シリーズコラム

【コラム】「社員の健康」で「会社の健康」を

動き出した「健康経営」という企業経営モデル

漸減する労働人口、増大する医療費負担、いまや企業にとって社員の健康管理は従来の福利厚生の枠には収まらない課題。日本ではようやく2008年に特定健診・特定保健指導が制度として導入され、生活習慣病対策がスタートしたが、いまだその理念は完全には定着していない。だが社員の健康に果敢に投資する企業や、企業の健康管理を支援するビジネスも現れだした。「一歩進んだ企業の健康管理」その最前線を追った。

投資1、リターン3の「健康経営」とは

まだ耳新しい「健康経営」という言葉。それは、企業の持続的成長を図る観点から従業員の健康に配慮した経営手法のことで、1992年に出版された「ザ・ヘルシーカンパニー」の著者で、経営学と心理学の専門家、ロバート・ローゼン氏が提唱した概念だ。日本でも2009年ころから少しずつ普及しはじめたこの経営手法がアメリカで生まれた背景を、企業の健康保険組合や自治体の国民健康保険と提携して、特定健診データの分析結果に基づき健康改善の指導に当っている、ヘルスケア・コミッティー(以下HCC)代表取締役で医学博士でもある古井祐司さんは次のように語る。

「アメリカでは、疾病の重症化予防や早期治療に、企業が早くから着手していました。それは、公的な医療保険のないアメリカでは高騰する社員の医療費負担に収益が圧迫され、経営の根幹にもかかわる事態になっていた、という背景があります」。医療費を社員に転嫁するなど、さまざまな試行錯誤の末に辿りついたのが、会社が積極的に不健康な生活習慣に関与し、肥満など生活習慣病の予防を積極的に促すという結論だった。

「そのための経費をすべて投資と考えると、健康な社員によって生産性も上がり、業績向上にもつながることから、その費用対効果は米国での実証事例では投資1に対し、リターン3ともいわれています」。まさに「健康経営」が米企業にとって革新的経営モデルといわれる所以なのだが、それぞれの健康管理プログラムで着実に効果を上げる企業は、さらにエクセレントカンパニーとしてイメージが上がって株価上昇、離職率も低くなり、学生の人気度も高くなるという。

「企業側だけでなく、社員側も疾病への不安減少に加え、仕事へのモチベーションの向上となり、欠勤率も下がるという労使ウィン×ウィンの経営モデルなのです。なかにはフィットネス施設などをオフィスに用意した企業もあり、それでも医療費が高い米国では費用対効果があるとされています」。このように従業員の健康に投資をし、疾病予防に万全を図り、医療費抑制、生産性向上を目論むアイデアも、ロバート・ローゼン氏の提唱によるものだ。その実践にはさまざまな健康効果の測定ツールが活用され、数値によって可視化されているという。

アメリカと異なり公的医療保険制度が充実している日本だが、医療費の増大による財政の圧迫は大きな問題となっている。「企業において問題なのは、40、50代の働き盛りに心筋梗塞などの重症疾患が発症していることです。予防医学が普及すれば、それを未然に防ぐことも可能となり、個々人の健康増進と生産性の維持という難問解決の切り札になるわけです」。古井さんは、2008年に国が定めた「特定健診・保健指導(メタボ健診)」策定にも中心的に関わった予防医学のスペシャリストだ。

「これまで行政や企業が取り組んできた健康づくりは必ずしも課題に合った取り組みではなく、金太郎飴的なものでした。それが『健康経営』の概念が拡がるにつれて、数値によってその集団における課題が可視化されたのです。健康リスクが実際に見えるということで、予防に取り組んでみようとする健保組合も増えてきました」、と実感を込めて古井さんは語る。

今後は日本でもこの「健康経営」の動きが波及していくことは想像に難くないが、一歩踏み出さないと実際の課題が見えず、また効果も感じられないことから、その普及にはまだハードルがありそうだ。そんな中、日本政策投資銀行の新たな融資制度が注目を集めている。

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健康経営」の導入を後押しする取り組み

健康経営」の導入を後押しする取り組み

DBJ健康経営(ヘルスマネジメント)格付のロゴマーク 2012年3月に日本政策投資銀行は、「DBJ健康経営格付」の最高ランクとして、花王に最優遇金利を適用することを発表した。同行のこの融資制度は、従業員の健康配慮への取り組みの優れた企業を評価・選定し、その評価に応じて融資条件を設定するという「健康経営格付」の専門手法を導入した世界で初めての融資制度である。 この融資制度および評価システムは、昨今の、企業の自社従業員への健康配慮の必要性が高まり、将来的な労働人口減少を見越した人的生産性向上の必要性、などの社会情勢を踏まえて、検討が進んだ。そして、経済産業省が健康経営の概念を普及促進させるべく実施した「医療・介護等関連分野における規制改革・産業創出調査研究事業(医療・介護周辺サービス産業創出調査事業)」において、2010年に採択された、HCC・日本政策投資銀行・電通三社コンソーシアムによる提案事業「「健康経営」による健康・医療の産業化調査事業」の一環として開発されたものだ。

「健康づくりは本人や企業の内向きともいえる取り組みでしたが、これを環境に優しい取り組みをする企業と同様に、社会的に評価することが必要です。しかも、健康経営は疾病予防による生産性向上やコスト削減、従業員のモチベーションや企業価値の向上にもつながります」、と古井さんは話す。

最高ランクを取得した花王は、トップの明確なメッセージとしての「花王グループ健康宣言」を打ち出している。この宣言のもとで、(1)自社従業員の健康レベルの的確な把握・分析に努めている、(2)中期計画を策定し、その施策を事業者、健保組合、産業医、外部専門家らが協力して実施する体制を構築している、(3)当該しくみを、現場レベルに「健康づくり実務責任者・担当者」を設置することで末端まで浸透させ、経営層に対しても、「健康づくり推進委員会(Te-ni-te会議)」を通じた報告・改善の場を設け、経営管理課題として全社的に健康づくり事業を位置づけている。このような組織内で「健康経営」のPDCAサイクルが定着・運用されている点が高く評価された。

これらは福利厚生ではなく、人材育成ともいえる。「限りある資金を健康な社員を育てることに費やすという、「治療」から「予防」へ健保財政の力点をシフトすること。コストではなく、投資として捉えることが求められてきます」(古井さん)。

花王に続いて2012 年10月には、カゴメが食品業界初となる「DBJ健康経営格付」最高ランクを取得した。従業員の健康増進の取り組みを客観的に評価する仕組みに加え、同社の総合研究所における健康増進の研究などが高く評価された。従業員の健康状態を把握し、予防につとめる企業に貸出金利を優遇する日本政策投資銀行の新制度は、「健康経営」の導入を強く後押しする。

これらは福利厚生ではなく、人材育成ともいえる。「限りある資金を健康な社員を育てることに費やすという、「治療」から「予防」へ健保財政の力点をシフトすること。コストではなく、投資として捉えることが求められてきます」(古井さん)。

花王に続いて2012 年10月には、カゴメが食品業界初となる「DBJ健康経営格付」最高ランクを取得した。従業員の健康増進の取り組みを客観的に評価する仕組みに加え、同社の総合研究所における健康増進の研究などが高く評価された。従業員の健康状態を把握し、予防につとめる企業に貸出金利を優遇する日本政策投資銀行の新制度は、「健康経営」の導入を強く後押しする。

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「治療」から「予防」へ、未知の道程をサポート

「治療」から「予防」へ、未知の道程をサポート

『TEAMS』のセミナーには多くのメンタルヘルス支援担当者が集まる。 「健康経営」へと多くの企業が一歩を踏み出そうとしているのは明らかだ。その時宜を捉えて、さまざまなサービスを用意する、いわば「健康経営」サポート企業が現出している。その業態は多種多様だが、まず紹介するのは多年「家庭の医学」等の医事出版で実績のある保健同人社がヒューマネージと提携して展開するEAPサービス『TEAMS』だ。「サービスの内容は、メンタルヘルスを主に疾病予防、二次、三次予防にわたるカウンセリングや情報提供、個別支援から制度構築支援のコンサルティングまで、心身両面からトータルのサポートが可能です」(保健同人社 EAPグループ 大谷裕さん)。

現在、企業向けEAPサービスとしては国内最大級の利用実績を誇り、890法人、761万人というその数は、いかに各企業が社員の健康管理に苦慮しているかを物語っている。しかし、利用企業の反応はまだまだ「健康経営」の理念とは遠い。研修など単発の利用や身体面については健保の領域という認識が根強く、同社が描く「心身ともに健康であれ」という理念にはなかなか届かないという。「特に提案したい健康への施策は予防の部分が多いのだが、費用対効果が見えにくいことから、後回しになりがちです。そのため「健康経営」にはトップダウンによる推進が不可欠で、そのための出費は投資、社員は人財という認識を持つ経営者を増やすことが課題です」(大谷さん)。

「ケンコウマイ手帳」の画面イメージ(左)と多機能歩数計「e-walkeylife3」(右) また、健康には運動がベストと、社員の健康づくりに運動を盛り込んだプログラムを展開しているのがコナミスポーツ&ライフだ。サービスは日々の歩数や運動量を計測する多機能歩数計と、そのデータを記録・管理する「ケンコウマイ手帳」を使用して、運動量と消費カロリーをチェックするというもの。利用はすべてパソコン上で行うため、継続利用も容易で、目標値を決めて遊び感覚で続けられる点が好評のようだ。日々の食事を登録すればカロリーバランスを知ることができ、過去の履歴を知り体重変化や健康リスクを確認することで、健康への意識が生まれ、モチベーションの向上につながるとうたう。また健康参照年齢、医療費予想が表示される他、体重など目標へのナビゲーション機能も付加され、自己管理の絶好なアシストとなるサービスで、健保や企業担当者から社員数分のオーダーが増えているという。

大丸有で「ティップネス丸の内スタイル」を運営するティップネス、「丸の内タニタ食堂」を運営するタニタの取り組みも紹介してみよう。ティップネスでは、フィットネスだけでなく、ビジネスパートナー事業という、企業や健康保険組合、行政に対する健康支援メニューを提供している。また、タニタのグループ企業であるタニタヘルスリンクでは、WEBサービスを軸に、特定保健指導、健康セミナーなど揃えるなど、「健康経営」を支援するサービスを各社が展開。人事部門を中心に企業から注目されている。

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公的医療保険の膨大なデータが新産業を創出する

公的医療保険の膨大なデータが新産業を創出する

「22世紀医療センター」の創設は予防医学の新しい展開の起点になったと話す古井さん 「健康経営」という米国から発した経営モデルは、公的医療保険のない米国企業の苦肉の策だったが、公的医療保険という国家的スケールのデータを有する日本は、はるかに米国よりも職域や地域での取り組みが実践しやすい。全国のデータを分析し共有できることで、集団ごとの特徴が明確になり、またその職域や地域に合った健康づくりが可能となるので、効果が高まるのは明白だ。そこで国としても単なるメタボ対策としてではなく、特定健診で集積されたデータを活用した事業評価や効果的な制度設計を図り、そこで得たノウハウを健康ソリューションとし、海外へ展開するといった構想も描き始めたようだ。

2002年、東京大学の中に産学連携のもと「22世紀医療センター」が開設され、予防医学の研究が始められたのが、その第一歩だった。その立ち上げに参加し、一貫して予防医療に携わって来たのが古井さんである。ひたすら過疎地を回った若い頃に得た「これからは出前医療。病になる前に働きかけることが大切」との初志を貫いたという。「センターができ、どうすれば現役世代に予防を普及できるだろうかと、健康保険組合の常務さん方と研究会(健康委員会)を開いているうち、研究ではなく、従業員のために予防サービスを提供して欲しいとの申し出を受けるようになったわけです」(古井さん)。

だが大学内で事業をするわけにはいかず、2003年に健康委員会(ヘルスケア・コミッティー)を株式会社化したHCCが発足する。すでにその頃、生活習慣病の予防対策が議題にのぼる背景があった。「予防医学というのは一対一の個別指導だけではなく、健診データやITなどを駆使して国民全体に体系的に普及するのが効果的で、そのための仕組みづくりを目指しました」(古井さん)。

はじめに、5つの大手健保組合に予防サービスをモデル的に提供したが、爆発的には利用健康保険組合が増えない。「即座に効果が出ない、新しいサービスの導入には障壁があることを感じました」。局面が変ったのは2004年。厚生労働省から、『生活習慣病の一次予防を重点施策とする。実施主体は健康保険組合、国民健康保険など医療保険者』という大臣指針が出されたのである。ともに増大する医療費に頭を抱える財務省、厚生労働省が制度化を推進して、特定健診制度が健康保険組合などに義務化される運びになった。

「ところが2008年4月に施行されても、事業を進めるための基盤整備が遅れていたため、現場での実践はなかなか進みませんでした。そんな中、私も委員を務めていた経済産業省の健康増進にむけた検討会の中で、健康経営を進めていこうという答申が出されました。企業なり自治体のトップが健康経営を掲げることで、会社はもとより本人たちの行動変容を強力に促すことを目指すのです」(古井さん)。

健康経営を進めるためには、健康保険組合など医療保険者に蓄積する特定健診などのデータが必要となる。データ分析により、より明確な対策が可能になり、同時に個々の生活習慣を促すことができる。データに基づく現状把握、計画、実施、評価、改善という事業サイクルが回れば、国内からさらに世界へ向けてのビシネスを創出できるとの確信を生んだ。それは、その後、韓国、ベトナム、米国などから視察が来ていることで実証されることとなる。「いまは海外も見据えて、どう事業化していくか。それには多くの企業での実証と、健康経営の社会的な評価が進むことが大切であると思います」(古井さん)。

冊子版「Qupio」の表紙イメージ 一方、古井さんが代表を務めるHCCも健康経営を体系化し普及する専門機関として、国内50社を超える健康保険組合、国民健康保険から予防事業を受託し、健診データを個別に分析、その結果をもとに約120万人の人々にITや冊子、面談でオーダーメイドの働きかけを続けている。刮目すべき「Qupio(クピオ)」と名付けられた冊子は100パターン超あり、腹囲や血圧、中性脂肪、血糖値が100人中の順位で示されたり、リスク度とともに、それぞれに適したアドバイスが行われている。120万人中、毎年7,000人程度に対しては専門職が直接面談も行なっている。

「しかし、健診データを見てない現役世代が7割というのが実状。そんな40代前半の突然死が実はもっとも多い。血管の変わり目でもありますが、そうした人こそ意識変容をしてもらえるよう、自分の体のことを感じる訴えかけをしています」(古井さん)。生活習慣が明らかに現代人の健康に影響を与えることは医学的にも実証され、誰もが承知している。であれば、予防医学やITなど種々の技術の活用によって効果を高めることは可能であり、またそこに大きなビシネスチャンスもあるはずだ。古井さんは大きな期待をもっている。「各企業にとって健康経営を進めることが、金融だけでなく、将来的に保険、税制などの優遇につながり、社会的な評価(インセンティブ)の仕組みが普及していくと、健康サービス産業の活性化を招来すると思います」。 

※ 東京大学内に国民の健康づくりを積極的に進める目的で、健康経営を社会に普及・定着するための研究拠点として「健康経営研究ユニット」が創設されました。創設を記念して2013年2月15日には、シンポジウムが開催されます。

編集部から
従業員の病気の予防に「投資」する──「健康経営」。取材を進めるうちに、医療コストの削減、生産性や社員のモチベーションの向上、さらには企業のブランド価値が高くなるなど、2〜3倍の「業績」となってはね返ってくることが理解できた。古井さんが説く「環境に配慮した企業が評価されるのと同じ、いや、それ以上に評価されるべきです」にも納得。今後、日本での広がりが期待される「健康経営」。その潜在価値の大きさを実感した。


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