
職種や業態にもよるが、企業人は1日にオフィスで過ごす時間の割合がもっとも多いといっても過言ではない。糖尿病や高血圧、肥満などの生活習慣病やその原因となるメタボリック・シンドローム(内臓脂肪症候群)を抱えるオフィスワーカーは少なくない。もっとも重要な経営資源である従業員の健康を守るため、健康経営に力を入れる企業が増えており、健康行動を促す工夫を凝らしたオフィスも登場している。ワークスタイルと生活習慣病の関係を研究し、予防のためのソリューションを提案しているヘルスケア・コミッティー(株)代表取締役会長の古井祐司さんに、従業員を健康にするオフィス環境のあり方を聞いた。
―オフィスワーカーの生活習慣病やメタボの原因の一つとして、古井さんは職場習慣が大きいと指摘しています
HCCでは、生活習慣病を予防するさまざまなサービスを提供している私たちは、150万人を超える被保険者(従業員)の健康診断データをお預かりして分析しています。その過程で、職種や業態によってかかりやすい病気や健康の状態が異なることがわかってきました。たとえば、同じ企業の中でも営業系の部署は血糖値が高く、工場など製造部門では血圧が高いという傾向があります。
その原因がすべて個人の生活習慣にあるのかというとそうではなくて、働き方を含む職場習慣が大きく影響していると思います。とくに働き盛りの世代は仕事優先で、健康や病気に対する関心が低くなりがちですが、30代前後は肥満化が進む年代です。また、年をとるほど血管に傷がつきやすく(動脈硬化)、加齢とともに心血管疾患の発症率が増します。
―従業員が病気になることは企業にとって大きな痛手ですね
そのとおりです。2008年に特定健診制度が始まって以来、健診データの電子的標準化が進み、そのデータが医療保険者に蓄積されています。まだ、すべての企業ではありませんが、各社は従業員の生活習慣病やメタボの状況を把握しています。そのデータからは、重症疾患で倒れた従業員の多くが、健診を受けていないか、受けても生活習慣を変えないなど自己管理をきちんと行っていなかったことが見えてきました。
そこで、多くの企業が従業員の健康づくりを積極的に進める健康経営に力を入れ始めており、健診データを活用して従業員の健康状況を把握して「見える化」し、有効な対策を打ち出しています。その中でも重要なのが、病気のリスクを生み出すもととなる職場習慣とオフィス環境の改善です。
―従業員の健康とオフィス環境とは関係があるということですか?
オフィス環境は、そこで働く従業員の意識やワークスタイル、生活習慣などに大きな影響を与えていると考えられます。たとえば、システムエンジニアなどいつもパソコンを使って作業をしている人は、比較的若いうちから高血圧になる傾向があります。これは長時間同じ姿勢で作業するなど緊張が続いていると交感神経過多になり、血圧を収縮させやすいのではないかと推測できます。また、不規則な食生活や飲酒習慣になりやすい深夜や交代制勤務のある職場は、肥満などが増える傾向があります。
特定健診制度(厚生労働省)
―従業員の健康のため、企業はオフィスをどのように変えていけばよいのでしょうか?
企業が健康経営を進める上で重要なことは、従業員が自然に健康を意識し、行動を変容するようにオフィスをデザインすることです。その実現には、まず従業員の意識を醸成する、すなわち考えるきっかけを用意するといいでしょう。たとえば、階段を上がったところに「○○kcal達成! バナナ□本分です」などと書いたステッカーを貼ったりすると、従業員は「会社が健康に気をつけてくれているんだ」と意識するかもしれません。
このように仕事や生活のいろいろな場面で何かに気づき考えるようになると、感覚をつかさどる右脳の働きが活発になり、創造性が高まります。「会社の行き帰りでもついでにできることはあるかな」とか、「駅では階段を使おう」といった新しいひらめきが生まれ、健康を意識した習慣につながります。字面で「これをやりなさい」と伝えるだけではなく、個人の発想力を大事にして、従業員が自分で考えるようになることが重要なのです。
―従業員の行動を変えるには、オフィスの環境整備を進めることも効果的ですね
オフィス環境をいかに使い、変えていくかは、従業員の健康行動を考える上で非常に重要ですし、そこから改善できることは多いと思います。1時間ごとに休憩を促すアラームがパソコンで流れたり、トイレを男女で1階おきに配置して、リラックスしたり、動く機会を付与するのも一案です。福岡の博愛会という医療法人では、自動販売機にトクホ、すなわち特定保健用食品の飲料を導入し、甘いジュースよりも価格が高いトクホの飲料には補助を出して、同価格帯で販売しています。このように、従業員が自然に健康を意識し、行動をとるようにオフィスをデザインすることが大事です。
また、社内の事務機器などをうまく使うことも効果的です。たとえば、深く座ってくつろげるイスよりも、座るところが斜めになっているような居心地が良すぎないイスのほうが、作業の合間に自然に休みをとるようになって従業員の健康行動につながるという考え方もあります。
―ハード面だけでなく、勤務時間やワークスタイルを柔軟に変えていく必要もありそうです
もちろんです。たとえば、大和証券はグループ全体で1万人超の従業員を抱える大所帯ですが、健康管理を個人任せにせず会社としても取り組んでいます。特定健診のデータを分析したところ、生活習慣病が医療費の中で大きな割合を占めていることや、検査値が高くても医療機関を受診していない従業員が少なくなく、働き盛り世代では自分の健康が二の次になっていることがうかがえました。社をあげて、残業時間の軽減などワークライフバランスの推進に取り組み、同時に健診データに基づく意識づけやウォーキングキャンペーンなどを展開したところ、2年ほどでメタボが激減しました。同社では従業員の2人に1人がこのキャンペーンに参加するところまで取り組みが浸透したというから驚きです。
「QUPiO」 for 大和証券グループ健康保険組合
―データをどれだけ把握して活用するかが健康経営のポイントですね
生活習慣病の予防には大きく分けて3つの段階があり、特定健診制度は病気の発生そのものを防ぐ一次予防を核とした政策です。その先には、病気を早期に発見して治療する二次予防と、再発や重症化を防ぐ三次予防があり、いずれも健診データをもとに個々の意識と行動を変容することが基本です。それには、データが蓄積される医療保険者と事業主との協働が不可欠で、厚生労働省は「コラボヘルス」と位置づけて推進しています。2013年6月に安倍内閣が閣議決定した「健康・医療戦略」を進める鍵になります。
実際に、事業主と健保組合との連携が強いほど医療費が低額になる傾向があるという調査結果もあります。前述の大和証券をはじめ、数十の企業および健保組合がコラボヘルスに取り組んでいます。こうした動きは、全国健康保険協会と中小企業にも広がりつつあります。
健康・医療戦略推進本部
―健康行動を促すために、オフィスだけでなくエリアにはどのような施設や設備、アクティビティが求められるでしょうか
街角にいきなり血圧計を置いても、測りに行く人は少ないでしょう。「このエリアで健康行動に取り組む必然性」が大切です。そのためには、まずエリアの現状を分析します。大丸有の場合、たとえば営業職が多い会社では、外食が多い、飲酒頻度が多いことを背景に、脂肪肝や血糖値が高いかもしれません。また、パソコン作業が多い女性社員の方は肩こり・眼精疲労が少なくないと推測できます。これらの不調は、ひどくなると病気で会社を休むことや、出勤はしていても作業効率が落ちることが欧米の先行研究で示されています。
このように、そのエリアの健康状況に関する傾向が見えてくれば、その特性に合った健康行動を促すような仕掛けをエリア内に用意します。脂肪や血糖が高いという特性に関しては、大丸有でしたら地下街が広がっているので、ウォーキングのルートを示したマップを作成して配るのも手ですね。ブランド力を生かして、大丸有発の『できるサラリーマンはウォーキングで脂肪を燃やす』といったキャンペーンを実施して表彰したり、健康を意識した飲食のフェアを開催したりすれば、オフィスワーカーが健康行動に取り組むきっかけになるかもしれません。さらに、"大丸有に行けば健康で楽しい仕掛けがある"という街ブランドにもつながっていくのではないでしょうか。
―オフィスで健康に取り組む「気づき」や「きっかけ」を増やすとともに、エリア内での協働を進めることが、オフィスワーカーの健康行動を促し、波及や相乗的な効果をも期待できることがわかりました。どうもありがとうございました
東京大学大学院医学系研究科修了、医学博士。東京大学医科学研究所などを経て、2004年同大学医学部附属病院22世紀医療センター助教に就任。同時期に健康委員会(ヘルスケア・コミッティー)を株式会社して代表取締役就任。2012年、同大学政策ビジョン研究センター助教に就任。現在に至る。予防医学研究と医療保険者などへの予防サービスの提供に日々取り組んでいる。厚生労働省、経済産業省、地方自治体、医療保険者団体などの委員を務める。著書に「わかるとかわる―特定健診・保健指導」(カザン出版)など。
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2023年7月21日(金)18:30-19:30
2023年7月7日(金)18:30-19:30