。そこで得たのは、単なるスキルではなく、事業の本質をどうつかむかという視座でした。
本インタビューでは、県庁というキャリアを選んだ理由から始まり、出向第1号としての葛藤と成長、そして帰任後に見えてきた行政の役割、特に住民の生活に深く寄り添う公営住宅政策の現場で感じたことに迫ります。変化の大きい時代において、組織の壁を越える経験は、組織と個人にどのような変革をもたらしたのか。井上さんの言葉から、そのリアルを読み解いていきます。

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正確性も、暮らしに寄り添う経験も、-行政で培った基盤

正確性も、暮らしに寄り添う経験も、-行政で培った基盤

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田口 まず、県庁職員を志望した背景から伺いたいと思います。当時、進路に迷いはあったのでしょうか。

井上  迷いは、正直かなりありました。絶対にこの業界で生きていくという明確な軸を持てずにいたというのが実情です。私が就職活動をしていた2012年頃は、リーマンショックや東日本大震災後の影響がまだ色濃く残り、経済環境は不透明でした。民間企業の就職説明会に長蛇の列ができ、それがニュースになるような時代です。自分がどんな職業に向いているのか、将来的な安定性を含めて見定めることが非常に難しい状況でした。その中で、公務員、特に県庁で働くことは、自分の適性を焦らずに見つけられるフィールドとして浮かび上がりました。

田口 公務員の中でも、市役所ではなく県庁を選ばれたのはなぜでしょうか。

井上 市役所も候補でしたが、仕事領域の広さという意味で、県庁のほうが圧倒的に幅広いと感じたからです。県庁では、福祉、産業、教育、建設、地域振興など、非常に多様な分野を経験できます。一つの職場で専門性を深める道もあれば、数年ごとに畑違いの部署へ異動することで、社会全体の構造を行政という視点から理解できる道もある。私は一つの分野で専門性を築く前に、まず仕事の振れ幅を経験することで、自分の本当の適性や、社会に最も貢献できる分野を見つけられるのではないかと期待し、選択しました。

田口  最初の配属は福祉保健部国保・援護課(当時)。この経験は、後に民間とのギャップを感じる上でも重要だったのでは。

井上  はい。国民健康保険の業務は、想像以上に正確さと慎重な判断が求められる世界でした。医療機関の調査や、国からの負担金を市町村へ適切に配分する仕事は、一つのミスが地域全体の制度運用に影響を及ぼします。どれだけ慎重に確認を重ねても、やりすぎはない、という環境でした。
この2年間で、行政の根幹となる「公的な責任と正確性」が身体に深く染みつきました。これは、ルールや前例のない民間での活動との比較対象となり、「行政の基盤」として後の私のキャリアの重要な土台となっています。

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田口 次の異動先が、宮崎県内でも特に奥深い地域である椎葉村の中学校の学校事務だったんですね。

井上 そうですね。人口が当時2,700人ほどの小さな地域でした。中学生の半数以上が寮生活をしているという、都市部の学校とはまったく違う、独特の教育環境です。私は学校事務として、教職員の給与や予算、備品管理などを担当していました。仕事自体は数字を扱う事務が中心ですが、地域文化が日常に深く浸透していて、学校は単なる教育機関ではなく地域の生活を支える核という感覚でした。

田口 生徒や地域の方々との距離も近かったのでは。

井上  本当に近かったです。生徒たちは素直で温かく、日々のちょっとした会話からエネルギーをもらっていました。学校事務という仕事は、表舞台には出ませんが、学校運営を支え、地域の暮らしを維持するための重要な役割であることを強く実感しました。行政の仕事が、抽象的な制度や予算ではなく、目の前の人の生活に直結しているという本質を学べたことが、その後の住宅行政や民間出向の経験と自然につながる土壌になりました。この経験によって、私の行政観は制度の管理者から生活への伴走者へと徐々に変化していきました。

東京への出向──正解のない世界に挑んだ2年間

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田口 そして東京・大手町への出向。しかも、前例のないエコッツェリア協会。民間への出向を希望されていたとはいえ、心境はいかがでしたか。

井上 民間で働くことに強い興味があったため、出向制度の話が出た際は迷わず希望しました。しかし、出向先がエコッツェリア協会だと聞いたときは、やはり驚きました。適性や業務内容も分からず、県庁の先輩も誰も経験していない。完全に未知の環境でした。
初日のことは今でも忘れられません。最初の出勤場所だけ伝えられ、所属も仕事内容も説明されないまま東京へ行ったのです。しかし、初日から同僚の皆さんがすぐに声をかけてくださり、短時間ながらも気さくに話せる場をつくってくれたおかげで、翌日から職場に入っていく心のハードルがぐっと下がりました。人が環境を変えることを実感した瞬間でした。

田口  翌日から、行政とはまったく異なる働き方が始まったかと思います。具体的にどのような点が最も異なりましたか。

井上 行政では、前例やルールに基づいてミスがないかを重視して慎重に進めますが、民間はスピードと成果が命です。判断も、企画も、調整も、まったく異なる視点で求められました。そこからの毎日は、文字どおり正解のない世界でした。
会議では横文字が飛び交い、「それで、井上さんはどう考えますか?」と即座に自分の意見を求められる。最初の数ヶ月は、自分の正確性というスキルがまったく通用しない感覚に近く、自分は何のためにここにいるのかと、かなり落ち込んだ時期もありました。

田口 その葛藤を経て、丸の内サマーキャンプ(現・丸の内サマーカレッジ)や宮崎のイベントなど、大きな成果を出してくれました。

井上  地元・宮崎の仕事を東京で担当できたのは本当に誇りです。行政の論理とは違う、マーケティングや民間連携のアプローチで地域を発信する経験は、自分の中で大きな転機になりました。出向2年目には社外のつながりも広がり、自分の考えを形にする機会も増え、少しずつ民間で成果を出す感覚が身についたと実感しました。この経験がなければ、帰任後の激しい環境の変化には対応できなかったと思います。

再び県庁へ──「まず会いに行く」が公営住宅政策で生きる

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田口 宮崎に戻ってからの変化はいかがでしたか。

井上  帰任直後の総合政策部産業政策課は、ちょうどコロナ禍対応の最前線でした。状況が日々変わり、補正予算を毎月組むような臨機応変な判断が必要でした。行政でありながら、民間出向先で学んだスピード感と優先順位付けの経験が、そのまま活かされた環境だったと思います。

田口  そして現在の建築住宅課。公営住宅の運営という、非常に生活に直結した仕事を担当されています。象徴的なエピソードがあると伺いました。

井上  はい。公営住宅は憲法第25条の趣旨に則って整備された住宅セーフティネットです。しかしながら、滞納が続けば規定に基づき明渡請求、裁判・強制退去という流れになるのですが、ただ、書類上の「滞納者」という文字だけでは、その人の背景は分かりません。
ある高齢男性のケースでは、妻を亡くしてお金の管理ができなくなり、家賃が滞っていました。私は何度も訪問し、息子さんの協力も得て、数ヶ月かけて支払いを再開できるようにサポートしました。

田口 裁判をすれば県は必ず勝ちますが、それでも訪問し続けたのですね。

井上  出向で学んだ、まず会いに行くという姿勢が、そのまま生きました。裁判は簡単ですが、強制退去になれば、その人の生活は崩壊し、行政の支援も届かなくなります。行政の判断には、その人の人生に対する重い責任があります。だからこそ、システムではなく、一人ひとりの人間と向き合う姿勢を大切にしたいです。これは、椎葉村で学んだ暮らしに寄り添う行政の本質とも一致しました。

田口  井上さんのあと、2・3・4代目と出向が続いています。この経験の連鎖をどう感じていますか。

井上  本当に嬉しいです。出向者同士で情報共有をしたり、仕事の相談をしたり、越境経験を蓄積し合い、言語化する文化が県庁内で生まれてきています。行政の外に出ることで価値観が揺さぶられ、戻ってきてから県庁を別の角度から見られるようになる。この連鎖は、組織全体の強さ、そして行政サービスの質の向上につながると実感しています。

 image_column_ki005.jpg 4代目の出向者、宮崎県職員の宮村駿氏(右)がこのインタビューに立ち会った。歴代の出向者は、密に交流しているという。

田口  最後に、これから挑戦する後輩、そして環境の変化に向き合うビジネスパーソンへメッセージをお願いします。

井上 迷いがあっても、一歩踏み出すことで見える景色は大きく変わります。完璧な準備ができていなくても、行動した先には必ず新しい気づきや出会いが生まれます。私は「誘われたらまずやってみる」と決めて動いてきましたが、その小さな選択が振り返ると大きな転機になっていることも多くありました。越境の場では、自分の枠が自然と広がっていく感覚があり、後になって「あの経験が今の自分をつくってくれた」と実感します。
だからこそ、そこで得た視点や学びを自分だけのものにせず、宮崎の未来や「このまちで暮らしたい」と思える環境づくりに、少しずつ還元していきたいと考えています。

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井上 航太(いのうえ・こうた)

1990年宮崎県西都市生まれ。県庁入庁後、福祉・教育の現場を経験し、地域の暮らしを支える行政の基礎を培う。その後県庁初となる三菱地所株式会社・エコッツェリア協会への出向を2年間経験。丸の内プラチナ大学や宮崎県との連携企画をはじめとした各種企画・運営に従事。都市のスピード感、多様なステークホルダーとの協働、事業構想力を吸収し、行政人材としての視野を広げた。帰任後はコロナ対応の最前線を経験するとともに、大学等と連携した産業政策の立案・推進に携わった。現在は公営住宅行政を担当し、住宅困窮者に対する支援に取り組んでいる。

(取材・執筆:東郷あすか)

 

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